どん底で行き倒れだ。 昭和のアイドル、古今亭志ん生の「粗忽長屋」は行き倒れた自分を運ぶ者の噺。 いったい俺は誰なんだい? https://dalichoko.muragon.com/entry/2749.html
「死にゆく江戸弁」 自分は五代目古今亭志ん生しか聞かないが、最近の落語は標準(しょうじゅん)語落語になり下がったようで悲しい。「山椒は小粒でピリリと辛い」はぁ? 歌丸師匠までだったな。きちんと「ヒリリとかれぃ」って噺家は。
【本】美濃部美津子「志ん生の食卓」。娘が語る志ん生の食にまつわる思い出。好んでいたのは納豆、豆腐、まぐろのブツ。家では朝は納豆、夜は豆腐をおかずに菊正のコップ酒を一、二杯を呑み、締めにお茶漬けを食べる。ふつうの食べ物ばかりだがたまらなく美味そう。志ん生の家族写真もいい。
昭和12年1月刊行「名人花形十八番競演 落語全集」に掲載の「現代落語家名鑑」で、最初に探したのはやっぱり古今亭志ん生。当時は「七代目金原亭馬生」を襲名して2年目、「最近遂に実力が認められ、春風春水一時に来るの幸福に恵まれている」との紹介文。この翌年に志ん朝師が生まれます。
〝志ん生〟の旧い一席をカラー化したのをNHKで演ってた。 頑張って調整したんだろうけど一寸聴きづらい仕上がり。 それでもナカナカ視聴できない落語を観れて良かった。 昭和の時代の寅さんは志ん生のテイストだったのかなぁ、なんて。 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E4%BA%AD%E5%BF%97%E3%82%93%E7%94%9F_(5%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
昭和12年1月の「現代落語家名鑑」より⑤ 「旧来の型を破った新しい芸風が、果然現代の聴衆を熱狂させ、一時は三語楼万能の時代さえ現出し、金語楼躍進の途を拓いた」と評されたのが、(俗に)初代柳家三語楼(写真)。『いだてん』では一時期志ん生の師匠として少しだけ登場してました(続く)。
昭和12年1月の「現代落語家名鑑」より⑥ 横浜生まれで英語が堪能だった才人・初代柳家三語楼は、金語楼や志ん生の他、初代権太楼(新作で人気)や音曲の柳家三亀松ら、クセスゴな後進を育てました。1938年3月に誕生した志ん生の次男(志ん朝)に「強次(きょうじ)」と名付けたのもこの人。