なぜ私たちは歪(いびつ)なままを許せないのか
2024年から始まった瞑想を通じた悟りの旅。まだまだ旅の途中だけれども、その途中であるこの瞬間をそのまま味わい、楽しんでいいのだ、ということへの許しが私にとっては最大の気づきだった気がしています。
敬虔なクリスチャン家系で育った私には、神様ごとに従事すること、それは社会的な活動がそうであることとは関係なく、内側の世界できちんと従事できていることが何よりも大事とされる、そんな強い信念体系のもと育ってきました。食事や就寝の前には手を合わせ、聖書の一節を読んだり、お祈りをして感謝を捧げるという時間があり、毎週、日曜日になると教会に通い、子どもための日曜学校に参加したり、大人たちと共に礼拝に参加して、牧師先生の話を聞くなど。それらが当たり前のように存在し、またその他のいかなる活動より大切なものだと行動を通じて教わってきました。学校で成績がいいとか、勉強や習い事ができるとか、そんなことより大事なこと。神事に真摯に対峙する父の背中はいまでも鮮明に思い出せます。小さな私には、どこか邪魔してはいけない大切な神聖な空間のように感じると同時に、その立ち入れなさに寂しさも感じていたような気がします。その頃からなのか、そのずっと以前からなのか、DNAの家系的なレベルの影響も多大にあり、私のなかには「神事に従事する人=素晴らしい人である」、イエス・キリストのように「悟った人やマスター=偉大な人である」という、それはそれは根強い信念体系が存在したのでした。
その信念体系が苦しみを生んでいたことに深く気づかされたのが、10月に訪れた瞑想プログラムでの体験でした(奇しくも北イタリアの教会でプログラムは開催)。あぁ、私は「悟り」ということへ大きな執着があるのだ、と。
悟った人やマスターという存在にならなければならない、という信念体系と共に育った私は、すべての物事をその尺度で世界を解釈し、捉えていきます。「こうあるべき」という尺度です。常に「悟った人であれば、どうするのか」ということが行動や判断の基準となり、そうなれない自分を常にジャッジし、まだまだできていない、と自分を非難していきます。そして厳しい視点で自分をジャッジしながら、周囲の人たちや社会に対しても同じような尺度でジャッジしていきます。私のなかで勝手に築き上げられた「こうあるべき」という基準に到底、何も達することはなく、常に私は「不完全な今の状態」に苛立っています。不完全なことが完全であることにも気づかず、私はただただ「今」を許さず、怒っていたのです。何かしなければならない、と焦っていたのです。
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現状を変えなければ、とか、問題を解決しなければ、ということを長年、絶え間なくやってきました。物心ついた頃から、私は家族の問題処理係、相談役を自ら担うようになってきました。そうすることでしか、私は自分の存在に価値を与えることができなかった。そうすることでしか、私は自分が生きている意味を見出せなかったのです。2歳のときに弟が産まれ、母との間に強烈な分離を体験した痛み。そして7歳のときの日常に絶望を感じ、自分の魂の7割を母に預け、その頃にあった深い悲しみや孤独、虚無感を感じないように生きることにした。そして母の理解できる範囲内で生きることを決め、ありのままの自分を自ら封じ込めていきました。小学校卒業のとき、友人たちへのメッセージカードで「ありのままで生きる〇〇ちゃんへ」と綴りながら、自分はなぜ「ありのままで生きれないのか」と感じていたのを思い出します。人の役に立つことでどうにか自分に価値を感じてきたけれど、それはイコール周囲への依存でしかなかったのです。現状にある問題を見つけること、そしてそれを解決ことすることを暇つぶしのように行い、私自身が自立することを遠ざけてきたのでした。
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「神事に従事する、もしくは悟った人やマスターが偉大である」という私のなかの信念体系がある限り、私は私を生きるのを放棄しています。その執着に囚われている限り、決して私自身の「いまを生きる」ということへ全身全霊で向かうこともできず、苦しみが消えることはありません。なぜその執着が生まれたのか。それはその幼少期に感じた、強烈な分離の感覚、そして孤独や虚無感を感じないようにする、私の生存本能からくる選択でした。
ある瞑想のプロセスのなかで、シャバーサナと呼ばれる屍のポーズでヨガマットの上で力を抜いて横たわっていたとき、突然、脳内のヴィジョンで私の娘が目の前に現れました。「全部、ママのせいなんだから!」と私に悲しみと怒りをぶつける娘です。その瞬間、胸の辺りがバンっという爆発音と共に押し出されるようにハートチャクラが大きく開き、50cmほど宙に浮き上がった感覚がありました。そして私は何かがパカーンと開けるような、すべてが明るみになるような明晰性を感じながら理解したのです。常にあらゆる物事に問題を欲していたのは自分。悲しみを欲していたのは自分。悲しみや怒りをぶつける娘を己の投影として生み出し、それを欲していたのは自分自身でした。そのときに感じた私は、苦しみを餌食に生き延びるような妖怪そのもの。悲しみや虚無感、怒り、あらゆる問題を食べものにしながら生きている私自身でした。
そこから堰を切って溢れ出るように、謎の奇声が私のなかから響き渡りました。舞台俳優が、己の愚かさを嘲笑い、嘆くかのような不思議な音の連なりでした。それは人間の滑稽さが馬鹿らしくて笑っているのか、はたまた嘆き悲しんでいるのか、嗚咽しているのかわからないような不思議なもの。初めて表出される感情でした。ただただ内側から溢れ出す感情が、そのまま流れていきました。勢いが枯れるまで、それはただただ表現されていきました。
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私たちの中に長年、もしくは幾千年もかけて蓄積されてきた苦しみというものは、頭のなかで理解するだけではただの情報に過ぎません。自らその苦しみのなかに入っていき、その苦しみを完全に観察する、ということができたとき、それを概念的な理解ではなく、体感・体験として自分のものとして腑に落とすことができたとき、初めて私たちは完全な気づきをもって手放すことができ、別の選択肢へと、別の世界線へと再結合していくことができます。私の前に表れたのは、以前からじわじわとその波がきているのを感じていましたが、まさに「自立」や「自己表現」、「自己の確立」という世界線でした。
7歳の私は、自分が感じたあらゆる不快さを感じることに耐えられず、それらを逃す術を覚えました。不快さに浸ってはいけない。私が悲しむと両親も悲しむ。私が人生は楽しくない、つまらないと言うと両親は悲しむ。こんなことを感じている私はダメだ、と。そこから不快さを感じることを避けてきたのかもしれません。何かがあれば解決すべく、すぐ対応してきたのかもしれません。けれど不快さもただの体験なのだと今は感じています。今は過ぎ去るのを待ちます。観察対象として、ただじっと観ていきます。すると、その不快さは、私の生存本能が創り上げた虚像なのだと、ただの幻なのだと理解していきます。
感じてはいけないことはない。いま私たちが感じていることが、快であれ、不快であれ、すべてを感じて体験したいがために私たちは地球に生まれています。感じることを許し、それに反射的に対処するのはなく、その波がきているのをただ観察し、その波が落ち着いていくのをしばらく見つめてみる。そこには幻ではなく、本当の意味での私たちの体験があります。いまという瞬間を味わい、その豊かさに触れる体験がまだまだ眠っているのです。
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私たちは不完全であることが完全な世界で生きています。すべてのプロセスが完璧です。すべて既に完璧で完全です。なぜ私たちは、その不完全さを日々嘆いているのでしょうか。なぜ私たちは、歪(いびつ)なままの、ありのままである自分を受け容れないのでしょうか。なぜ不完全で歪な自分ではダメだと責め続けているのでしょうか。歪なままの自分をさらけ出したとき、私たちはようやく分離の私を手放し、世界と統合していきます。歪なままの自分でしか、世界や社会、周囲の人たちと繋がることができません。歪なままの自分を許してようやく、私たちは完全な統合を体験していきます。大いなる豊かさの循環に接続していきます。
私たちは歪であるという不完全さを楽しむために、そして歪だから繋がれるということを知るために、すべては繋がっているということを知るために、この地球という星に流れ着いたのです。