てれまこし

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自分の書く文章は役に立つ情報とか簡易なアドヴァイスは含まれていません。自分の文章が提供するのは問いです。私が出した答えなんてものは一蹴してくれて結構です。問いを持ち帰ってください。

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8本の貪欲な足が捕えてくる書物を食わされているタコが排泄するもの。なんていうと汚らしいけど、使い方次第で毒にも薬にもなる。世界に裏切られないための教養にもなる。 もう少し真面目な話をすれば、答えを他人から与えてもらうのが嫌いで自分で考えたい人たちが集まる場所にしたい。

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  • タコの読書日記

    タコが捕食した本たちの紹介

  • 恐れない女(「恐れる男」から見た)

    知っているがために生きることを恐れ死に憧れる男。知らないがゆえに(あるいは知っても仕方がないゆえに)死をも恐れず生きかつ生かせる女。なんだか女をバカにしたような話なんだが、人類の生命力を裏で支えてきたのはこの「恐れない女」たちであったかもしれない。そういう記事をまとめてみた。

  • 講座 教養としての国際政治経済学

    国際政治経済学という学問。名前が示唆するほど欲張りな学問ではありませんが、これを学ぶと巷で行なわれてる多くの論争の根底にある本質的な争点が見抜けるようになる。自分が生きている時代をグローバルな視野で眺められるようになる。そんな学問を、専門としては学ばない一般の人向けに講義したものです。

最近の記事

政治家を目指す若い君たちへ

こんど選挙に出るそうですね。政治家になるにはちょっと若すぎるような気もしますが、もう貴方も年齢的には十分大人ですものね。そうやって私ら年寄りはいつまでも、貴方がたをを子ども扱いしてるから嫌われてしまうのかもしれませんね。政治家になろうというのもまたきっと、そういう年寄りに政治を任せておいたからこうなったという悔しい気持があるのでしょう。正直なところ、不安は隠せないんですが、ここは「応援してるからがんばれ」と肩を叩いて送り出すべきなのでしょう。 自分の若いころと今の若い人とを

    • 他人に「言うことを聞かせる」方法

      言うことを聞かせる必要なんだか不穏な題名でありますが、世のなかには、他人に言うことを聞かせる必要を感じることがありますね。「言うことを聞かせる」というのは、よくよく考えると面白い言い方ですが、ただ耳の穴の通気をよくして聴覚を働かせてもらうだけではありません。自分が言うとおりに行動してもらうことでもあります。 「いや、わたしは誰かに言うことを聞かせようなんて考えたこともない、わたしはわたしで自由にやるし、他の人も自由でいい」。そういう寛容なかたもたくさんいらっしゃいます。し

      • 老害の外食

        出稼ぎに来てんだけど、今年はホテル代がばかに高くなってたから、食費を抑えようと、滅多にいかないサイゼなんかに入った。そしたら、やっぱりセルフ注文になってて、嫌な予感はしてたんだが、QRコードの読み方がわからんで店員さんにえらい迷惑をかけた。前に娘と出かけたときに、別の店でやったことあったんだけど、普段使わないからもう忘れてた。 まあ、ハイテクだから仕方ないやと思って、今度はドリンクバーのローテク機械でボタン押して飲み物が注がれるのを待ってたら、後ろにいたお嬢さんに「それ押し

        • 「コミュ力」ってなあに?

          コミュ力低めの自分が伝えたいこと帰国してから新しく覚えたけど、まだ自分では上手に使えない日本語の一つに、「コミュ力」というものがあります。「コミュニケーション力」の略です。新しい言葉でないかもしれませんが、自分の若いころにはあまり耳にも口にもしませんでしたから、少なくとも当時の若者文化の一部ではなかったと思います。今日でもビジネス関係の人、とくに大きな組織のなかで働くような人がよく使うような印象です。ですから、発生源もまた組織化が進んだビジネスの文脈ではないかと想像していま

        政治家を目指す若い君たちへ

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          11本
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        メンバー特典記事

          他人に「言うことを聞かせる」方法

          言うことを聞かせる必要なんだか不穏な題名でありますが、世のなかには、他人に言うことを聞かせる必要を感じることがありますね。「言うことを聞かせる」というのは、よくよく考えると面白い言い方ですが、ただ耳の穴の通気をよくして聴覚を働かせてもらうだけではありません。自分が言うとおりに行動してもらうことでもあります。 「いや、わたしは誰かに言うことを聞かせようなんて考えたこともない、わたしはわたしで自由にやるし、他の人も自由でいい」。そういう寛容なかたもたくさんいらっしゃいます。し

          他人に「言うことを聞かせる」方法

          「コミュ力」ってなあに?

          コミュ力低めの自分が伝えたいこと帰国してから新しく覚えたけど、まだ自分では上手に使えない日本語の一つに、「コミュ力」というものがあります。「コミュニケーション力」の略です。新しい言葉でないかもしれませんが、自分の若いころにはあまり耳にも口にもしませんでしたから、少なくとも当時の若者文化の一部ではなかったと思います。今日でもビジネス関係の人、とくに大きな組織のなかで働くような人がよく使うような印象です。ですから、発生源もまた組織化が進んだビジネスの文脈ではないかと想像していま

          「コミュ力」ってなあに?

          「批判ばかり」と批判される野党は、じゃあ何をすべきなんだ

          おことわり今回の記事は、他人がまだよく知らないであろうこと調べたんでお教えしましょうというようなものではなく、一市民として愚見を披露してみなさんの批判検討を乞いたい、という性格が濃い(実はいつもそうなんだが、今回は特にそう)。 だから、本来であれば無料にして、誰でも読めるようにしておきたい。しかし、この季節は自分にとってはいちばんつらい時期で、暑さで体が弱ってるところに、年に一度の出稼ぎが重なる。であるから、趣味娯楽である note 更新が重荷になるんだが、今年は有料サー

          「批判ばかり」と批判される野党は、じゃあ何をすべきなんだ

          正義の味方と弱くて悪い連中 その四

          なぜここでドストなのよ?さて、予定以上の長話になってしまいましたが、今回こそけりをつけたいと思います。暑さで話し手も参っていますが、聴き手にとっても余分な負担がかかってはいけない。なんとか五千字前後で収まるように、節約を心がけようと思います。 前回は、親鸞の悪人正機説を紹介したところで話が終りました。この悪人ダカラ救われる説を耳にしたときに、自分の頭に真っ先に浮かんだのは、どういうわけか、これまた鎌倉仏教なんかとは「と」ではつなげにくい、19世紀のロシアの作家ドストエフス

          正義の味方と弱くて悪い連中 その四

          正義の味方と弱くて悪い連中 その三

          長話の言い訳ひつこい奴だなと思われるかもしれませんが、セイギの味方とヨワワル連シリーズ第三講です。長話になるのは、これなどは政治と宗教という自分の人間学的関心とわりかし近いところにあるからです。話がさらに長くなりますからここでは触れませんが、硬直化したリベラリズムを柔らかく揉み解して、死んだドグマから生きた思想に再生させる一助となる人間学的教養の可能性みたいなものを示せるかもと思います。学者や専門家になって素人を論破するための教養じゃありません。この世に産み落とされた誰もが

          正義の味方と弱くて悪い連中 その三

          正義の味方と弱くて悪い連中 その二

          「弱いけど善人じゃないかも」の人々さて、前回からの続きであります。 復習しますと、現代の正義の味方にとっては、「悪」が「弱」でもある、あるいは「弱」が「悪」でもあると考えることが、非常に厄介なものとなっている。しかし、世のなかには、「自分は弱いけど善人ではないかも」という不安を拭えないひとたちがけっこうおります。そういう存在をあたかも存在しないもののように扱う正義の味方は、政治の世界、とくにデモクラシーにおいては、民衆の英雄ではなく敵とみなされかねない。今日「リベラル」と

          正義の味方と弱くて悪い連中 その二

        記事

          「批判ばかり」と批判される野党は、じゃあ何をすべきなんだ

          おことわり今回の記事は、他人がまだよく知らないであろうこと調べたんでお教えしましょうというようなものではなく、一市民として愚見を披露してみなさんの批判検討を乞いたい、という性格が濃い(実はいつもそうなんだが、今回は特にそう)。 だから、本来であれば無料にして、誰でも読めるようにしておきたい。しかし、この季節は自分にとってはいちばんつらい時期で、暑さで体が弱ってるところに、年に一度の出稼ぎが重なる。であるから、趣味娯楽である note 更新が重荷になるんだが、今年は有料サー

          「批判ばかり」と批判される野党は、じゃあ何をすべきなんだ

          話に関しては、ひとびとが何を聴きたがるかも面白いが、何を聴きたがらないかも同じくらい多くのことを語ってくれるよな。誰も聴きたがらない話の市場価値はゼロだけど、なぜ聴きたがらないかを考えると自分たちのことがより理解できるようになるから、そっちももっと注目されるべきだな。

          話に関しては、ひとびとが何を聴きたがるかも面白いが、何を聴きたがらないかも同じくらい多くのことを語ってくれるよな。誰も聴きたがらない話の市場価値はゼロだけど、なぜ聴きたがらないかを考えると自分たちのことがより理解できるようになるから、そっちももっと注目されるべきだな。

          仕事で手間のかかる作業をやらなきゃならんとき、面倒くせえな、代りに誰かやってくれんかなと思っちゃうんだけど、その反面、オレがやらなきゃ誰もやらんだろうなと思ってるからこう暢気に構えてられるんであって、そうでなかったら他人がやる前にやらないとって焦ってやるな。

          仕事で手間のかかる作業をやらなきゃならんとき、面倒くせえな、代りに誰かやってくれんかなと思っちゃうんだけど、その反面、オレがやらなきゃ誰もやらんだろうなと思ってるからこう暢気に構えてられるんであって、そうでなかったら他人がやる前にやらないとって焦ってやるな。

          正義の味方と弱くて悪い連中 その四

          なぜここでドストなのよ?さて、予定以上の長話になってしまいましたが、今回こそけりをつけたいと思います。暑さで話し手も参っていますが、聴き手にとっても余分な負担がかかってはいけない。なんとか五千字前後で収まるように、節約を心がけようと思います。 前回は、親鸞の悪人正機説を紹介したところで話が終りました。この悪人ダカラ救われる説を耳にしたときに、自分の頭に真っ先に浮かんだのは、どういうわけか、これまた鎌倉仏教なんかとは「と」ではつなげにくい、19世紀のロシアの作家ドストエフス

          正義の味方と弱くて悪い連中 その四

          正義の味方と弱くて悪い連中 その三

          長話の言い訳ひつこい奴だなと思われるかもしれませんが、セイギの味方とヨワワル連シリーズ第三講です。長話になるのは、これなどは政治と宗教という自分の人間学的関心とわりかし近いところにあるからです。話がさらに長くなりますからここでは触れませんが、硬直化したリベラリズムを柔らかく揉み解して、死んだドグマから生きた思想に再生させる一助となる人間学的教養の可能性みたいなものを示せるかもと思います。学者や専門家になって素人を論破するための教養じゃありません。この世に産み落とされた誰もが

          正義の味方と弱くて悪い連中 その三

          正義の味方と弱くて悪い連中 その二

          「弱いけど善人じゃないかも」の人々さて、前回からの続きであります。 復習しますと、現代の正義の味方にとっては、「悪」が「弱」でもある、あるいは「弱」が「悪」でもあると考えることが、非常に厄介なものとなっている。しかし、世のなかには、「自分は弱いけど善人ではないかも」という不安を拭えないひとたちがけっこうおります。そういう存在をあたかも存在しないもののように扱う正義の味方は、政治の世界、とくにデモクラシーにおいては、民衆の英雄ではなく敵とみなされかねない。今日「リベラル」と

          正義の味方と弱くて悪い連中 その二

          「自分のために生きる」ということ

          自分はときどき専業主夫を任される。貧乏だから、炊事洗濯掃除などはなるべく他人や機械に頼らないで、ぜんぶ自分の手でやる。けっこう忙しい。一日中、何かやることがある。ゆっくり読んだり書いたりする時間がほとんどない。昼飯を食ったら、もう晩飯のことを考えてる。一日中、次は何を食わせようかということばかり考えてる。しかも、ほぼ家にいるし、訪ねてくるような者もほとんどいない。世間からますます遠ざかる。 以前であれば、これを煩わしく感じて、少しでも誰かに負担を押しつけたくなった。これはオ

          「自分のために生きる」ということ

          正義の味方と弱くて悪い連中 その一

          「正義の味方」とはわれわれが子どもの時以来慣れ親しんだ人物像に、「正義の味方」があります。世界征服を企む悪の帝国のようなものから、ぼくらのようなか弱きものを守るために、わが身を削って戦ってくれる。そういう方々です。 幼い自分が英雄として絶対的に支持し、また憧れたのは、この「正義の味方」でありました。ひとつには、無論むちゃくちゃ強いというのがありまして、数多の敵をばったばったとなぎ倒していく。これに憧れまして、自分でも真似して遊んだものです。「遊んだ」と今でこそ言いますが、

          正義の味方と弱くて悪い連中 その一

          オトナのゲンジツとワカモノのリソウ

          エセ現実主義者の反省毎年のことだが、空調のない環境で生きてる自分は、夏の終わりにはもう体が弱って死にかける。体を鍛えても、暑さだけはなんともならんらしい。予想はしていたけど、今年の夏はかなり厳しくて、もうかなり命が削られてる。夏の終わりまでもつかどうか不安。こうなると、猫みたいに、なるべく涼しいところで何もせずにじっとしてるしかない。冬眠ならぬ夏眠でしのぐしかない。 不幸なことに、カネを請求する商売を始めてしまったから、暑くても片付けないとならない仕事がある。ぜんぜん儲か

          オトナのゲンジツとワカモノのリソウ

          ウチでもなくソトでもない人間学的領域としての「世間」

          遠いけど近い世間「世間」ということばが日本語にはある。多くのひとが気にもとめずに、これを使ったり聞いたりしてる。だが、自分は柳田国男を読んでるときに、そのなんでもなさそうな語に興味がわいて、ここ15年くらい注意してる。「なんだ、変わり者だな」と思われるかもしれないが、そうでもない。かつて自分も調べてみて驚いたのだが、多くの人が同じ興味を抱いたらしくて、もういろいろと書かれてる(偶然ではない。自分もそれらのひとも同じようなものを読んでるから、似たような疑問を抱いた)。 それ

          ウチでもなくソトでもない人間学的領域としての「世間」

          「高等遊民」のなにが「高等」であるか

          人生と宇宙の謎この宇宙は謎に満ちている。われわれやわれわれを囲むものはどこから来たのか。どこへ向かっているのか。その空間や時間はどのような秩序に従っているのか。その秩序において、自分はいったいどのような位置を占めているのか。すなわち、自分の存在の意味とはなにか。いまここで自分は何をすべきかという問いに対する十全な答えは、まずこうした問いに答えないと出てこない。 論理を徹底して考えれば、おそらく何人と言えども認めざるを得ないような真実であるが、所詮論理的演算は頭のなかの出来

          「高等遊民」のなにが「高等」であるか

          三人のマキァヴェリアン

          統治される者にとっての政治学今回の話は、どこかしら大学の講義くさい。なるべくそうならないようにするつもりだが、それでもちょっとばかり親身になって考えにくい話かもしれない。というのも、政治には統治する者と統治される者がいて、今回の話は統治する者の話である。 われわれの大半は、自分で政治権力を掌握しようなどとは思ったこともない。征服され統治されることを専らにしてる。だからといって悪の軍団の首領みたいな人に統治されるのは御免こうむりたいんだが、善良な人に統治されればそれに越した

          三人のマキァヴェリアン