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読書の歴史について

 読書の歴史を簡単に。


読書の歴史

近世以前の読書

読書は少数の人びとだけにゆるされた特権で、私たちのようなふつうの人間の社会では読書はむしろ悪徳とみなされ、「だれにとっても本を読むのはいいことだ」どころか、「本なんか読んでいないで働け」というほうが世間の常識だったのです。

https://kangaeruhito.jp/article/10435

江戸時代

 近世になり江戸などの庶民も、寺子屋などで四書五経などの素読(音読)ができるようになり、貸本屋の草紙などを読むようになりました。

近代~現代

国民国家と文学 

 近代の国民国家では共通語である国語の創設とその文芸小説などが広く読まれるのようなりました。

西洋学問の移入

日本における西洋学問の移入は、書物の翻訳によってなされました。そこでは日本語になっていない翻訳本を読むことが学問とされました。

教養主義

 ヘーゲルの読書によるBildung (ビルドゥング  教養)で、パーソナリテイを陶冶(人格を陶冶)し、絶対精神へ至るという方法論に基づく教養主義が日本にパラダイムとして広まりました。


日本ではエリート文化の中核となる教養主義が,大衆文化の中核となる修養主義に包含された形で明治末期に成立してきました(第一章).その教養主義は大正初期から中期にかけて修養主義から分離してエリート文化として自立してきます.大正期に岩波書店を中核とした教養主義文化圏が成立した時,その担い手となったのは旧制高校生に代表される学歴エリートでした.その後,マルクス主義とモダニズムが台頭する中で学歴エリートは昭和を迎えます.旧制高校での読書調査を検証すると,満州事変以降の軍国主義化の流れの中で,マルクス主義,モダニズムの影響力は徐々に後退していくのですが,軍国主義が旧制高校生文化を捉えたわけではなく,昭和十年代には教養主義の復権の時代が訪れます.敗戦によってもこの傾向は変わらず,新制大学教養部と新制高校の学生・生徒間にマニュアル化された教養主義文化は継承され,昭和40年代に至るまで日本の青年学生文化の主潮流として機能し続けるのです(第二章).第三章では,第二章の時期において担い手たちの意識の変遷をたどりながら,時代と大衆文化との緊張関係の中で教養主義がいかに変容したか否かを考察します.第四章では企業経営者たちのエートスに光を当てます.付論では立身出世主義と修養主義の緊張関係を考察しています.第五章では,現代における教養が(1)専門に対する基礎としての教養,(2)幅広い知識としての教養,(3)文化の習得による人格の完成という意味での教養という三つのカテゴリーによって構成

日本型「教養」の運命
歴史社会学的考察
https://www.iwanami.co.jp/book/b255862.html

日本の教養主義に生きた人たちは、カントやヘーゲル などの啓蒙主義哲学を知識習得のみならず、生き方のモデルとして採用した。したがって、教養としてのビルドゥングという理解はおおむね1970年代までの 大学カルチャーの中では標準的な考え方となった。

https://navymule9.sakura.ne.jp/13111102ars.html

関連書

読書感想文は人格陶冶の効果判定

 文科省によれば「読書と作文は「豊かな人間性」を育むためにある」ということなので読書による人格陶冶=教養主義の立場であるということなのでしょう。

読書効果の科学

 現代においては遺伝の影響、パーソナリティの変化、などについて研究により読書の効果が検証されているようです。

読書と共感

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