大学受験してた頃は、こんなクソみたいな時間はよ過ぎろボケがと思ってた。でももし志望校入れれば、きっと凄い学びが待っていると信じてガリ勉した。思えば勉強なんて、筋トレみたいなもんで、何がどう転ぶか分からないものさ。。
諦める事と深追いしない事は微妙に意味合いが異なる。諦めるとは切り捨てる事で、深追いしないとはまた機会が巡ったら追うかもしれない事。受験も気位を、誇りを捨て去り諦めるのではなく、受かる為に深追いはここではしない。ここら辺区別出来ないとメンタル喰われる。
諦めない事を数式化するなら、人格を式に変えるのなら僕の場合係数が相当デカいのだと思ってる。変数に入る数を4倍5倍にして、Yを倍以上にする。その代わり変数がゼロだと、いくらモウティベーション、係数が高くともゼロとなる。だから物事に無頓着になることを恐れているのかもしれない。
一時期教養番組が席巻してたとき、多くの東大生・京大生タレントが騒がれた。特に京大の宇治原さんは受験の導師として祭られ、多くの紙面に載った。だがしかし、教養が一過性のものとされ、勉強の動機付けが世情に翻弄されるようでは、足腰のしっかりした教育の土台は築かれないだろう。教養を文化に。