見出し画像

年間読書人こと田中幸一さんについて私なりの評価/彼は推しが好きなだけなんです

 どうも、みなさん、こんにちは。
 吉成学人です。

 私は先月、年間読書人こと田中幸一さんのまとめ記事を発表して反響がありました。私の中では田中さんについては特に書き加えることがないのですが、記事の内容から若干の誤解をされている方が出てきたので、私の中での田中さんの評価を述べたいと思います。


1、否定的な意見と肯定的な意見を並べると…


 まず、年間読書人こと田中さんの評価をめぐって、否定的な意見と肯定的な意見で別れているのはご存知だと思います。とは云え、事実認識はほとんど同じです。

 例えば、否定的な記事を書いた令士葉月さんは田中さんについて以下のように述べています。


分かったことは、彼が独身のまま60歳を迎えた男だということ。
高校卒業後、就職浪人をして、大阪府警に採用されたこと。(出版・印刷・書店関係者だと推測していたが、元警官だったとは)
早く仕事を辞めたかったが同居する母親が生きている間は辞められず、その母親が亡くなったのを奇貨として早期退職したこと。
母親の葬式をしなかったこと。
ほとんど外出しない生活を送っていること。
「ネトウヨ」を敵視していること。
重度のアニメおたくであること。 

https://note.com/modern_ixora777/n/neb6a3f689111


 次に、肯定的な記事を書いたヤマダヒフミさんは以下のように述べています。


ただ、私が一点だけ言いたいのは、「年間読書人さんは文学というものをわかっている」という事です。

私が言いたいのはこの一点だけで、その他の年間読書人さんの性質や言説に関しては批判・肯定それぞれあっていいのだと思います。ただ年間読書人さんが「文学がわかっている」というのは重要なポイントであると思います。

https://note.com/yamadahifumi/n/nbccba6d3076f


 さて、読者の中で二人の事実認識のどこに共通点があるのかと思われた方もいるかもしれませんが、私は矛盾なく並べることが可能であると考えています。それは、田中さんは基本「消費者」として文章を書いていることを指摘している点です。令士葉月さんは「おたく」だと述べ、ヤマダヒフミさんが「文学がわかっている」と述べているように、事実の部分では「消費」の観点からしか彼について語っていないことです。二人とも、田中さんがなにかを生産したり、創作したことには触れていません。無理もありません。


2、「創造性」=「狂気」 


 そもそも、田中さんは昨年まで勤め人として生活されてきた人ですから、創作活動で生計を立てていたわけではないです。なので、彼の書く文章は基本的に、消費の延長でしかなく、なにか体系的な価値観を持った作品を創作することはないのです。それは田中さんに限ったことではなく、人間は自分の生活に関係のないことは基本的に疎かになってしまう生き物です。いくら映画が好きだからと云って、自分で映画を制作して作品として世に出すことは別の次元のように、「消費」と「創作」はまったく異なります。もちろん、「優れた創作」を行なうためには、「優れた作品」を消費をすることで、舌を肥やす必要もあると思います。しかし、「優れた消費者が優れた創作を行えるのか?」と云うと、私は疑問に思います。

 なぜなら、「消費」=「創作」とみなすのであれば、「優れた作品」をたくさん「消費」をすればするほど、「優れた創作」を行えると云うことになりますが、そう云う図式は成り立たないことを私たちは経験的に知っています。「消費」と「創作」が決定に異なるのは、ずばり「創造性」の有無です。

 「創造性」と聞くと、多くの人は作家や芸術家などを想起することから、「創造性」を持った人間を羨むと思います。それこそ、昨今はSNSが発達して誰でも自分の創作物を披露することは可能です。多くの創作物が目に付けば、当然、ライバルが大勢いるわけですから、「自分ももう少し、創造性があれば…」と思ってしまうかもしれません。
 また私たちは、あらゆる職業や職種で「主体性」や「柔軟性」などの「創造性」に付随する言葉が踊っている現状を知っています。やや戯画化すればこうなります。これからの時代は、組織から与えらたタスクを黙々とこなすよりも、自らが主体的になって仕事に取り組み、生産性を上げていかなければならない。また変化の激しい昨今、同じことをただこなすよりも、あらゆる変化に対応するために絶えずモデルチェンジを行わなくてはならず、柔軟性が必要となる。人と同じであってはいけない。むしろ、相手と違うこと、個性的であること、人と違う考えを持っていることは重要な価値である―。

 しかし、私たちは自分には世間で云われているような「創造性」なんてないことを知っています。あるいは、「創造性」を強調すればするほど、規格化された没個性的なものを感じてしまいます。例えば、私たちは全国展開する某スープ専門店とアメリカ発祥の某コーヒーチェーンの内装がよく似ていることを知っています。また店の雰囲気からなるべく特定の客層をターゲットにしていることも知っています。もちろん、全国展開をする飲食店は一定の規格化や客層を絞る必要があると思いますが、一方で企業が喧伝しているブランドイメージーたいていは創造性に付随する単語が散りばめられているーとのギャップを感じずにはいられません。企業や組織、個人を問わず「自分は人と違うことをやっているのだ」と強調すればするほど、没個性なものを感じてしまうのはなぜでしょうか?




 それは「創造性」の実態は決して褒められたものではないからです。
 例えば、あなたが見知らぬ人から「こんな話を思いついた」と云われた場合、どう思うでしょうか?


 フランスに留学しているに過ぎない一青年が現象学なるものを駆使し、地元の警察を無視して勝手に探偵になって殺人事件を解決する話。

 現実の作家たちを自分も含めて架空の物語に登場させ、架空の事件を解決させる話。さらに、事件現場には必ず汚物が落ちている。

 特殊な家系に生まれ、「魔眼」なる特殊能力を持ち、男女両方の人格を持ち、ナイフで魔物を殺す10代の少女の話。

 とある一族が次々と不審死を遂げていき、素人探偵たちが勝手に「殺人事件」として捜査するも実際にあった殺人は1件しかなく、ほとんどが事故死や突然死でしかなかった話。


 いずれも、実際に存在する小説作品のあらすじです。いずれの作品も高い評価を受けている名作と云われています。しかし、一方で小説や文学と云うパッケージを外して、あらすじだけを口頭で聞かされたら、どうなるでしょうか?私は「この人、ヤバいんじゃないか」と思います。そうです。実は、「創造性」はある種の「狂気」と表裏一体と云えます。端的に云って、世間一般からみて「頭が狂っている」からこそ、「創造性」を発揮できると云えます。


 作家の中島梓は『コミュニケーション不全症候群』の中で、「おタク」と「分裂症」は自分の内側にこもってしまうのは同じであるが、決定に異なるのは「創造性」の有無にあると指摘しています。そして、それは「反社会性か否か」でもあると看破しています。


 創造性というものは、実はさまざまな側面を持っていて、もちろんこの一点だけから切るわけにはゆかないが、しかし根本的に創造性というものは、ある意味では反社会性である。しかしおタクと分裂の違いが、おタクは基本的にこの社会の既成の社会性を受け入れた上での二重適応であり、分裂は幻想の社会規範を選んで既成のそれに背を向けた存在である… (略)おタクには自分で社会の受け入れない私的幻想つまり狂気か、あるいは基本的にはそれと変わらないのだけれどもなんらかのレベルに達していたので社会に受け入れられた私的幻想つまりフィクション作品となった創作か、そのどちらをも生み出す力がないわけである。

中島梓『コミュニケーション不全症候群』ちくま文庫、1995年、66頁。


 要は、自分の内面にこもりながらもなんとか社会と折り合いをつけている人たちが「おタク」と云うわけです。中島はプロの作家のため、同書では「おタク」を手厳しく批判していますが、私自身はあまり批判しようとは思いません。なぜなら、すべての人間が「創造性」を持ってしまうのは大変危険なことで、もしかりにそのような事態になったら、社会を維持することは困難になるでしょう。むしろ、たいていの人間が「創造性」を持っておらず、社会と上手く折り合いをつけることができるからこそ、生活できるわけです。

 ここまで説明すれば、私の田中さんの評価はわかると思います。要は、田中さんは極めて正常な「普通の人」だと云う結論に落ち着くことがわかります。田中さんには最初から「創造性」「狂気」なんてないのです。なにもないからこそ、勤め人として長年生きてこれたわけですから、そこをとやかく云っても仕方がないわけです。私の記事にコメントをしてきたBook Wormさんは田中さんを「新左翼」と評していましたが、彼自身がなにか体系的なイデオロギーを信奉しているとはとても思えません。もし、彼が彼なりのイデオロギーなり価値観を持っていたならば、とうてい勤め人なんてできなかったと思います。

 それを象徴する文章として、1996年に推しであった作家の笠井潔を批判した論文「地獄は地獄で洗え」で文壇の評論家たちを批判した以下のような一節を読めば明らかだと思います。


こういう、サラリーマンが上司を批判できず、帰途の飲み屋で同僚と上司の陰口をたたかねばならぬ、といったレベルに止まるかぎり、彼らが批評家としての本質の部分で伸びる道理はない。

「地獄は地獄で洗え」:『別冊シャレード48号』甲影会、2004年、40頁。


 田中さんにとって、リアルな世界と云うのは上下関係の厳しい勤め人の世界であり、その世界の悲哀を身に染みて知っているからこそ、ふとした瞬間で書けた印象的な文章であることがわかります。逆に云うと、彼の大半の文章はそうした厳しい現実世界からの逃避として書かれていると云えます。なので、私が書いた田中さんのまとめ記事は基本的に、彼が過去に書いてきたものを列挙しただけにとどめています。論評しようにも、中身がないものを批判したところで、どうしようもないわけですから。

 では、田中さんはなぜあちこちで、トラブルを起こしているのか?


3、「教養主義」。それは「他者からどう見えるか、それが問題だ」


 それは、「教養主義」と云う文脈を入れると理解できると思います。

 もし、読者の中で時間があれば、とある大学講師がユーチューブで日本の「教養主義」について解説している動画を視聴していただきたいのですが、講師の方が引用している高田理恵子『グロテスクな教養』では「教養」の本質を以下のように述べています。


 われわれは、教養というものを、自分自身で自分自身を作り上げようとすることと定義したが、しかし、どうやら、問題となるのは、自分自身ではなく、他者のほうなのである。そして、ヘーゲル風に言えば、自分自身は他者の承認によってしか確認できないのだから、これは正しい見解であろう。(略)「読まなければならない本、というもの」とは、他者が欲望する本である。
 他者からどう見えるか、それが問題だ。

高田理恵子『グロテスクな教養』ちくま新書、2005年、39頁。


 また講師の方が参考にしている竹内洋『教養主義の没落』では「象徴的暴力」、つまり「マウント」の一種として機能していたことを指摘しています。


教養主義とは、万巻の書物を前にして教養を詰め込む預金的な志向・態度である。したがって、教養主義を内面化し、継承戦略をとればとるほど、より学識をつんだ者から行使される教養は、劣等感や未発達感、つまり拝跪をもたらす象徴的暴力として作用する。

竹内洋『教養主義の没落』中公新書、2003年、54−55頁。


 そんな「教養主義」は戦前のエリート学生文化として受容され、戦後になると一般大衆にも拡大していきます。近代日本では試験による選抜によってエリートを決めていたことで階級や家に関係なく、人材を揃えることができた一方で、試験で受かった以外にエリートになった理由が存在せず、ヨーロッパのエリートのように、寄って立つ文化資本がない人がほとんどであったせいで、自分は単に試験に受かっただけの人間ではない、と云うことを常に証明しなければいけなかったわけです。そのさいの符牒として「教養」が機能してきたわけです。まぁ、要するに「背伸び」だったわけです。
 しかし、1970年に入り、大学などの高等教育が一般大衆にも手が届くようになり、大学を卒業しても普通の勤め人になるしか就職先がなくなり、教養を身につけることそのものに意味がなくなっていったわけです。

 

 マス高等教育の中の大学生にとっていまや教養主義は、その差異化機能だけが透けてみえてくる。あるいは、教養の多寡によって優劣がもたらされる教養の象徴的暴力機能が露呈してくる。いや大衆的サラリーマンが未来であるかれらにとって、教養の差異化機能や象徴的暴力さえ空々しいものになってしまった。

竹内、同書、214頁。


 もっとも、近代日本の組織そのものがサラリーマン的な文化を持っていたとも云えます。高田は、「就職」と「教養」は相容れないことを指摘しています。要は、日本の組織が人を雇うさいに、求職者が自分なりにものを考えるよりも、いかに就職先の組織に順応するかを求めたわけです。


西欧諸国に比べ日本の大学卒は早くに企業に進出し、またこだわりもすくなかったと、よく指摘される。しかし、官吏もサラリーマンもそう変わらずに、不屈の一兵卒魂を掲げたことのほうが、重要なのだ。一兵卒には、とりあえず教養なんて要らない。

高田、同書、105頁。


サラリーマン体制のなかで生き残るために大事なのが、人柄であり、対人関係であるというわけなのだ。

高田、同書、108頁。


 もっとも、田中さんが生まれたのは1962年で、戦前や戦後に教養主義が全盛期だった時代に青春を過ごしたわけでもなく、経歴をみても大卒のエリートではありません。しかし、彼が20代であった80年代は別の教養主義の全盛期でした。それが「ニュー・アカデミズム」です。通称「ニューアカ」です。


ニュー・アカデミズムとは1980年代中頃に浅田彰中沢新一の著作がベストセラーとなり、既存のアカデミズムの枠におさまらない新しい形の知のブームが生じたことを、マスメディアが社会現象として捉えて名付けた造語[1]であり、厳密な定義のない用語である。基本的に、記号論構造主義ポスト構造主義ポスト・モダニズムといった西欧の当時の学問の潮流の日本への輸入と並行して生じた潮流を差していた。 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%83%A0#


 高田は「ニューアカ」が教養主義の極致であったことを指摘しています。端的に云うと、「友情」を全面に押し出した人間関係しかなかったとも云えます。「友情」に基づいた人間関係によって「選別」が行われていたとも云えます。あたかも、かつての旧制高校が入学試験でエリート学生を「選抜」したように、です。


ニューアカにおいては、明確なグループは存在しなかったのに、そうした文学的友情が、はじめからそのように演出され、提供されていた。ニューアカが軽やかで自由であったのは、あるいはそう見えたのは、それが専門や文理の壁を取っ払い、学閥やイデオロギーを超えたからではなく、友情を全面に押し出したからである。
 そして、教養主義の基盤であった旧制高校的友情が、対等な男同士の自由な結びつきでありながら、まさにそれゆえに閉鎖的であったように、友情に基づく自由な参加を呼びかけるニューアカは、既成の学会に依拠する研究者グループよりも、ずっと残酷に選別的であった。ニューアカは、教養主義の差別的な性格を隠さなかったわけだが、ただし、これは非難の言葉ではなく、選別なくして、教養(主義)なんかありえないのである。

高田、同書、166頁。


 もっとも、その「友情」なるものは多分に人工的なものであった、とも云えます。


 ここで浮かび上がってくるのが、ニューアカにおける編集者の活躍である。例の友だち関係の創作と演出、つまり「選別」もまた、編集者によって担われたのである。いや、編集者じたいが、お友だちの輪に属しているように見えた。

高田、同書、168頁。


 実は、田中さんの書いた文章をニューアカ的な教養主義でみた場合、ある種の一貫性が存在します。端的に云うと、田中さんは「選別」から外されてしまった人の立場から文章を書いているとも云えます。

 例えば、前述の「地獄は地獄で洗え」で、当時の笠井と関係が深かった作家の島田荘司を批判したさいの反響を以下のように述べています。田中さんは、あえて自分の批判を「子供の不用意な論評」「馬鹿な子供」と謙遜しているように、自分は「友情」に入れないことを理解しています。


 元来、私のような世間知らずの子供は、有能な評論家のみなさんとは違って「王様は透明の布で仕立てられた王衣を着ておられる」「王の持って生まれた気品こそが、何物にも代えられない最高の王衣だ」などといったユニークかつ鋭い論評はできず、ただ芸もなく 「王様は裸だ!」と叫ぶことしかできないのだが、言うまでもなく、子供の不用意な論評は、まんざら馬鹿にしたものでもない。世間の人は、特殊な能力を持っている評論家たちとは違って、馬鹿な子供程度にしか、本当は物事が見えていないのである。だから、馬鹿な子供がタブーを破って、ひとたび「王様は裸だ!」と叫べば、まるで呪いでも解けたかのように、みんな一斉に「王様は裸だ!」「王様は素っ裸だ!」と言ってゲラゲラ馬鹿笑いを始めないとも限らないのだ。無論、その子供に王様を馬鹿にする意図は無かった。ただ「誰が見てもあたりまえだと思えることを、誰も口にしないものだから、つい自分で口にしてしまった」だけなのだ。そして、その子供は本人の意図や気持ちにかかわりなく、こう呼ばれるようになった――『島田荘司送派』。

同上、41頁。


4、「友情」は大切だ


 ある意味では、田中さんの書いてきた文章は常に、人間関係ばかりだったとも云えます。試しに、1994年に初の商業出版デビューを果たした親交のあった作家の竹本健治『トランプ殺人事件』の解説を株式会社ユーザーローカルが提供するテキストマイニングにかけると以下のような結果が出てきます。文章内での単語の重要頻度を表す「スコア」からみると、著者の竹本よりも中井英夫と云う作家が全面に出てくることがわかります。

 

ワードクラウド


単語出現頻度


 なぜ、竹本健治の著作の解説にも関わらず、中井英夫と云うまったく別の作家の名前がやたらに前面にうち出ているのかと云うと、竹本が作家デビューを果たしのは中井からの援助があったからです。また、田中さんも中井と個人的な親交がありました。

 

『虚無への供物』の中井英夫に推薦を受け、探偵小説専門誌『幻影城』にいきなり長編連載という破格のデビューを飾り、そのデビュー作『匣の中の失楽』によっていわゆるメタミステリー・アンチミステリー作家として注目される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9C%AC%E5%81%A5%E6%B2%BB


 そして、その中井は田中さんが解説を書く一年前の1993年に、肝不全のために病院で亡くなっています。なので、田中さんの文章の冒頭では、いきなり中井が入院している病院からの電話が出てきます。


 アラビクの"サロメの夜〟から数えて四十年目のその夜、私は中井英夫の助手である本多正一からの電話を受けていた。電話の内容は、その年の七月より入院生活を続けていた中井の病状がいよいよ悪化し、意識はしっかりしているもののいつ何があってもおかしくない状態に立ち至ったので 「その覚悟でいてもらいたい」というものであった。

竹本健治『トランプ殺人事件』角川文庫、292頁。


 そのため、小説の解説であるにも関わらず、個人的な親交があった中井が亡くなったことへの悲しみで溢れた文章となっています。田中さんは中井のデビュー作『虚無への供物』を愛読しており、私のまとめ記事で紹介した『「得体のしれない怪物のようなもの」の所在』でも作家の法月倫太郎が中井をディスっていたことに立腹し、『虚無への供物』の作中人物の言葉を引用しています。要は、彼にとって、中井も推しの作家の一人だったわけです。


 本多との電話は三十分間くらいだったろうか。「とにかく先生のこと、お願いします。 こんな決まり文句しか言えないのが残念ですけど、どうか、頑張って下さい」そう言って私は受話器を置いた。 本多からの報せが良いものでなかったからというわけでもないのだが、私はその手で気のおけない友人 のところへ電話を入れ「今年の日本のミステリは不作だった」のどうのと愚にもつかない話で二時間 もつぶしてしまった。電話を切ったのは、 日付も間もなくかわろうという頃だった。...しばらくして電話 が鳴った。「誰だろう、 今時分」既に深夜零時を十分ほどまわっていた。受話器をとって応答すると、 電話の主は 「私は......」と名のった後「実は昨夜午後十一時五十分に中井英夫が亡くなりましたの で、 そのご連絡を............」。絶句と言うにも足りない一瞬の後、私は相手に機械的に受け応えしながら、その言葉の意味を理解しようとしていた。「中井英夫が死んだ」 ・・・・・・ だが、その言葉はいっかな現実感を持たぬまま空洞化した頭の中を虚しく木霊し続けるだけだった。

同書、298頁。


 冷静に考えれば、田中さんの役目は『トランプ殺人事件』と云う作品内容の解説であって、中井英夫と云う別の作家の名前を出す必要性は存在しません。私も最初に読んだときは、一向に『トランプ殺人事件』の話が全然出てこないで、中井と竹本の人間関係ばかりが出てきて「えっ?!」と思ったのですが、80年代のニューアカの雰囲気が残っていた当時の背景を考えると、こう云う人間関係が全面に出ている文章を許容する空気が存在していたと云えます。
 また田中さんの解説を収録している文庫版を刊行した1年後に、竹本が上梓した『ウロボロスの基礎論』でも中井の葬儀の様子が書き込まれているため、著者である竹本も前述のような内容の解説を許容していたとも云えます。もっとも、現在からすれば「友情」のような個人的な人間関係をまったく知らない読者がいきなり読まされたら、「そんな内輪の話をされても…」と困惑してしまいます。

 田中さんは以後も、中井に関する文章を書いています。はっきり云うと、商業出版で掲載された文章の大半が中井にまつわるものばかりです。

 例えば、晩年の中井の助手を務めていた写真家の本多正一が2000年に刊行した『プラネタリウムにて』では、「中井英夫と本多正一」(初出は、94年の『SR−MONTHLY 5月号』と云う同人誌なので、再収録したもの。もっとも、本多の文章も90年代後半にあちこちの雑誌に掲載したものを再収録したものが多い)と云う文章を寄せています。

 同文は田中さんには珍しくクセがありません。田中さんも本多も中井のファンで、推し活が昂じて中井の自宅にまで訪問したそうです。田中さんからすれば、自分こそ真の推しで、古くから中井と付き合いのある人に対しても嫉妬めいた文章を書いているのですが、本多には特別な理解を示しています。
 曰く、「本多正一には負けた」(本多正一『プラネタリウムにて』葉文館出版、2000年、168頁)そうです。芸術家肌で自己主張が強い一方で、アルコール依存症で生活能力が乏しかった晩年の中井をつきっきりでケアしていた本多へのリスペクトが感じられる文章が連なっています。


 本多正一は中井英夫のことを語る時、しばしば中井を「きちがいじいさん」と呼んだ。実際、中井英夫は世間の道理の通らない人、自分の思い込みに言いたいことを言い、他人に要求する、世間の常識で言えばまさに「きちがいじいさん」だった。だが、本多の「きちがいじいさん」という言葉には、そうした反語でしか語れぬ愛情が籠もっていた。

同書、168頁。


 本多正一は時々、苦笑するように私にこう語った。
 「なんでこんなことになっちゃったんだろうな。ただの中井英夫のファンの一人だったのに。その方が良かったですよ」
 でも、それはたぶん嘘だろう。彼は中井英夫のために随分苦しんだけれど、今はそれも喜びとなったはずだ。そこには純粋に他人を愛し、その人のために精一杯力を尽くすことが出来た時だけ得られる、幸福な満足感が必ずあるはずだからだ。

同書、170頁。


 なお、本多は東京創元社から刊行された中井英夫の全集や2007年に河出書房新社から刊行された『KAWADE 道の手帖 中井英夫 虚実の間(あわい)に生きた作家』の編集に携わっており、いずれの媒体でも田中さんは文章を寄せています。

 なお、2013年に刊行し、国会図書館やAmazonで唯一、田中さんの名前がヒットする『薔薇の鉄索 村上芳正画集』でも本多正一の名前が出てきます。同書のサイトをみると、「企画、運営」で仲良く並んでいます。なお、村上は昭和を代表する作家の作品の装丁を数多く行なっていた画家のようで、中井とも共著を出していたようです。田中さんと本多は、村上の作品を世に知らしめるために、展覧会まで企画したそうです。推しへの熱い友情が感じられます。 


 そこで私は、とりあえず村上芳正の絵と名前を、再度世間に認知してもらう必要があると考え、まずは金のかからないホームページの立ち上げ、次には展覧会を企画した。
 展覧会は、ギャラリーオキュルスでの初個展が実現し、続いて市立小樽文学館での展覧会、さらにはアーディッシュギャラリーでの「家畜人ヤプー展」が実現した。すべて、本多正一の個人的な人脈に頼ってであった。 

 このようにして実績を重ねていく中で、徐々にではあるが、村上芳正の名が浸透・想起されてゆき、何の具体的な展望もなくホームページを立ち上げてから3年で、とうとう念願の画集公刊が内定した。

http://barano-tessaku.com/special/whereabouts/index.html


5、「文学」がわかっても…


 以上の点を鑑みると、田中さんがあちこちでトラブルを起こしてしまうのは理解できると思います。元々、田中さんはアンチミステリー畑で文章を書いていたわけですから、本来の関心があるのは文学の世界なわけです。現在のような「宗教」とか「社会問題」「政治」は専門外なわけです。もちろん、専門領域以外にも対象を広げるのは悪いことではないのですし、彼が青春時代を過ごしていた80年代はそう云うスノビズムを称賛する文化がありました。しかし、まったくのフィクションを扱う文学の世界と現実の利害関係が存在する宗教や社会問題、政治を同列に語ってしまうのは無理があるわけです。
 それこそ、優れた文学者でも現実に存在する問題を不用意に語ることでトラブルを起こしてしまうケースは枚挙にいとまがありません。あるいは、文学に精通している人間が必ずしも、正確な知識を持っているわけではないのです。

 例えば、ドストエフスキーは世界的に高い評価を受けている作家ですが、一方で彼は非常に激しいロシア愛国主義を掲げ、ローマ・カトリックを敵視し、正教をいただくロシアこそ人類を救済すべきだと云った極右的な主張をしていました。そのため、プーチン政権下のロシアでは、愛国主義を鼓舞するために、ドストエフスキーが利用されてきました。ドストエフスキーの政治的主張をそのまま現実の政治に適用した場合、多文化共生や人権、国際法秩序などと明らかに齟齬を起こしてしまいます。
 もっとも、ミシェル・エルチャノフ『ウラジーミル・プーチンの頭のなか』で指摘されているように、ドストエフスキーの政治的主張と実際の彼の文学的な価値を同一視することはできません。バフチンがドストエフスキーの作品を「ポリファニー(多声的)」とみたように、彼の作品の人物たちは自分の主張を各々語っていきます。19世紀のロシアでは西欧を模範としてロシアの後進性を批判する「西欧主義」と伝統的な価値観を重んじ、西欧の物質主義とロシアの精神的優位性を訴えた「スラヴ主義」と云う2つの異なる思想潮流が存在し、ドストエフスキー自身、この2つの思想の間を行き来していました。そのため、彼の作品は重層的な意味を持ち、ロシア語圏以外の人間でも解釈を入れる余地が存在するわけです。それこそ、ドストエフスキー本人のような極右的な思想を信奉しなくても、彼の物語を受け入れることが可能となります。
 しかし、ドストエフスキーが生前に語った政治的主張の妥当性を受け入れるのは困難であるのも事実です。プーチン政権が彼の作品からロシア愛国主義を鼓舞し、ロシアの優位性を主張するのに利用したように、作家が語ったことが現実に悪影響を与えてしまうわけで、その点は厳しくみないといけないと云えます。

 また現代に生きる作家でも同様のケースがあります。フランスの現代作家のミシェル・ウェルべックは世界的なベストセラーを複数発表しており、日本語でも複数の翻訳が出ています。私も2年前に、2015年に刊行した『服従』の書評を書きました。確かに、ウェルべックは現代社会の問題を文学の世界に落とし込む才能はあります。だからこそ、高い評価を受けていると云えます。しかし、現実の彼の発言をみると、首肯できないものがあります。 
 それはムスリムに対する度重なるヘイトスピーチです。今年に入ってからとうとうフランスのムスリム団体から提訴されてしまいます。またウェルべックの専門家である八木悠允による入門講義でも彼の度重なる失言について触れて、「こんなことを云ってはいけない」と専門家にまで突き放されてしまっています。いくらウェルべックが優れた作家であり、虚構の世界を描き、自身の発言も嘘が多く、あまり信頼してはいけないと語っていても、問題発言は批判されるべきだと思います。作家本人と作品の評価は分けて考えることが妥当だと云えます。


結論、「推しを愛でよう」


 もっとも、田中さん自身は、作品がないので評価の下しようがないのですが。なので、私の中での田中さんの評価は、推しが好きなだけの「普通の人」にとどまっています。それが良いか悪いかをとやかく云う気はないです。それこそ、まとめ記事では、「せっかく定年退職して時間と金銭的余裕ができたのですから、元々関心がない分野に無理をして手を突っ込んで、ネット上でよくわからない人たちと論争に明け暮れるよりも、推しの作家さんたちの作品を愛でたほうが良いんじゃないですか」と云う感じで書いたわけです。

 まぁ、私自身、人生の先輩でもある人の生き方にあれこれ云う気もないので、あとは皆さんがお好きに判断してください。それこそ、現実と虚構の世界の狭間で苦しんでいる人が大勢いる当世、 田中さんの文章にも一定の価値があるのではないかと思います。私も本記事を執筆しながら、日本の推し活文化の一事例をみたような感じがしたので、今流行りのアニメ『推しの子』の主題歌「アイドル」を聞いてみました。田中さんの文章と重ね合わせながら、「うーん、推し活は深いんだな」と思いました。と云うことで、本記事をここまで読み終えましたら、私にコメントを寄せるよりも、YOASOBIの「アイドル」を聞きましょう。


 


最近、熱いですね。