Shinjiy

1969年に大学を卒業して鉄鋼技術者、工場運営、上場企業のトップを経験し、2021年3…

Shinjiy

1969年に大学を卒業して鉄鋼技術者、工場運営、上場企業のトップを経験し、2021年3月74歳で退任、フリーになりました。振り返ってみると、レールを大きく踏み外すことのない人生ですが、それでも現役時代には人に言えない諸々があります。ここで少しずつ漏らしたいと思います。

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我生涯(まだ存命ですが)

 2年前の1月、世に言う後期高齢者になり現在77歳、同年の妻と二人で東京の日本橋人形町に住んでいます。3年前まで現役で働いていましたが、まわりに(多分)惜しまれつつリタイアしました。世にいう終わった人・です。体の方は年なりに色々ありますが、ともかく・・・・人形町生活を楽しんでいます。  1947年1月に原爆後の広島市で生を受け、いわゆる被爆者2世ですが、何の影響もなく、今日に至ります。4歳で父の転勤に伴い、一家は東京に転居、22歳で大学の工学部を卒業して某鉄鋼会社に就職しま

    • 自宅で死ぬための大会議 ④ 目の前の一日をどういきるか

       以下、死ぬ前に死ぬまでの間をどう生きるかが大切との話です。  石川:どう死ぬかを考えるのもいいですが、そこに行き着くまでにどう生きるかを考えることこそ、最も必要な準備ではないでしょうか。そう言う心がけがないと、いくらお金があろうが高級老人ホームに入ろうが、幸せな最期は迎えられないような気がします。  三砂:私も同感です。「死は自分に属していない」必ず誰かの世話になる。自分ができることは、一日一日を懸命に生きて、関わっている人との関係が昨日より今日のほうが良くなるように人

      • 自宅で死ぬための大会議 ③ 看取りが人生に与えてくれるもの-2

         認知症でも大丈夫  ここでは、認知症、末期がん、末期腎不全などでも在宅医療で看取ることが出来ると述べています。  三砂:父は認知症だったので施設で看て・・・認知症でも家で死ぬことは出来ると思われますか?  山中:はい。心配されるのは「不穏」でしょう。・・・投薬でかなり落ち着かせることが出来ます。精神疾患を専門とする訪問介護のサポートなども出来ますから、うまく我々に頼って欲しい。認知症だけでなく・・・痛みや苦しみはもちろん、不穏を落ち着かせてあげるのも、在宅医療の大事な役

        • 自宅で死ぬための大会議 ③ 看取りが人生に与えてくれるもの-1

           ここでは、石川さん、三砂さんが、自分の経験から、人を看取ることの価値について述べています。  石川:私も昨年、離婚した夫を看取ったんです。・・・「俺は妻子がどうのと浪花節みたいな生き方はまっぴらごめんだ」と言っていた人だったのに、最後は別れた妻や十数年会っていない息子たちに頼ってきたのが衝撃的でした。専門職の方が懸命にやってくださっても、埋められない何かがあらわになるのが最期なのかな、と思いました。  看取る人は「選ばれる」  三砂:介護している時は大変だから感謝す

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        我生涯(まだ存命ですが)

        • 自宅で死ぬための大会議 ④ 目の前の一日をどういきるか

        • 自宅で死ぬための大会議 ③ 看取りが人生に与えてくれるもの-2

        • 自宅で死ぬための大会議 ③ 看取りが人生に与えてくれるもの-1

          自宅で死ぬための大会議 ② 家で死ぬにはどうすればいいのか?

           家で死ぬには、しっかりした 在宅診療所に診てもらえることと、適切な介護が必要、そのために丁寧なケアマネさんの確保が大切ですが、地域によるばらつきが大きいようです。  石川:父を看取ったのは、静岡県伊東市・・・典型的な地方の都市です。必要な医療や介護にアクセスできず、途方に暮れる。それが地方の現実だと思いました。  山中:本来、在宅診療所の目的は、重症で病院に通うのが困難な患者さんを「24時間365日」の体制で最期まで看取ることです。しかし全国に1万カ所以上ある在宅診療所

          自宅で死ぬための大会議 ② 家で死ぬにはどうすればいいのか?

          自宅で死ぬための大会議 ① 家で死ぬのはなぜ難しくなったのか?

           文芸春秋10月号に「自宅で死ぬための大会議」が掲載されている。大会議と言うほど大袈裟な記事ではないが、昨今の当方には身近な(?)話題であり、筋が整理されて分かりやすく、参考になります。   出席者は次の4名  三砂ちづる:津田塾大学名誉教授・作家、  石川結貴 :ジャーナリスト  甚野博則 :ノンフィクションライター  山中光茂 :医師・しろひげ在宅診療所院長  全体の流れは在宅診療医師の山中氏がリードし在宅での看取りを経験した三砂さん、石川さんが経験を話し、甚野さ

          自宅で死ぬための大会議 ① 家で死ぬのはなぜ難しくなったのか?

          孫娘がヴォーカル

           次男の一人娘(つまり孫娘)は現在中学3年生、中高一貫の女子高に通っている。昨日、学園祭で軽音楽発表会に出演するとのことで、次男に誘われて見に行った。  次男が米国勤務だった12,3年前、一時帰国の際、日本橋の当家に数日間滞在したことがある。毎朝早く、孫娘が我々の寝室に来て暴力的に起こすので、些か寝不足の数日だった。私が会社に出かける時、マンション3階の窓から、「ジージ、行ってらっしゃい」大声で叫ぶので、こちらもニコニコして手を振ったものだった。  昨今、次男一家とは

          孫娘がヴォーカル

          藤原正彦氏「内に静かに語りかけるもの」

           毎月の文芸春秋の巻頭は7,8人のエッセイ(2~3000字ほど)だが、いつも最初は数学者の藤原正彦氏だ。彼の論理思考は少々偏っているとは思うが、10月号の文は分かりやすく、一面の真理を語っている。  藤原氏は1943年7月生まれだから私より3学年上の80歳、新田次郎、藤原てい夫妻の次男として終戦前の満州で生まれ、旧ソ連軍から苦難の逃避行の末、福岡にたどり着いている。都立西高から東大理学部に入り、数学科を卒業、以降、数学者として歩んでいるが、エッセイストとしても知られている

          藤原正彦氏「内に静かに語りかけるもの」

          藤井聡太君が恋を?

           昨今の将棋は将棋用AIソフトを使っての研究が進み、各種戦型の無数の本筋と枝葉をどれほど知り、深く理解しているかをあらそっている。勿論、藤井君はその最先端を走っているのだが、それに加えて、終盤の読みが群を抜いて、深く正確でかつ速い。広瀬九段は、人生を捨てないと藤井君に対向できない、と言っているが、人生を捨てても、対抗できそうにないのだ。  ところが、7月の王位戦第2局、対渡辺九段戦の負け方が藤井君らしくなく、あまりにも一方的だった。(私には)衝撃的で、将棋とは別に個人的に

          藤井聡太君が恋を?

          義兄の葬儀

           先週、監視人殿の姉上夫、つまり義兄が亡くなった。姉上夫妻の次女から電話があり、父が亡くなりましたとのこと。一月ほど前に大動脈破裂が勃発、緊急に手術してなんとか一命をとりとめ、少しずつ回復していると聞いていたのだが、結局持たなかった。最後は眠るように穏やかに亡くなったとか。  亡くなった義兄は87歳、大学の哲学科を出て〇通に入社、その道で活躍した・・・・らしい。長く〇〇ランドに住んでいたが、数年前に吉祥寺の長女一家が住んでいる近くにマンションを購入して住んでいる。姉上殿は

          義兄の葬儀

          人形町の街中華

           次男一家とは、たま~に、顔を忘れない程度の頻度で会食している。先月、嫁殿が北京ダックを心ゆくまで食べたいと言っているとのことで、人形町界隈で北京ダックを出す店を捜すと、わが家からものの徒歩1分程度に「天香美意 (テンシャンビイ)人形町店 」という北京ダックを売り物にしている街中華があるとわかり、ただちに予約した。  当日は北京ダックを丸々一羽注文し、嫁殿には心行くまで食べてもらった。特別美味しいものではないが、満足したらしい。他に色々頼んだ10皿程度はどれもなかなか美味

          人形町の街中華

          歯だけは・・・・

           新潟時代の最後、多分60歳のある日突然、歯が痛くなり、慌てて新潟大学医歯学総合病院に行ってみてもらった。当時、自分は歯が丈夫で何の心配もないと、朝晩に歯をさっと軽く磨くだけだったが、それは大間違いだそうで、あなたは酷い歯周病です、このままではすべての歯を失います、と言われてガーンと大ショックだった。  直ちに医師のいわれるままに歯科に通い、何回かにわたって歯石を徹底的に除去してもらい、歯磨き指導を受けた。丁寧に歯ブラシで磨き、それに加えて初めて歯間ブラシを使った。最初は

          歯だけは・・・・

          上場企業16.社長退任

           2月に勃発したY商事の裏切りに対し、紆余曲折はあったが、結果としては、Y商事の東京営業所長以下、主要な営業マン数名の引き抜きに成功し、当社子会社のN商事が東京営業所を新設して、6月に無事に立ち上がった。  引き抜き成功の要因は色々あるが、以下が考えられる。 1.当社の対応が素早く、1カ月ほどで引き抜きの大勢が決まった。 その後Y社は社長以下が引き留め工作をしたが周回遅れだった。 2. Y商事東京営業所の営業マンは、当社の営業と長年の信頼関係があ り、

          上場企業16.社長退任

          上場企業15.最後に事件勃発

           2014年2月、次の株主総会で私が退任し相談役になる事が決まった。67歳だから社長の(暗黙の)定年であり、予定通りだ。次の社長には例によって大株主のJ社の元役員が来る。4月から当社に顧問で勤務して社長の練習をして、6月の株主総会で交代する。2月末には新聞に発表されて、業界に知られることになった。   社長退任後は2年間非常勤の相談役として処遇される。次の社長から何らかの相談があった場合に出社するのが建前だが、よほどのことがない限り相談事などあるはずがない。実質的には無職、

          上場企業15.最後に事件勃発

          上場企業14.人事の失敗

           当社(の規模)では、役員、部長クラスの人事は殆ど社長の専権事項であり、1年を通して諸々の情報を聞き、自分で見て確認し、その時に備えて考えているが、結果から見ると失敗は少なくない。なかには、その人の会社人生を左右する後味の悪い失敗もある。  当社は水道管のメーカーであり、埼玉久喜市の工場で直管を製造しているが、水道管路は直管だけで成り立つわけではなく、管路の向きを変える、管路から枝管を出すところなどに接手管を使う。受注は管路単位だから、直管に加えて接手管も同時に供給しなけ

          上場企業14.人事の失敗

          上場企業13.販売店の被災

           東日本大震災で当社の水道管を扱う、大船渡の販売店が被災した。  当社は全国に大小の販売店網をかまえているが、そのうちの1社が、岩手県の大船渡市にある。大船渡市は海岸沿いの町で、今回の地震と津波でほぼ全滅した。販売店も、社長の自宅も市の中心部にあるから、テレビで繰り返し放映された映像によっても明らかなように、全て津波に流され、跡形もない。  安否情報によると、避難者名簿に社長と奥様の名前があるから、無事らしいが、当社東北支店(仙台)の社員も、避難所に行けずお会いできて

          上場企業13.販売店の被災