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「教育に正解はない」「教育は人それぞれ」という言葉が許せない


 noteを書くことを通じて、内省を繰り返してきました。その結果、自分がどんな者なのか以前よりは見えるようになってきたように思います。

 僕はどうやら「正解を求めたがる者」、ちょっと気取った言い方をすると、「真理を求めたがる者」であるようです。


 そんな僕は「きっとどんな場面でも、どんな学習集団相手にも、どんな状況にでも対応できる教育観、授業構成、指示や発問、そんな真理があるはずだ」と考えてしまうところがあります。 

  まあでもこれは危険思想なのだと思います。正しい教育なんて時代や社会の状況によっても変わるものですし、教育に真理があると断定することで、真理に漏れる者が排除されたりなど、悲劇を生み出しかねません。

 だから、教育の真理など存在し得ない上に、存在させてはいけないのです。

 

 ・・・。このことがわかっている上で敢えて主張します。批判もあると思いますので、もし引っかかった方はご意見ください。

  僕たち現場の教員は、真理を求める、真理とまではいかなくてもゴルフで言うグリーン周りくらいには到達できるよう、もっと議論するべきだと思うのです。 

 タイトルにもあるような、「教育に正解はないからね〜」とか「教育の仕方は人それぞれだからね〜」という言葉に逃げず、「教育の本質とは何か?」「学びの本質とは何か?」「幸せとは何か?」という哲学的な思考を基にした、本質に迫るための議論を行うべきだと思うのです。

 こんな議論が何になる?といったご指摘もあると思います。確かにこのような議論には即効性は皆無であり、そんな議論をするくらいなら多忙な状況を打開できる具体的なハウツーの方を求めるのも理解できます。

 ただ、あくまで現状に対処し続けるための対処療法でしかなく、長期的に教育を発展させる力にはなり得ないと思うのです。

 教育の本質を求め、議論することは長期的に教育の進展に繋がるのではないでしょうか??

 



 なんて言ってみましたが、実際僕は実家暮らしで、比較的落ち着いた学校にいて、職場環境に恵まれていて、いつも早く帰れているからこんなことが言えるのだろうなって思います。

 多忙な教員がもっと長期的な展望をもって、一見無駄のように思える教育の本質に迫る議論をするために行うべきは、まず働き方改革なのかもしれませんね。

 

 ・・・でもそのためには教員自身の主体的な行動、そしてそれを引き出すための哲学思考が必要なんですよね・・・。さて、どこから始めればいいんでしょうね? 

 

てゆーか3年目のポンコツ教員が一体何に悩んでんだって感じですよね笑

何を背負っているんだ、T.Puよ・・・笑

 

  

 

 


 

  



 


 

 

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