たかひと

幼少時より吃音に悩んできたが克服。 でも、どもりが治っても人間関係がスムーズにいかず …

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幼少時より吃音に悩んできたが克服。 でも、どもりが治っても人間関係がスムーズにいかず 疑問を持つ。 ある時、HSP(繊細さん)という言葉を知り、 自分に当てはまる部分が多いことに気づく。 誰かの期待に応えようとするのではなく、 肩の力を抜いて自分らしくいられる方法を発信します。

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スランプへの対処について

こんにちは、たかひとです。 成長曲線というのがありますよね。 どんなに上手くいっても直線的に右上には向かっていかない形をしています。 階段のようになっていて、ギザギザに上下しているのが一般的。 理想があっても、現実にはすんなりと伸びていかないので、両者のギャップで落ち込んでしまう時期はどうしてもあります。 ですから、スランプを避けることはほとんど無理。 その際、この時期をどう過ごすかが成長には大事になってきます。 昔、名前を呼ばれて返事もできない状態が続いたとき、呼

    • 踏まれることはつらいこと?

      こんにちは、たかひとです。 雑草魂という言葉がありますよね。 踏まれても踏まれても立ち上がる、というイメージで使われると思います。 でも、本当の雑草魂は、「踏まれても立ち上がらない」とのこと。 なぜそうなるかは、まず植物本来の目的から考えてみます。 一番大事なことは、花を咲かせて種を残すこと。 それなのに、踏まれても立ち上がろうとするのは、かなり無駄なエネルギーを使うことになります。 踏まれながらも、花を咲かせたり、種を残すことにエネルギーを注がなければなりません。

      • 進化する負け方とは?

        こんにちは、たかひとです。 思えば負け続きの人生でした。 その原因として、吃音が大きく関わっていたことは否めません。 でも、私に最も足りなかったのは、 「運命があなたにレモンを与えたなら、それでレモネードを作りなさい」の精神でした。 困難に直面しても活路を見い出す、ピンチをチャンスに変えるといった考え方です。 困難に遭遇したとき、心が疲れてしまい、多様な視点を持てなかったです。 あと、チャレンジの仕方にも問題がありました。 ナンバー1になれるオンリー1のポジションを

        • 何から学びを得るか

          こんにちは、たかひとです。 何か解決したい問題があったとき、最初は直接役立ちそうな本や教材から学ぼうとすると思います。 私の場合、さんざん自分を縛ってきた吃音克服にあたり、まず発声や呼吸法に関する本、次に吃音者の経験談などを参考にしました。 でも、一時的に症状が軽減しても、また元に戻ってしまうことが多く、頭打ちになる感覚がありました。 そんなとき、いったん吃音から離れて、リラックス法や、何か楽しいことを見つけて没頭するやり方に舵を切ってみたところ・・・ 知らず知らず

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          未来は常に過去を変えている

          こんにちは、たかひとです。 普通、人は変えられるのは、未来だけだと思っていますよね。 でも実際は、未来は常に過去を変えている。 あるいは、変わってしまうともいえる。 なぜなら、未来によって新しい情報が加わり、認知が変わると、過去の意味が変わってしまうからです。 そうすると、過去は変更できない事実の積み重ねではなく、 現在から観察され、意味が更新し続けるものになります。 ここで問題となるのは、認知及び観察です。 この質が悪ければ、過去は納得できないままの状態で保存され

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          武器としての漫画思考について

          こんにちは、たかひとです。 少し前に本屋でぶらぶらしていたときに、気になって手に取ってみたのが、「武器としての漫画思考」という本でした。 落ちこぼれだった著者が、ふと手にした「寄生獣」という漫画との出会いが転機となり、人生が大きく変わったとのこと。 この漫画は私も大好きなので、著者が転機になったというセリフを引用します。 漫画がクライマックスを迎え、主人公の新一が、おばあさんからかけられた言葉です。 「どんなことがあろうとも 決してあきらめず 臨機応変にね」 「できる

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          「感情類語辞典」で心のモヤモヤを分析

          こんにちは、たかひとです。 怒りや悔しい感情が起きて気持ちが何かスッキリしないとき、紙に書き出すやり方がありますよね。 なぐり書きでとにかく感じたことをバーッと書き出す。 終わった後には気持ちが晴ればれ。 でも、別のやり方もあるのではないか、と思っています。 それは、自分の感情をより解像度を高くして文章にしてみる、という方法です。 ただ「面白い」や「ヤバい」などという言い方では、表面的なものに過ぎません。 そこで、感情の解像度を上げるのに役に立つと思ったのが「感情

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          生きることに力はいらない

          こんにちは、たかひとです。 「生きることに力はいらない」という文章に出会いました。 すべての生物が様々な戦略を発達させて生きている。 考えなくても生きていくことはできる、と。 赤ん坊は、誰に教わらなくてもお乳を吸います。 やがて、誰かに励まされなくても、自分の足で立ち上がろうとします。 何度失敗しても、歩くことに挑戦し始める。 自分が赤ちゃんの頃はもちろん覚えていませんが、今よりずっとチャレンジャーだったかも。 すごいのは、赤ちゃんは「頑張らなければ」と歯を食いしば

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          どうやって視野を広げるか?

          こんにちは、たかひとです。 今のままの自分では上手くいかない、何かを変えようというときに、視野を広げることは大事ですね。 ただ、はみ出ようと思っても自分で選ぶ以上、ある程度幅が決まっていて、結局少しずつしか新しい視点が手に入らないというのが実状でしょう。 気づきや学びは、自分の考えとは違う考えがぶつかった時に起きるもの。 自分の考えがなかったり、他の考えを一切認めようとしない人は、視野が広がりません。 このとき、ぶつかる自分があることと、理解しようとする自分が必要に

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          遊びの効果について

          こんにちは、たかひとです。 スムーズに話せるようになるのを目指したとき。 必ずしも順調にいってなくても、「あれ、なんかこれいいかもしれない」という偶然出た感触を追いかけて再現させようとしたことがあります。 このいい感じがわかることと、いい感じが出せることが、吃音克服に限らず、スキル習得に大事だと思っています。 前者が美意識で、後者は遊びによって誘発される感じですかね。 そもそも遊びは、一見めちゃくちゃなように見えて、ある軸に従ってはみ出たり、軸を変えたりすることに面白

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          実験場を持つこと

          こんにちは、たかひとです。 成長するためには、新しいことを試して変わり続ける必要があります。でも、いきなり全部を変化させるわけにはいきませんよね。 そんな時に、仕事場のように、結果を出さないといけない場所と、いろいろ試せる場所の両方があると精神的に楽になると思っています。 学生時代の私は難発性吃音だったために、最初の音が出にくくて苦労しました。 そんな時、親しい人を相手にして、わざと最初の音を伸ばして「ぼ~くは」などと試したことがあります。 これをやったからすぐに吃音

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          ブレないことは大事だというけれど

          こんにちは、たかひとです。 ブレることは本当に悪いことなのだろうか? ちょっと疑問に思ったので、書いてみました。 勉強にしろ、スポーツにしろ、夢中になるときは、強烈に何かを信じて突っ走る時期と、それが急に馬鹿らしく思えて、ふっと方向転換する時期の2つがあります。 何も疑問をはさまず、一直線に進んでいけば、短期的には成果を出しやすいでしょう。 でも、それだけだと将来の発展にはつながりにくい気がします。 揺らぎが小さかったり、こうあるべきと、どこかに居着こうとした選手は

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          自己観察の話

          どういうときに自己観察が必要になってくるか? 逆に必要ないときは、物事が順調に進んでいるときだろう。 努力したぶんだけ成果として出て、周りからの賞賛もあるかもしれない。 でも、やればできたの段階が終わり、やってもできないかもしれないの領域に入ると、自分と向き合うこと。 自己観察をせざるを得ない。 私は高校時代にこれを上手くやれなかった。 入学して少したった頃から、勉強にしても、部活動の卓球にしても、やればできるという感覚を失ってしまった。 吃音矯正についても行き詰って

          自己観察の話

          目指すべきは自立ではなく・・

          答えは、相互依存。あるいは成熟した依存です。 河合隼雄さんの「こころの処方箋」に、「自立は依存によって裏づけられている」という項目があります。 自立といっても、それは依存のないことを意味しません。 そもそも人間は、誰かに依存せずに生きてゆくことなどできないわけですし。 依存を排除することではなく、必要な依存を受け入れること。そして、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝しているのが、真の自立とありました。 さらにこの後、決定的な一文が続きます。 依存を排して自立を

          目指すべきは自立ではなく・・

          億劫な映画を見た⁉

          「やばい映画を見た」と書くより、「これは億劫な映画である」と書き始めた方が引きが強くないか? という文章に触れて、なるほど、と思ったのがきっかけ。 そもそも億劫とは、非常に長い時間を意味するもの、 「刹那」の反対語とのこと。 テレビ中心で映画を見ていた頃。 「ゴッドファーザー」「セルピコ」「暗黒街のふたり」などが特に印象に残りました。 これらストーリーを順に追って楽しめる映画は、 必要以上に頭の回路を使いませんよね。 ところが、アルバイトするようになり、名画座デビュ

          億劫な映画を見た⁉

          力が抜けている表情、それが微笑

          本を読んでいたら、この一文で目が留まりました。 この後、 「そしてこの微笑のユーモアこそが、人間の人間たるゆえん、人間のいちばん強靭な心のありようなのだ」 と続きます。 前の文章も印象的で、要約すると、 微笑は、怒り、喜び、悲しみの3つの表情が織りなす三角形の中点にあるとのことでした。 ところで、なぜこの言葉が引っかかったというと、今までほとんどできていなかったから。 特に、吃音に悩んでいた、というより吃音に思考の全てを乗っ取られていた中学、高校時代に顕著でした。

          力が抜けている表情、それが微笑