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東京郊外で、老障介護真っ最中。私、76歳。長女51歳。知的障害、自閉スペクトラム症。てんかん。躁病。生活介護通所施設利用中。母は長女が通所している間に、映画や海外ドラマを見たり、編み物や刺繍をして、自分を保って暮らしています。

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東京郊外で、老障介護真っ最中。私、76歳。長女51歳。知的障害、自閉スペクトラム症。てんかん。躁病。生活介護通所施設利用中。母は長女が通所している間に、映画や海外ドラマを見たり、編み物や刺繍をして、自分を保って暮らしています。

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    知的障害、てんかん、双極性障害、自閉スペクトラム症の長女を育てながら、大学院で学び、障害者福祉課での各種委員をしながら、行政への働きかけをしています。

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    今まで沢山の本を読んできました。忘れられない本はお友達のような存在です。

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躁病の家族と暮らすということ

 鬱病の闘病記や、鬱病の家族の手記や漫画などは目にする機会が多いが、躁病の家族の記録や手記は、少ないように思う。 「楡家の人びと」や「夜と霧の隅で」などの作者、北杜夫さんは躁うつ病で、そのことを娘さんの斎藤由香さんが、「パパは楽しい躁うつ病」と言う本で書いているのは知られているが、それ以外はあまり聞かない。  海外ドラマでは、「ER」や「ホームランド」など、映画では、「世界にひとつのプレイブック」に双極性障害のある人が登場する。本人の生きづらさ、家族や周りの人たちの戸惑いや困

    • たかいたかいをしてもらったの

      秋ともなると、通所の施設などでは、行事が目白押しです。 長女ほかろんの通う、知的障害者生活介護施設では、11月上旬の文化祭が大盛り上がりで、本人たちも、見学の親たちも楽しい体験てんこ盛りでおなかいっぱいです。 そこへ加えて、11月中旬には、さらにさらにのお楽しみがありました。 東芝ブレイブルーパス東京と、市の障害者福祉課合同企画、ラグビー体験教室です。 ほかろんは、はじめ、自分達がラグビーの試合を見に行くのかと勘違いしていたようで、お昼ごはんはどうするのかなと心配していまし

      • 楽しかったな!生活介護文化祭

        先週は、木金土曜日の三日間にわたり、長女ほかろんが通う生活介護の法人のお祭りがありました。 まあ、文化祭みたいなものです。 ほんとうは、祭りの前に法人の名前がついています。 たとえば、早稲田祭とか、外語祭とかみたいに。 何をするのかというと、 日ごろの生活や行事の写真や作品の展示。 お習字は本当にいい味出てます。 おりりん織、模型、絵、はらぺこあおむしの蛹だとか、蝶々だとか、とてもカラフル。 発表もあります。 木曜日は、音楽。 ほかろんはハンドベルのド(赤いベル)。 「

        • 北へ南へ東へ西へ走るスクールバス

          毎朝、生活介護に通う知的障害の長女ほかろんを、バス停へ送っていきます。 長女が乗る路線バスの停留所の斜め向かいあたりに、幼稚園バスと特別支援学校のスクールバスが止まります。 大体、8時20分くらいの時刻でしょうか。 ほかろんは、園の送迎サービスを利用しておらず、本人の強い希望で、路線バスと電車(一駅)を利用しています。 親としては、定期代がかなり高いので、送迎サービスを使ってくれたらいいのになとは思いますが、本人のプライドとやる気を尊重しています。 私の住む町には、市の一

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          だのに、なぜ、歯を食いしばり

          1960年代のドラマに、「若者たち」というのがありました。 見たことのない人は多いかと思いますが、主題歌は歌えるという人がいます。 たとえば、小学校の担任の先生が、この主題歌がすきなので、クラスで歌っていたという人もいます。 また、母親が家で「若者たち」の主題歌をよく歌っていたので、自分も歌えるという人もいます。 そうなんです。 ドラマは見たことが無くても、主題歌は歌えるという人がいるのです。 この主題歌の、肝は、 「だのに、なぜ」というところだと思います。 ただ、「な

          だのに、なぜ、歯を食いしばり

          君の行く道は果てしなく遠い

          老障介護の日々は、できる限り、たんたんと穏やかに過ごしたいものです。 パっとすることのない、なんとなく茶色っぽいお惣菜みたいな日々を、たんたんと続けていくのです。毎日毎日。 これが老障介護の幸せです。 知的障害のあるほかろんが小さいころは、夜眠るとか、座ってご飯を食べるとかいうような、いわゆる普通の生活ができる状態ではありませんでした。 てんかんの発作も頻繁にありましたし。 だから、パッとすることもない代わりに、ドキッとすることもあまりない(少しはある)今の生活は、夢のよう

          君の行く道は果てしなく遠い

          「ししまいしよっ!」と突然に

          三連休の最後日の朝。 知的障害のほかろんとの二人暮らし。 いわゆる老障介護の私。 ほかろんを朝起こしに行くと、ベッドからがばっと起き上がって、タオルケットを頭にかぶり、言うことには、 「ししまいしよっ。」 わけもわからず、私もタオルケットをかぶせられ、 あ、こういうことか。 獅子舞しようということなのね。 ほかろんが頭のようで、私が後ろと役割があるらしい。 ほかろんは、 「ししまい、ししまい。」と言いながら、ぐるぐる回る。 前に進むことなくその場でぐるぐる回るものだから、

          「ししまいしよっ!」と突然に

          名前のないケア、見えないケア

          何が疲れるかっていうと、体だけでなくて気持ちが疲れるのです。 51歳の知的障害、躁病の長女ほかろんとの暮らし。 この半世紀というもの、自分一人分だけではなくて、ほかろんの分もだから、私は二人分の人生を送ってきたわけです。 ほかろんは、一人でご飯を食べることもできるし、一人でトイレも行けます。 生活面では結構自立しています。 挨拶もできるし、簡単なことなら受け答えもできます。 すばらしいのです。 よくぞここまで、育ちました。 しかし、なのです。 大事なことの判断や、予定の組

          名前のないケア、見えないケア

          たんたんたんとたたんとたんと

          雨上がりの朝の桜並木は、秋だって桜餅の匂いがします。 朝、生活介護の通所に行くほかろんを送った後、深呼吸すると、起きてから二時間ほどのやりとりというか、闘いの疲れがどっと出ます。 朝起こすときの、らっこらっこ、サイクリング、えんやとっと、刑事部長、ぽんぽこなどの、ゲームのようなルーテインなど、はたからみたら、なんとばかばかしいことをやっているのかというようなもの。 あれヤダ、これヤダ、のヤダさん攻撃。 いくつになっても、出かける前は、戦場です。 とくに、今年のように、天候

          たんたんたんとたたんとたんと

          燃え尽きたのか、油が切れたのか

          何もしたくないのです。 本当は、お布団被って、一日寝てたいのです。 心も、体も、カラカラになっています。 しかしね、現実が許してくれません。 土曜日は、障害者と共に過ごそうという、「軽スポーツ大会」という行事があって、知的障害のほかろんが通う生活介護も参加するので、私も一緒に参加しました。 ほんとはね、一日中寝てたかったんだけどね。 まあ、参加してみれば、曇り空ではあるけれども、外の空気は気持ちいし、 のんびりゆったりした、プログラムの進行も、心地いいゆるゆる感だし。

          燃え尽きたのか、油が切れたのか

          平熱先生、190ページと192ページ。

          「ここ塗ってね」と画用紙を指差したわたしの指を丁寧に塗りたくってくれる特別支援学校って最高じゃない? 特別支援学校の教師、平熱先生の本を読むと、心が軽くなります。 なぜかっていうと、知的障害のある人を、普通の社会の視点からではなく、障害のある人の立ち位置から、見つめているからです。 どうしても、世の中は自分の属している世界から、物事を見つめてしまいます。 だから、インクルージョン教育などという言葉を聞くと、自分は普通と思っている人は「障害のある人を普通の社会に受け入れる」

          平熱先生、190ページと192ページ。

          木の根っこに躓いて転ばないようにね

          魔の三連休です。 知的障害と躁病を併せ持つ長女の生活介護の三連休。 家族が何とかする三連休。 家族といっても、76歳の高齢の母が、ひとり頑張る三連休。 私はできるだけ、頑張らない生き方をしていきたいのに。 できるだけ、楽に楽しく暮らしたいのに。 頑張らないと生活できない三連休。 三連休中日は、羽根木公園の雑居祭りに行きました。 水泳カウンセリングの先生の奥様が、毎年、菓子工房として参加しているので、ほかろんと一緒に出掛けます。 今年は、規模がだいぶ縮小されていて、参加団

          木の根っこに躓いて転ばないようにね

          肩身は狭くないけれど

          一昨日は、電車を3回乗り継いで、水泳カウンセリングに行きました。 知的障害や発達障害の人たちを対象にした、水泳のレッスンを受けて、カレーライスを食べての帰り道。 プールから上がるとほかろんは、とてもおだやかで、すっきりした表情になります。 きっと、気持ちがよくなるのでしょう。 私も、プールに行くと、体が軽くなって、気持ちがリフレッシュされるので、よくわかります。 帰りも、電車を3本乗り継ぎます。 井の頭線吉祥寺駅に、競馬場の広告が出ているのを、ほかろんは楽しみに見ています。

          肩身は狭くないけれど

          くちびる噛みしめ、緊張の日々

          朝晩涼しくなってきたと思ったら、虫が増えてきました。 キンチョーさんにはお世話になります。 ほかろんは新しいことを経験するときとか、人前で発表をするときとかは、すごく緊張します。 そういう時は、顔でわかります。 くちびるをまっすぐに引き締め、難しい顔つきになります。 ご飯を食べる時も、難しいことを考えている人のような、難しい表情で黙々と食べます。 躁状態の多弁な時とは、うってかわった沈黙の時が続きます。 そして、大役を果たした後、あるいは、初めての経験を成し遂げたあとは、

          くちびる噛みしめ、緊張の日々

          ほかろん哲学

          弱者って言葉が好きではありません。 たいてい、自分は普通と思っている人たちが、自分達より下にいると思われている人を指して、使っているように思えるからです。 私は、弱者という言葉を使うことができません。 書物の題名や、講演会のテーマに、弱者という言葉が使われていると、なんだかなあ、上から目線だなあと思ってしまうのです。 そういうことを、くどくどと考えてしまうのは、障害のある長女ほかろんと暮らしているからだと思います。 私たち親子への「弱者としての視線」を受けることは、悲しい

          ほかろん哲学

          安楽死が合法の国で起こっていること

          児玉真美さんはすごい。 重度障害の娘さんの母であり、海外の福祉や医療の状況を、極めて冷静に翻訳し続けている。 2020年に、重度障害者の老障介護の厳しい現実を書いた 「私たちはふつうに老いることができないー高齢化する障害者家族」の次、 2023年には、 「安楽死が合法の国で起こっていること」が出版された。 私は、普通に老いることができない障害者の母親で、76歳の今も、オールドケアラーをしている。 ヤングケアラーとか、ビジネスケアラーとかいう言葉が独り立ちして理解を得てきてい

          安楽死が合法の国で起こっていること