
まず理解に徹し、そして理解される
僕のバイブルの一つ、『7つの習慣』を読み返しています。
バイブルだから当然っちゃあ当然なのですが、僕の価値観や行動は驚くほどこの本が基になっていることがわかりました。
特に去年は、第1の習慣「主体的である」第2の習慣「終わりを描くことから始める」第3の習慣「最優先事項を優先する」を意識したこともあり、そのあたりはとても成長したなと思っています。
第1の習慣〜第3の習慣は「私的成功」として括られる部分であり、「いかに自分を制するか」が大きなテーマになっています。2024年はミッションに向けて、自分を制することができた1年でした。もちろんまだ完全ではないのですけどね!
ただ、この私的成功を意識するあまり、他人との対話を避けたり、協働を煩わしく感じるなど本末転倒な部分がありました。個人プレイではミッションを達成するのは不可能です。
なので今年は、「私的成功」を意識しつつも第4の習慣「win-winを考える」第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」第6の習慣「シナジーを作り出す」を目指していきます。
その中でも第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」は、他二つの土台となるものです。なので、特に第5の習慣を習慣化したいなと考えています。
今回の記事では、2024年、個人的に「ミスったなあ」と感じる対話場面を取り上げ、どう第5の習慣を適応するかを考えることで、次の対話場面に活かせるようにしていきたいと思います。
それでは、よろしくお願いします!
研究員の話し合いの場面
授業を効果的に検証するためのチェックリストを作成していました。その時に、チェックリストの主語が揃っていないことがどうしても気になって、それを主張しました。
でも結局僕が折れる形になって、話し合いが終わってしまいました。
あの時、効果的に話し合いを進めるにはどうしたら良かったのでしょうか?シュミレーション開始です! 僕=👨 他の先生=🧑🏫
👨「自分、ちょっと違和感がある場所があるのですが、それを指摘する前に今自分が話し合いの意図を理解できているか確かめてもいいでしょうか?(まずは理解に徹する)」
🧑🏫「もちろんです!」
👨「このチェクリストは、授業を構成する時の拠り所であるのと同時に、授業参観者が授業を評価するもの・・・という理解であっていますか?」
🧑🏫「そうです」
👨「ありがとうございます。では、その理解でいくと、チェックリストの主語は揃えるべきなのではないでしょうか?仮に授業者がこのチェックリストを使って授業を構成することを想像した時、このリストのICT活用とは児童がするものなのか?教師がするものなのか?となるような気がします。」
🧑🏫「確かに」
自分の主張を理解してもらいたいなら、まずは理解に徹しなくてはいけませんよね。こうすれば、話し合いの前提を揃えた上で、主張ができるのですんなりと受け入れられたのではないでしょうか?
研究授業の事前検討の場面
国語の授業の事前検討において、めあて設定が妥当がどうかを話し合っていました。構図としては、僕V S僕以外の先生といった感じです。
向こうの主張としては、「めあては本時の狙いを引き出すための問いにするべきだ」ということでした。
僕の主張としては、「児童から自然と出てくる問いをめあてとし、その解決過程で本時の狙いに到達すれば良いのではないか。」というものでした。
実は、指導案作成の時からこのようなご意見が出ることは想定していました。僕もそこで悩んだからです。でも、今回の研究テーマと、”めあてはこうあるべき”という形式に囚われて、児童の自発的な疑問を蔑ろにするのは本末転倒だと思ったからです。ただ、自分のこの考えよりももっと妥当な考えが出れば素直に、めあてを変更するつもりでした。
でも、「めあてとはそういうものだから」以上の理由が出ず、自分の中で納得感がもてなかったので自分が授業者としての責任を負う覚悟をもってめあてを変更しませんでした。
ただ、それが「自分の考えに固執している」と捉えられ、後日ご指導を受けることになりました。
めあてがどっちが良かったかは置いといて、他の先生に「Puは自分たちの考えを聞き入れてくれない」と思われたのなら、それは自分の伝え方が悪かったのだと思います。じゃあどうしたら良かったのか。シュミレーション開始です!
🧑🏫「めあては本時の狙いを引き出すための問いにするべきじゃないですか」
👨「そうですね。僕もそれは考えました。ただその考えと先生方の理由が違うかもしれないので、僕の理解が先生達と同じか確認してもらってもいいですか?(まずは理解に徹する)」
🧑🏫「どうぞ」
👨「めあてを設定するときに、主発問と対応させなければ、本時の狙いと逸れる可能性がある・・・ということだと僕は理解しています。」
👨🏫「そうです」
👨「ありがとうございます。僕もそう思いましたが、以下の理由で目当ての変更が困難でした。一つ目が、その問いだと子どもが意欲的に授業に参加するとは思えなかったからです。二つ目は、ねらいに到達することが授業の本質だと考えた時に、めあてが例え主発問とは違う位置にあっても、本時の狙いを達成できれば良いと考えたからです。三つ目は・・・これを言うと元も子もないのですが・・・もうすでに本単元に入っており、この流れで進めているからです。恐らく、先生方のご指摘通り、そっちのめあてがふさわしいのかもしれませんが、今回は自分の責任のもとやらせていただけませんか?」
協議の時によくあるのが、お互いの主張の本質を理解できずに、また、お互いの主張が理解されていないなと思いながら、空中戦で終わってしまうことです。
僕はあなたの意見をここまで理解できているよ、と伝え、その上に新たな意見を積み重ねていかないことには有意義な教義はできませんよね。
もしかしたら、もっといい案が出たかもしれないのに・・・。この時は残念な協議になってしまいました。
校長先生との対話場面
大失敗した授業の週末部分を校長先生がご覧になっていました。算数の「三角形と四角形」です。長方形を初めて学習する場面でした。
僕は「普通の四角形と長方形は何が違うのだろうか?」というめあてを立てていたのですが、それに対して校長先生から質問されました。
🧑🏫「普通の四角形なんてものがあるの?教科書や学習指導要領に書いてあるの?」 と。
僕は、「書いてません。不適切だったかもしれません」と認めた上で、
👨「でも、長方形は特別な四角形ですよね?だから特別な四角形の対義語という意味で普通の四角形という表現を使いました。」と説明すると、
🧑🏫「あ〜はいはい。もうあなたにアドバイスはしません」
とカンカンになって去っていかれました。後日聞くと「自分の考えに固執しすぎ」ということだったようです。
僕としては、固執しているつもりは全くなく、むしろ誤りを認めた上で自分の意図を説明しようとしただけだったのですが、それがそのように捉えられたのなら、僕の姿勢に問題があったのだと思います。
じゃあどうしたら良かったか。レッツシュミレーションです!
🧑🏫「普通の四角形なんてものがあるの?教科書や学習指導要領に書いてあるの?」
👨「ないです。そのような言葉を使ったことは不適切だったかもしれません。どうして不適切なのか、自分が理解できているか確認していただけますか?(まずは理解に徹する)。」
🧑🏫「もちろんです。」
👨「単純に、子供に誤った言葉を教える可能性があるからです。仮にそんな言葉があったとしても、学習指導要領にない以上、使うのは危険ですね・・・。今後は気をつけます。その上で、なぜ僕がこのような言葉を使ったか、意図を説明してもよろしいでしょうか?」
👨🏫「どうぞ。」
👨「特別な四角形である長方形と、特段特徴のない一般的な四角形を比べることで、長方形に特有の特徴を子どもが発見できると考えたのです。そこで、長方形という特別な四角形があるということを抑えた上で、じゃあ特別じゃない四角形のことをなんて名前つけようか?と子供に問うたところ、『普通の四角形』という言葉が出てきたのです。でも、それをそのまま使うべきではありませんでした。」
自分がとってしまった言動を校長先生目線で考えると、自分のアドバイスの意味も理解しようとせず、言い訳をしてきたと感じたでしょう。そんな人にはもう教えたくなくなりますよね。
まずは、あなたのアドバイスは理解したよ、ありがとう、という姿勢をもち、相手の立場と意図を理解した上で、自分を理解してもらおうとするべきでした。
悩んでいる後輩の話を聞いた場面
後輩が悩んでいました。僕はなんとか気持ちを楽にしてあげたいと思い、「自分はこうだったよ」とか「自分もそうだったよ」とか「こう考えたら良いよ」と言った自叙伝みたいなことを語ってしまいました。
でも、今思えば後輩が求めていたのはそんな自分語りじゃなかったのだと思います。
じゃあどうしたら良かったか。シュミレーションスタートです!
🧑🏫「自己肯定感が低くて、この間のフィードバックでネガティブな言葉しか出てこなかったんです」
👨「自分に自信がもてないんだね・・・。辛いね・・・。(事実の言い換え➕感情の推測)。」
🧑🏫「そうなんです。〜できないし、〜だし、本当にダメダメなんです。」
👨「自分はダメなところばっかりだと思ってるんだね。(相手の言葉の言い換え)」
🧑🏫「いいところがなくって・・・」
👨「ダメなところばかりで、いいところがないの?(相手の言葉の言い換え0」
🧑🏫「・・・逆にあります?」
👨「めっちゃあるよ!」
🧑🏫「どんなところですか?」
👨「〜なところとか、〜なところとか!自分なんて、一年目の時は・・・(ここでやっとアドバイスや自分語り)」
相手が一体何を求めてそのような話題を話してきているのかを、相手の立場に立って、考えなくてはいけませんよね。
自分もそうですが、泣き言を吐く時はただ話を聞いて欲しいだけのことがほとんどです。
自分のアドバイスを理解してもらうためにはまずは相手を理解することから始めないといけないんだろうなあって思いました。後輩よ・・・ごめん😢
まとめ
こう考えると、2024年は随分失敗してきました。
みんなが本当に仲間となって、チームとなって、大きなエネルギーを生み出すためには「まずは理解に徹し、そして理解される」スタンスが非常に重要だなと感じました。
今年は、相手をまずは理解することを意識していきます!
ここまで読んでくれて、ありがとうございました!