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幸福の本質を出発点として考える、最強の教師
最強の教師とはどんな教師か、思考してみました。思考の中で得られた現時点での僕の結論は
子どもの姿を映し出す鏡となれる教師
であると考えます。
なぜこのような結論になったかを順に説明していきたいと思います。この記事が、教育の本質を考えるきっかけになればこれほど嬉しいことはありません。それではよろしくお願いします☺️
1 幸福の本質とは ”自分らしさを損なわず、他者貢献ができること”
優れた教師を考える出発点としたのが、「幸福の本質とは何か」という疑問です。子どもが幸福になるための資質・能力を身につけさせてあげられる教師が最強の教師だと思うからです。
「幸福」という言葉がやや抽象的なので、具体的な姿として定義します。人間の最終ゴールを死ぬ瞬間だとした場合、その時に後悔なく、「良い人生だった」と思えることが本記事における「幸福」だとします。
では、これを幸福だとした場合、「良い人生だった」と思えるには何が必要なのでしょうか?
条件は二つあると思っています。一つ目は自分らしく生きられたという実感です。
というのも、人間が死ぬ間際に後悔することトップ5は「自分に正直に生きればよかった」「働きすぎなければよかった」「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」「友人と連絡を取り続ければよかった」「幸せを諦めなければよかった」というものであるそうです。
いずれも、もっと自分らしく、主体的に生きていけばよかったというものであり、「自分らしく生きていけた」という実感が伴うことが幸福に繋がることは明らかでしょう。
ただ、いくら自分らしく生きれても、他者に迷惑をかけ、死ぬ間際に誰も看取ってもらえないのであれば、それは幸福だとは言えないでしょう。故にもう一つの条件、他者や社会に貢献できたという実感が必要になるのではないかと思います。
他者や社会に貢献できれば、多くの人に看取ってもらえます。きっと満足した状態で死ぬことができるでしょう。
よって、幸福の本質とは「自分らしさを損なわず、他者貢献ができたこと」だと結論づけさせてもらいます。
2 学びの本質とは”自分を知るためのメガネを獲得すること”
では、自分らしさを損なわず、他者貢献をするためにはどうしたら良いのでしょうか?
それは、自らを知ることであると考えます。自分とは何か、何が得意なのか、何が苦手なのか、何が楽しいと感じるのか、何が苦しいと感じるのか、そういったことを追求していくことが自分らしさを損なわず他者貢献することの唯一の道でしょう。
よって、あらゆる学びは究極的には自らを知るために行われるべきものなのだと思います。
ここでこのような批判があるでしょう。「じゃあ漢字を学ぶことがなぜ自分を知ることに繋がるんだ!」「プログラミングを学ぶことがなぜ自分を知ることに繋がるんだ!」「世界遺産を学ぶことがなぜ自分を知ることに繋がるんだ!」。
このような批判に、僕は「自分を見るメガネを身につけるため」と答えます。
漢字のメガネをかければ、言葉を通じて自分の内面を見られるようになります。
プログラミングのメガネをかければ、プログラミング的思考で自分を捉えられるようになります。
世界遺産のメガネをかければ、歴史や地理、社会構造を通じて社会と自分のつながりを理解できるようになります。
このように、あらゆる学問のメガネ(見方・考え方)をたくさんかける(学ぶ)ことで、自分や世界をさまざまな見方で見られるようになり、自己や世界を多面的・多角的に見られるようになります。
よって、学びの本質とは”自分を知るためのメガネを獲得すること”だと結論づけさせてもらいます。
3 教育の本質とは”自分が何者なのか自覚させること”
学びの究極的な目的は「自分を知る」ことだとすると、教育の究極の目的は自然に「自分が何者なのか自覚させること」になるのでしょう。
よく、教育の目的として「社会に適応させる」が挙げられます。これはそうなのですが、そうじゃない解釈もできます。
A「社会に適応させる」=自分らしさを損なわず、他者貢献できるようにすることなのであれば問題はありません。僕が最初に定義した幸福とも合致します。
しかし、
B「社会に適応させる」=自分らしさを削りとって、他者貢献できるようにすることなのであれば問題大有りです。これでは幸福の条件が満たせないからです。
Aの条件を満たすためにも、自分が何者なのか自覚させてやることが教育の目的なのではないでしょうか?
よって、教育の本質とは”自分が何者なのか自覚させてやること”なのだと結論づけさせてもらいます。
結論 最強の教師とは子どもの姿を映し出す鏡となれる教師
教育とは学校だけで行うものではありません。だから、教師一人で”教育の本質”である「自分が何者なのか自覚させること」をすることは極めて難しいでしょう。
しかし、今回扱っているのは”最強の教師”です。敢えて、それができる人物を想定していきます。
最強の教師とは、自分が何者なのかを、子供に自ら気付かせてあげられる教師です。つまり、子供がもつ「ありのままかつ、他者に貢献できる姿」を鏡のように映し出すことのできる先生です。
その先生と一緒に過ごすだけで、子供は自分の才能に気付き、自分の活かし方を知ることができる、そんな先生です。
以上のことから、最強の教師とは子どもの姿を映し出す鏡となれる教師であると結論づけさせていただきます。
最強の教師の具体
最強の教師とは子どもの姿を映し出す鏡となれる教師であると言いましたが、抽象的すぎて掴めませんよね。僕もまだ固まっていないです。ただ、現時点での僕の中で固まっているイメージを紹介していきたいと思います。
基本的な学級経営力や授業力があることは前提で、それに加えて
・ありのままの自分で、先生ができている。
・あらゆる学問のメガネ(見方・考え方)を身につけており、また身につけようとしている。
・教科特有のメガネ(見方・考え方)(以下参照)を身につけさせることができる授業ができる。
各教科のメガネ
. 国語(日本語)
• 言葉を通じて他者の思いや自己の内面を理解するメガネ
• 言葉の深い意味や表現の多様性を学ぶことで、他者の心情や考え方を理解し、自分の感情や思考を言語化する力を養います。国語は、コミュニケーションや自己表現のメガネとして機能し、自己理解と他者理解を促進します。
2. 数学
• 論理的思考や問題解決力を鍛えるメガネ
• 数学は、問題を論理的に分解し、順序立てて解決する力を育てます。このメガネを通じて、子どもたちは現実世界の複雑な問題にも筋道を立てて向き合う方法を学びます。抽象的な概念を扱うことで、思考の整理や合理的な判断力が養われます。
3. 理科
• 科学的な視点から現象を観察し、因果関係を探るメガネ
• 自然界の現象を実験や観察を通して学ぶことで、好奇心や探求心が刺激されます。理科は「なぜ?」を問い続けるメガネとして働き、自然現象や自分の体に対する理解を深め、疑問に向き合う姿勢を育てます。
4. 社会
• 歴史や地理、社会構造を通じて社会と自分のつながりを理解するメガネ
• 社会科は、自分が属する社会の成り立ちやルール、過去の出来事が現在にどう影響しているかを学ぶことで、社会的なつながりを理解させるメガネです。これにより、社会の一員としての自分の役割や責任について考え、視野を広げます。
5. 音楽
• 感性を通じて自己表現や他者との共感を育むメガネ
• 音楽は、感情やリズム、ハーモニーなどを通して、自己表現や他者との共感を促します。音を通じて心の内面を表現する手段となり、自分や他者の感性を理解するメガネとなります。
6. 美術
• 視覚的な表現を通して自己と世界の多様性を探るメガネ
• 美術は、色や形、デザインを通して自己を表現し、世界の美しさや多様性を理解するためのメガネです。創造力を発揮することで、自己理解を深め、感性を豊かにします。
7. 体育
• 身体を通じて自分の限界やチームワークを学ぶメガネ
• 体育は、体を動かしながら、身体的な能力や限界、他者との協力や競争を通じて自己を理解するためのメガネです。身体を使った学びは、忍耐力や達成感、自分の強みと弱みの発見に繋がります。
8. 英語(外国語)
• 異文化を通じて多様な視点や世界観を理解するメガネ
• 外国語学習は、言語と文化の違いを学び、異なる価値観を知るためのメガネです。異なる文化に触れることで、他者理解が深まり、自分の価値観も客観的に捉えられるようになります。
・
最強の教師を想定していく中で見えてくる学校教育の課題
最強の教師を想定する中で、幸福の本質まで遡って考えてみました。その中で、学校教育の抱える課題が見えてくるように思います。
幸福の本質は「⑴自分らしさを損なわず、⑵他者貢献ができたこと」でした。日本の教育は⑵の視点を満たすことに関しては非常に高水準なように思えます。一方で、⑴の視点が十分に満たされていないなと感じます。先ほども挙げましたが、自分も含めて教師が「社会に適応させる」という思いが強く、しかもその解釈が
B「社会に適応させる」=自分らしさを削りとって、他者貢献できるようにする
になっているので、どうしても⑴を満たすのが難しいのです。だから、今の学校教育の良さは継続しつつも、⑴の条件が満たされるような学校づくりをしていく必要があるでしょう。
・・・必要あるでしょうと言っても、もう国は動いているんですけどね。個別最適な学び、複線型授業、自由進度学習、ICT活用、etc…。流石は頭が良い人たちです。僕が思いつくようなことは既に思いついているんですね。
ただ、その必要性を実感できるほど、勉強する時間が取れないのが現場の先生たちです。多忙すぎて長期的な展望をもちようがないのです。
学校が本当の意味で変わるには、現場の先生たちの少なくとも7割以上が国が出していることの理論的背景や哲学的背景を腹に落とす必要があります。「とにかくやれ!」じゃ学校は変わりませんよ〜。
さあどうしますか、お国さん!
僕の提案としては・・・先生同士で哲学する時間をください!