今日は久しぶりに若い頃に勤めていた会社に行きました。 社長も面倒見良かったので、遊びに行く感じで顔を出してきました。 そこで社長が、冗談混じりにも会話をしてくれたり、必要な物があれば、いつでも取りに来い!っと。 当時は反発ばかりしてたけど、こうやって言って貰えるのは幸せです。
FXのチャートが命を刈り取る形をしていてそっ閉じすぎる 俺の営業成績かな?
人から受けた恩義はどこまで通用するか 個人的にはずっと忘れたらいけないものだと思う。 その時の自分を大切にしてくれたこと、助けてくれたこと、それがあって今があるわけで、それを忘れて過ごすことがどれだけ自分中心軸なのか 過去のことも、ある程度中長期的に見ることは必要でしょう。
天正9年(1581)2月23日はイエズス会巡察師ヴァリニャーノが信長に黒人奴隷を献上した日。肌を黒く塗っているのではと疑った信長は体を洗わせたという。気に入った信長は26~27歳の青年に弥助と名付け武士として側近にした。本能寺の変では二条新御所へ走り織田信忠のため戦い捕縛された。
「恩」っていつまで持っていないといけないのかな? 感じた人が決めていいんじゃないのかな? 「恩義」となると考えが入るよね。受けた恩が強烈で、感じ続けないと!って思いなのかな? どちらにしても、恩を与えた側や第三者がそれについて言及できないのでは?と思うけども。
9/2若者が遅くまで働いた時は車で送るのが通例。車内の会話がコミュニケーションになったりもする。昨日は仕事よりも大切な、人としての振る舞い、恩義や人情の話。聞いてるのか聞いてないのかわからない若者だったが、昨日の話が心に響いて行動を起こしたと、報告があった。ありがとうございます!
反省の2日間。コロナ前にプロモーションの場所をご紹介いただき、ようやく実現。開催の報告やご招待をすることに配慮が及ばなかった。忙しかったとか、という問題ではなくない。人としての義理、恩義に報いていない。今の時代、うっかりしがちになっているが、今日、そのお詫びと感謝の連絡をしよう。
少数派である反グローバリズムとして生きていくための居場所、シェルターのような場所はどこかにないだろうか? 少数派の人は考えを偏らせずに思考を深めていくの極めて難しいと思う 近隣に協力者や同志がいるのはとても大切だと思う 少数で仲間ができにくいからこそ仲間と居場所を大事にしたい
パールです・・小雨・・濡れるので散歩も短めにし ウンチのみで即帰宅・・そうそう聞いてくれる・・リムちゃんがね 珈琲タイムになるとジージの膝に乗り先回りしてミルクを舐めちゃうの(>.<)お陰で私の舐める分が少なくなってるの・・吐いた物を処理してあげたのに恩義を感じてないの(`Д´)
教育の基本は第一に人格である。誠実と恩義である。嘘をつかない、自分は他人から助けられて生きている。ご飯を食べることが出来るのは誰かが稲を育ててくれたからだ。そういうことを普段から感じてながら生きていくことが出来る人を教育者はつくろうとする。第二は思考力である 学歴より大事なもの