#418 「教養がある」とは何なのか?
教養という言葉の定義を広辞苑で調べると
とあります。
私たちが「教養」という言葉を聞くと、視野や思考の広さという抽象的な概念よりも、様々な分野に対する知識があることをイメージするかもしれません。
しかし、本質的に考えれば、知識があること自体に意味があるのではなく、その知識をどのように使うのかを考えなければならない。学校における「詰め込み教育」が批判をされるのは、大量の知識を入れること自体が悪いのではなく、その知識自体に「実態」がないことが原因だと考えています。
例えば、今年の大河ドラマは「光る君」。源氏物語を書いた紫式部が主人公です。この事実自体は多くの日本人が知っていることではあるけれでも、ではどれくらいの人が「源氏物語」を読んだことがあるのか。その作品から私たちは何を学び、その学びは今の私たちに何を伝えてくれるのか。
「「奥の細道(松尾芭蕉)」・「魔の山(トーマス・マン)」・「社会契約論(ジャン=ジャック・ルソー)、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー)」などなど。
これらの書籍名とその作家名を「知っているだけ」では、何も実態がないのではないか。
以前のコラムで、三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)を知らない芸人さんが、
「だって俺、そいつらと飲んだことないから、知らないっすよ」
と言っていたエピソードを紹介しました。
実態のない知識は決して教養ではないのです。