宇宙っ子

「明るく」「正しく」「真心」をモットーにしています。簡単ですがなかなか実行に苦難を要し…

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「明るく」「正しく」「真心」をモットーにしています。簡単ですがなかなか実行に苦難を要しています。そして思うことは人生を生きている間は「学びの精神」が必要だと感じています。自分の心なのに自身でコントロールできない。運命が変わる時はこの自分を完全にコントロールできた時だろう。

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自分自身を発揮しながら、他者との違いを感じ取り、自分を向上させるために日々学びの精神を育てながら毎日を充実していく生き方を模索することです。

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世の中

お前と世の中との闘争では、世の中の側に立て。 カフカ『罪・苦悩・希望・ほんとうの道についての考察』の中の言葉。 これに反するような『出世街道』という歌詞があります。 🎶やるぞみておれ 口にはださず 腹におさめた 一途な夢を 曲げてなるかよ くじけちゃならぬ どうせこの世は 一ぽんどっこ 男のぞみを つらぬく時にゃ 敵は百万 こちらはひとり なんの世間は こわくはないが おれはあの娘の 涙がつらい 他人に好かれて いい子になって 落ちて行くときゃ 独りじゃないか おれの

    • 政治と真実

      政治家に正直者はいない(野草庵) フランスの詩人ラフォルグは真実を下記のように語った。 「真実とは、要するに、最大効用をもった仮説にすぎず、しばしば、過誤が発見への最短の道になる」 まさしく日本の政治を見たらまさしくこの通りの現実になっています。 30年間の不況・・・・・・・民主党の過誤 森友・加計学園問題・・・・ 大臣の過誤 公文書改竄問題・・・・・・官僚の過誤 法案の成立・・・・・・・・与野党の談合という過誤 裏金事件・・・・・・・・・政治家の権力という過誤(アンタ

      • 国と国民

        人々の夢 人はなりたい自分を目指して生きています。 その夢を邪魔する人がなく応援してくれる人があれば、 その夢はいつか叶うだろう。 そしてその夢を叶える方法を教えてくれる人もあります。 が、そのように順風万歩に歩める人はどれくらいいるでしょうか? おそらく谷あり山ありで多くの問題を乗り越えてきた人ばかりでしょう。 しかし、最初に見た夢を叶えた人は少ないでしょう。 それくらい夢を叶えるのは難しいと言えます。 自由な国にあっても難しいものです。 また、貧困であれば尚更に難しいと

        • 政治とは?

          2024年3月4日に自民党政治家の悪が暴露された 政治の怖さを知ったのはあのジョン・F・ケネディが射殺された日だ。 1963年11月22日(金曜日)、私が十二歳の時だ。 政治というよりアメリカの恐怖を感じた時でもある。 私はこの時既に北九州市の門司区に移り住んでいた。 当時の私は漠然と教師になりたいと考えていた。 黒板に文字を書き、それを説明する姿に憧れたものです。 が、その夢は泡と消えました。 何故ならば、私は既定の教科や学問に馴染めなかったからです。 とはいえ、登校拒否

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          教育とは?

          教育とは貴人が平人にひれ伏すこと 『論語』はまさにそのことを教えようとしているが、孔子はこれに失敗した。 が、弟子がこれを教え広めた。だが教える方向が間違った。 教育とは上に立つ者がこれを教え、下位に模範を示すことだ。 しかし、現実は全く違います。 何故か? 権力者になるからです。 よく言いますね。「上から目線」、のことを指します。 自分を顧みることなく下位の欠点を見つけることです。 これは目線が同じ同士でも起こります。 孔子は真っ先にこのことを感じた優れた人です。 そして

          教育とは?

          数学者から見た美の世界

          詩人は数学者になれる? 私のように数学者でない者にとって、 コンピューターは想像力の心強い友になり得る。 数学と同じで、私たちの想像力を拡げるだけでなく、 想像力を鍛錬し、制御してくれるのだ。 ➖リチャード・ドーキンス➖

          数学者から見た美の世界

          数学

          数学者が感じる数学の世界 ハイゼンベルクはアインシュタインにこう言った。 「自然に導かれて、誰も見たことがない極めて簡潔で美しい数式にたどり着いたのであれば、その数式は “ 本物 “で、自然の本当の姿を表している、と信じざるを得ません」 ➖ポール・デービス➖

          生まれながらの生命力

          心臓と頭脳 女性の体内に生命が宿る時新たな心臓がある。双子なら二つ。 精巧な科学がそこにあります。実に不思議な営みである。 そしてここから第二第三の生命力が育っていく可能性があるのだ。 第二第三の生命力とは何か? 体力や胆力そして判断力や決断力を言います。 そこには両親という環境の影響が大きく働きます。 しかし、これが定めというように子はこの環境に流されます。 誰が悪いというわけではありません。 ただ、人にはそれぞれに脳力が与えられている。 そのさまざまな脳力が発揮されて今

          生まれながらの生命力

          『言志四録』(著・佐藤一斎)を読む

          労と逸 身労すれば則ち心逸し、身逸すれば則ち心労す。労逸は竟に相離異せず。(耊九五) 【訳】 身体を動かして疲れさすと心は安逸になる。 身体を安逸にすると心がかえって苦労する。 労と逸とは互いに密接な関係があって、 離れ離れになるものではない。 ➖渡邉五郎三郎➖

          『言志四録』(著・佐藤一斎)を読む

          心を耕し、生を拓く

          共生共楽こそ真 ちうちうと嘆き苦しむ声聞けば鼠の地獄猫の極楽 (二宮翁道歌) 【略解】 この歌は、鼠と猫の関係のように、 一方の憂患が一方の喜楽となるような、禍福憂歓は、真の福でもなく、 真の吉でないということを示されたものです。 彼の喜びが我の喜びであり、 彼の悲しみが我の悲しみであるというのがあるべき姿で、 天地と親子と夫婦と農業の道のように共生共楽がこれを示しております。 ➖ 寺田一清 ➖

          心を耕し、生を拓く

          孝を尽くし徳を養う

          忠とは 二心なく君を愛敬するを、忠と名付く ➖『翁問答』著・中江藤樹➖ 【訳】 裏切りの心がなく主君を愛敬することを「忠」と名付けるのである。 「忠」——真ん中の心という字形から、偏りのない心、真心を意味する。 《著・中江彰》

          孝を尽くし徳を養う

          なぜ学ぶのか

          学ばざれば牆(まがき)に面す (『書経』周官) 【訳】 学ばないと垣根に向かっているようなもので、中が見えない。 つまり、本当のことは学ばないとわからない、 という意味になる。 学ばなければ、いくら勇敢であっても、 仁があってもダメなのである。 ➖ 渡部昇一 ➖

          なぜ学ぶのか

          心を養い、生を養う

          自己鍛錬の妙薬 人間はどんなことが起こっても、自由自在に対応出来る適応力を不断に養わなければいけない。 それには絶えず自力を養成しなければならない。 薬の力とか、医者の力とか、他物に依存していては段々に自力が弱くなります。 自然の体力、生命力が弱くなってしまいます。 どんな代用品も自然の生命力に勝るものはありません。 身体ばかりではない。生理ばかりではない。 精神、心理という意味における性理、命理もすべてそうです。 そんなことから、病弱とか、愚鈍であるとか、貧乏であると

          心を養い、生を養う

          人情は愚を貴ぶ

          人情は愚を貴ぶ。益々愚にして益々至れるなり (『講孟箚記』吉田松陰・著) 【訳】 人情は愚直であることを大切にする。 愚直であればあるほど、人情は切実となる。 (川口雅昭)

          人情は愚を貴ぶ

          楽しく学ぶ

          「有用を娯楽に混ぜる」 ホラティウスの言葉。 これは講談社をつくった野間清治の思想とまったく同じである。 野間清治は面白くてタメになるものを常に目指した。 その手段として、有用なものに娯楽を混ぜたのである。 彼は九大雑誌によって戦前の日本の雑誌王と言われ、 彼の会社は施設文部省と称された。 身体の鍛錬でも楽しく鍛錬する方法があるだろうし、 修養でも楽しくできる修養というのがあっていいと思う。 《『ローマの名言』渡部昇一・著》

          楽しく学ぶ

          学び

          朋友遠方より来たる 子曰わく、学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや。 朋友遠方より来たる有り、亦楽しからずや。 (『論語』学而第一) 【訳】 先師が言われた。 「聖賢の道を学んで、時に応じてこれを実践し、 その真意を自ら会得することができるのは、なんと喜ばしいことではないか。 共に道を学ぼうとして、思いがけなく遠方から同士がやってくるのは、 なんと楽しいことではないか」 《 伊與田 覺・著》