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自称進学校における教養主義の勘違い

いよいよ大学受験のシーズンが近づいてきましたね。私が通っていた高校は、地元では一応の進学校として知られていました。しかし、首都圏や近畿地方の進学校と比較すると、学力レベルがはるかに低いことを痛感し、恥ずかしい思いをしたものです。
進学校を名乗っておきながら、肝心の受験対策よりも、受験科目と無縁な教育内容に振り回された経験は、今でも鮮明に覚えています。恐らく、学校側は文部省や教育委員会から、学習指導要領の墨守を迫られていたのでしょう。しかし、受験に直接結びつかないような、実のところ不要な科目をこれほどまでに熱心に教え込まれるとは、学生として大きな負担でした。
学校側は、そのような教育方針を『教養主義』と称していました。受験とは関係なく、広い視野を養うために多岐にわたる知識を学ぶことが大切だ、というのです。確かに、教養を身につけることは長期的な視点で見れば重要でしょう。しかし、私にとっては、まずは大学受験という大きな目標を達成することが最優先でした。それに、私の家は浪人を許さないという厳しい条件を付けていたため、高校3年間は部活動とともに無駄にできない貴重な時間だったのです。
『教養主義』といえば、戦前の旧制高校では、今の大学院生が学ぶような高度な外国語、哲学、倫理学などを教えていたと聞いています。それがまさに『教養主義』の典型例と言えるでしょう。しかし、当時の旧制高校の生徒たちは、東京や京都など各地の帝国大学への進学がほぼ確約されていたような恵まれた環境にいたため、そのような余裕があったのではないでしょうか。私たちのような、地方の自称進学校に通う生徒とは、状況が全く異なります。
教養を深めることは、時間的な余裕がある人こそが取り組むべきことだと思います。浪人を覚悟し、進路すら決まっていないような状況で、教養を身につけることなど、到底不可能です。浪人武士が受け売りの『武士道』を説いても、幕末の動乱期でもなければ国を動かさなかったように、現代社会においても、状況に応じた適切な行動をとることが求められるのではないでしょうか。

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