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1395.もしかして、このままの私でいいよね。もしかして、変わらなくたっていいんだよね。【暗示の外し方72.】
Maybe it's okay for me to stay the way I am. Maybe it's okay for me to never change.
【お馬鹿なcoucouさんの生きるヒント399.】
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1.「お馬鹿なcoucouさんの大好きな言葉130."Silly coucou's favorite words 130.
「ふわふわの魔法の葉」"FluffyMagicWords "
自分を好きな人って、
Someone who likes me,
自分に対して、
To myself,
怒ったり、
Angry,
いじめたり、
Bullying,
自分のせいになんてしないよね。
You don't blame yourself.
自分を好きな人って、
Someone who likes me,
自分にも、
To me too,
人にも優しいし、
He is also kind to people,
許せるし、
I can forgive,
あたたかいよね。
It's warm.
自分を好きな人って、
Someone who likes me,
自分を、苦しめたり、
Tormenting yourself,
悲しませたり、
To make others sad or
泣かせたり、
Making them cry,
しないよね。
No, you don't.
自分を好きな人って、
Someone who likes me,
自分を、大事に、
Take care of yourself,
自分を、大切に、
Take care of yourself,
自分を愛することができるんだもの。
That you can love yourself.
そんな人になりたい。
I want to be that kind of person.
Ⓒcoucouさんの言葉97.
ⒸWords from coucou
Ⓒ英文 coucou
ⒸEnglish: coucou
忙しいって、
I'm busy.
誰もが嫌なことだけど、
It's something that everyone hates,
その忙しさが、
The busyness of
自分にとって、
For me,
必要なものだったら、
If it's something you need,
喜んであげようよ。
Let's be happy.
だって、
Because,
人に振り回されて、
Being pushed around by people,
忙しいんじゃあないんだもの。
It's not that I'm busy.
Ⓒcoucouさんの言葉98.
ⒸWords from coucou
Ⓒ英文 coucou
ⒸEnglish: coucou
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2.さよならぼくのともだち「卒業式と入学式」Goodbye My Friends "Graduation and Entrance Ceremonies"
もしかして、もしかして、笑わないでくれるなら、この気持ち、打ち明ける、お酒の力を借りてでも♫もしかして、もしかして、あなたにフラれたときは、お酒の席のことだから、笑ってごまかせるわ、私♫(「もしかして」同級生小林幸子のバージョン♫)
なにげなく、なにげなく♫
こんなにも、こんなにも♫
こんな失恋の歌を想い出す~(笑)
お馬鹿なcoucouさんは失恋の達人、いや失恋の名人~(笑)
だけど、なんでこんなに人を好きになるのだろうね?
自分にまったく自信なんてない。
むしろ、自己否定のかたまり。
だけど、散々泣かされているのに、懲りない。
自分が不思議~(笑)
だけど、きっと寂しかったんだね...😢。
ダメダメダメの愚かでお馬鹿なcoucouさん。
でも、落ち込んでもまた立ち上がる。
さらにどん底に落とされる。
そしてかなりの年数をかけて元の場所に戻る。
まるで永遠にたどりつかない双六ゲームのような人生な気がする。
そう、いつも、いつもふりだしから、はじまる。もしかすると1年365回以上のふりだしに戻って来たかも知れない。
だけどね、愚かでお馬鹿なcoucouさんは小林幸子の歌を聴いて目覚めた気がする。その歌は、coucouさんに希望を与えた。
その言葉が「もしかして...、もしかして...」だった。
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誰からも愛されない。誰にも好かれない。
むしろ、嫌われている。
ある人からは「〇ね」とも言われた。
とっても酷い言葉だけれど、当時は酷いとは思わなかった。
だって、確かに自分の方が酷いんだもの。
だから、そんな人たちのすべての話を素直に受け入れていた。
この日は、お馬鹿なcoucouさんの人生の最後の日。
だけど、不思議な事ばかり起こった...。
次々と奇跡が起きた。誰も信じなくてもいい。
coucouさんだって今も信じられない…。
当日、人生の最後の日、仕事場の天井から水道管が破裂した…。
出てこい、といわれて車で現地に向かう途中、その日限って車が動かない。相手は数十人待ち構えていたらしい。
食べるもののないcoucouさんにお米を届けに来たものがいた。
炊くものがないと言ったらリサイクルショップで炊飯器を買ってくれた…。
お金が一銭もないと答えたら3万円をポケットに突っ込まれた…。
布団がないと言ったら毛布を届けに来てくれた…。
coucouさんはたくさんの人たちに迷惑をかけた。
ある男性が4,000万もの大金を返さなくていい代わり復活してくれという…。
だけど、もう、coucouさんには戦う力がない。
ある会社の人が3,000万は帳消しにするという…。
今までさんざん儲けさせてくれたからお礼だよ、という…。
だけど、わずかに3万円で許さない者もいる。
今は、もう、この世を去ってしまった友人が泣きながら50万円を届けに来た...。
なんなんだ、おい、人生。
逃げるな、死ぬな、そのままでいろというのかい、人生。
(細かくは過去のnoteにすべて記載のため省略)
そして、何もない、弁護士も雇えない裁判以外に何もない日々が続く。
裁判が始まると相手側の弁護士から罵倒される。
すると、裁判官が「coucouさんは弁護士もいないでしっかりと来ている者に対して、失礼だ...」と怒鳴り返した。
帰り際、その裁判官はcoucouさんに「…死なないで下さい」と声かけられた…。
差し押さえ執行官が「道具屋」(回収屋)とともに、coucouさんのすべてを差し押さえ始めた。coucouさんは家族がいるからせめて冷蔵庫は残して欲しいと言った。
しかし、道具屋は耳を貸さない。
そんなとき執行官が耳元で「coucouさん、全部無視しなさい。すべて拒否しなさい。奴らの言いなりになってはいけない...」と助言してくれた…。
そして、結果、すべての家財は残った。
帰り際の執行官は「...ちやんと生きてくださいね」と言った…。
当時、仲の良かった市長がcoucouさんを見かけて近寄ってきてくれて「coucouくん、良かったな~」という。その場ではまったく意味がわからなかったけど、叱咤の激励だった。酷い輩もたくさんいるけれど、心優しき人たちもいた...。
なんなんだい?
人生さん。
だけど、coucouさんは闘う力も生きる力も失っていた...。
そんなとき、友人から本日の葬儀の先輩を紹介してもらった。
地元ではあまりにも有名なcoucouさん。
もう、二度と表の世界などには足を踏み入れないと決心したばかり。
人生の終わりの45歳だった。
そして、その先輩はcoucouさんと年間顧問契約をしたいという。
coucouさんの初めての商店街の仕事だった。
でも、coucouさんは丁重にお断りした。
どうしてって?まだ未解決だし、裁判だってまだ24件も控えている。それに、もう、誰にも迷惑をかけたくなかったからね。
それに事業は懲りた...。
そしたら、先輩は「心配しなくていい、coucouさん、俺があんたを守るから...」という。
彼を紹介したのはcoucouさんの同級生(先輩の義弟でお米を届けに来た友人)。
「二人でcoucouさんを守るから..」という。
もう、断る理由はない…。
そして、二人は口をそろえて言う。「coucouさん、お前には才能があるんだよ...」という。
でも、自分じゃあわからないし、何よりも迷惑なんてかけたくない...。
「この商店街を復活させてほしい、好きなようにしていい」とも言われた。
同級生は「おめえは、凄いんだよ、復活するんだよ...」という。
そして、商店街の復活と共に、25年間顧問契約をして約束を果たした。
そして、地元の商店会、3か所と顧問契約を結んだ。店舗数にすると約180店舗のお店とつき合うようになった…。
なんなんだい?
人生さん。
そして、もうひとつの約束がこの地元の100億の大プロジェクトだった。
仕事の合間に3人で署名活動。
運営資金は寄付集め。そして、最終的に20人ぐらいのチームとなった。
そして、本年度から着工。完成は5~6年後となった。
だけど、その18名の仲間たちは次々とこの世を去り、最終的な生き残りは先輩とcoucouさんの二人だけとなった。
25年前、60歳から70歳の人たちは85歳から95歳の高齢者となり順番に去っていった。この人たちは先輩とcoucouさんを応援し続けてきてくれた人たち。
そして、お馬鹿なcoucouさんを支え続けてくれた最後の人とのお別れ…。
先日はお通夜、一昨日は告別式。
この20人の人たちと先輩の功績を話した。
coucouさんを一人ぼっちにさせた悔しさも話す。
おそらく、このプロジェクトが完成したときはこの仲間たちの存在を誰も知らないだろう。
たけど、お馬鹿だけれど、coucouさんが、このことを残す役目がある。
誰も、このことで儲かった人などいない。
みんな手弁当。
これからの子どもたちのために残したい。
ただ、その一心以外にない。
なんと素晴らしい昭和の男たちなんだろう。
葬儀委員長と弔辞を頼まれた。
ちゃんと話せるだろうか?
でも伝えなければいけない。
だから、今日も、泣いてたまるか?
だけど、無理、止まんない...。
先輩の奥さま、子どもたち、孫たちと一緒に始まる前から泣きっぱなし。
愚かなcoucouさんは葬儀委員長なんだ、泣いていたら笑われる...。
だから、笑ってお見送りさ。
なんだい、人生さん。
こんなことまでさせるのかい...。
いいよ~
やってやるよ...。
5日の通夜はなんとか無事に終えた...。
そして、6日の葬儀は朝9時に葬儀場に出向いた。なんて冷たい風なんだろう...。またしても始まる前から涙が止まらない。奥さんや子どもたち、お孫さんたちがcoucouさんの顔を見るなり泣き出した...。(みんなcoucouさんを抱きしめてくれた…)
弔問に来ていただいた方々は国会議員、市議会議員、都議会議員、行政関係、顧問先の商店街、地元町会、友人、同級生。そして、coucouさんのイベント事務所役員さんたち。
お坊様たちが3人でお経唱え、そのまま弔辞となった。coucouさんは、数日前から彼が夢に現れて話した言葉を手紙にしたためた。亡くなった本人からの手紙を弔辞として、読み上げた。彼が、話したかったこと、伝えたかったことをまとめたものだった....。
なんなんだい?
人生さん。
2月5日記
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皆さま、こんにちは。
本日は私、○○○○のためにお忙しい最中のご臨席に心から感謝申し上げます。
また、生前、協同組合○○パークハイツ名店会・○○名店街の創業以来、たくさんの方々に支えられながら、大変お世話になりましたことを心から感謝申し上げます。
また、昨年の7月11日に私の母、の葬儀にたくさんの人たちに来ていただき、この場をお借りして御礼申し上げます。
さて、私の生涯の大きな仕事としては「JR○○駅南北自由通路」でした。中央線で東京駅から○○駅間で唯一、南と北が分断されており、なおかつお金を支払わないと駅を渡れない。そんな地元の皆様の声によって、自分たちの代で未来の子どもたちが安心、安全な自由に通路を歩ける駅として活動してきたのが、私たちJR○○駅南北自由通路促進委員会の設立でした。
当初は、○○南口を考える会としてスタートして「JR○○駅南北自由通路促進委員会」と名称を改めて、平成7年(1995年)7月15日より、具体的に署名運動を開始しました。平成11年(1909年)11月20日に46,207名の署名を集めて市に要望書を提出しました。
それから、市、東京都、国政(国土交通省)へと運動を拡げて、約31年の月日が流れました。そして、当時の発起人は○○さんと○○さんと私の3人ではじめ、○○さんが急逝し、当商店会より故○○○○氏を会長として活動をはじめました。
当時のメンバーは、私、○○〇〇、coucouさん、○○地区町会会長故○○〇、故○○〇〇、故○○〇〇、○○〇〇、○○〇〇、〇〇町会連合会故〇〇会長等、地元町会、地元商店会の皆様のご支援によって、現在に至っています。
何よりも、この31年近くこのJR○○駅南北自由通路促進委員会に現在も最大なる応援を続けていただいている○○〇〇〇衆議院議員及びスタッフの皆様には感謝しかありません。
また、この31年間の中で「JR○○駅開通100周年記念」を平成13年(2001年)に、当時の○○駅長と地元住民と力を合わせて「○○駅100年記念」を祝いました。同時に記念として、JR○○駅南北自由通路促進委員会として、自然と史跡の探訪カイド「○○駅界隈」を発行。また、季刊新聞「○○界隈」を協同組合○○パークハイツ名店会・○○名店街で発行し続け、東京都より受賞されました。
現在の○○駅長さんたちは当時の内容を現在も理解していただいています。
平成14年(2002年)3月19日市議会議員懇談会開催。同年、9月4日に国土交通省説明会。10月13日市議会議員、都議会議員、衆議院議員、市と意見交換会開催しました。
平成15年(2003年)市の職員の方々とともに、小田原市視察、東京都都庁勉強会、豊橋市駅視察、その後、福生駅、川越駅視察、新潟駅、亀田駅、新津駅、拝島駅、その他「橋上駅」各地の「南北自由通路」の視察を続けてきました。
そして、令和7年に入り、いよいよJR○○駅南北自由通路が進むことになりました。現在、当時の発起人のみなさま、たくさんの協力者の方々がいなくなりましたが、南北自由通路促進委員会は新しい若者たちに参加してもらい、この今までの歴史のほとんどを伝えることもできました。これからは新しい人たちとともに無事に完成していただくことが私からの最後のお願いとなります。
市、地元商店会、料飲組合、地元町会、地元NPО団体、ボランティア団体並びにJR○○駅歴代駅長様方にもお世話になりました。改めて心から御礼申し上げます。
最後になりますが、私事になりますが、私の妻〇江には最後の最後まで面倒をかけたことに感謝申し上げます。長女ひろみ、次女てるみ、孫のさゆ、みずき、そうすけ、兄弟姉妹とともに幸せになって欲しいと心から願っています。妻の姉、〇子さん、〇子さん、〇子さん、ありがとうございました。お母さんをよろしくお願いします。
そして、妹の○○子、ありがとう。〇さんも妹のことをよろしくお願いします。
本日は、このような形でのごあいさつとなりましたが、皆さまには心より感謝申し上げます。皆様のご健康を心からお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
令和7年2月6日
JR○○駅南北自由通路促進委員会・会長○○
代筆 coucou
お馬鹿なcoucouさんを31年間も支え続けた恩人、兄だった...。
これを弔辞とした。
兄貴の想いを全部伝えたよ。
この日は朝9時から夜の8時までのお別れ会となった。
お馬鹿なcoucouさんはくしゃくしゃ、みんなも、くしゃくしゃ...。
なんだよ、この涙の渦は...。
そう、ありがとうの涙なんだ~
31年間、署名運動から初めて、わずかに3人で100億の規模の事業が実を結ぶ。だけど、coucouさんは最後のひとりとなってしまった....。完成したら、全員の写真を持ってテープカットする。もう少しばかり、生きないとね。
なんなんだい?
人生さん。
酷いぜ~
2月8日記
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coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~
もしかして、こんなcoucouさんで良かったのかもしれない。
もしかして、このままのcoucouさんでいいのかもしれない。
もしかして、こんなにも駄目でも良かったのかも知れない。
もしかして、こんなにひどいcoucouさんで良かったかもしれない。
もしかして、こんなにも不器用なcoucouさんでもいいのかもしれない。
愚かで、お馬鹿なcoucouさんは自分を疑い始めた。何も変わらないし、変える必要もないし、変えること自体無理な話。
もしかして、もしかして♫
なにげなく、なにげなく♫
こんなにも、こんなにも♫
本日はとても長くなってしまいました、それでもおつきあいありがとう~
涙明けの一夜。目が晴れて開かない...。さすがに疲れ果て、昨日はいつもの治療院で身体の修理。元気になりました~
みなさんにコメントの返事もスキもちゃんとできぬままの数日間。本日は一日、coucouさんの事務所でお返事~🤣とnote三昧だ~こんなに安らぐ場所はない🤣みんなにも会いたい🤣この数日間は、数週間の長さ。時間が止まった気がする。
では、また明日。
もしかして♫もしかして♫もしかする~
文字数7,930文字
さて、また、ふりだし、また出発~
行っちゃうぜ~
ありがとう、みんな~
また、あしたね~
👇もしかして 小林幸子 (1984年発売) 2013 10 8 HD 70歳の幸子の歌
👇「昭和100年」(戦後80年)昭和29年生まれの元気が出る動画 【伊東彩のほんのり昭和回顧】
👇ラストにお馬鹿なcoucouさんの想い出の昭和の歌🤣タイガース①お馬鹿なcoucouさんまデビュー曲(笑)『僕のマリー』(歌詞付け)1967年🤣これも、聴いてね🤣
coucouさんのアーカイブス(過去作品)だよ、みてね~
coucouさんのお気に入りnoteの素敵なクリエイターさんたち~
coucouさんのホームページだよ~みんな、みてね~
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