なかむら治彦

自称4コマ漫画家のなかむら治彦です。目を患って絵仕事に支障をきたしつつあるため、文字仕事(ライティング・クロスワード等パズル作成)に比重を置き始めてます。愛知県在住。 https://aichi-warai.jimdofree.com/

なかむら治彦

自称4コマ漫画家のなかむら治彦です。目を患って絵仕事に支障をきたしつつあるため、文字仕事(ライティング・クロスワード等パズル作成)に比重を置き始めてます。愛知県在住。 https://aichi-warai.jimdofree.com/

マガジン

  • ご当地4コマ『なごやか3県隊』まとめ

    「Walker plus」でかつて公開した(2015~16年)東海3県あるある4コマ集。URL先は現在削除されてます。

  • 【厳選4コマ45本】まんがじゃ道 ~持ち込み編~

    1992年8月刊行の単行本『ワリカン』掲載作から厳選した4コマ。その第1弾45本です。 #4コマ #四コマ

  • 【厳選4コマ45本】まんがじゃ道 ~無常編~

    1992年8月刊行の単行本『ワリカン』掲載作から厳選した4コマ。こちらは第2弾45本です。 #4コマ #四コマ

  • 4コマ『いなざわ魂』まとめ・2

    「Walker47」で2014年末まで連載していた4コマのまとめ。 #4コマ #四コマ

  • 4コマ『いなざわ魂』まとめ

    「Walker47」で2014年末まで連載していた4コマのまとめ。 #4コマ #四コマ

最近の記事

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【落語好きの諸般の事情】URLまとめ

昨年9月から今年5月までnoteで続けていた落語コラム【落語好きの諸般の事情】のタイトルを、拙ブログにてまとめました。 https://aichi-warai.jimdo.com/%E4%BD%9C%E5%93%81-%E6%96%87/ 特にご要望はございませんでしたが、「見落としていた」というタイトルや「もう一度読みたい」という内容の記事が、これですぐに再チェックできますね。よかったよかった。 再開はもーちょっとお待ちください。いや、もーちょっととゆーか、もーしばらく。

    • 40年目の反省リスト(22)2005~06年

      以前予告したとおり、今回と次回は少々ハショる。 1年分の情報がうっすいので。 先が見えず模索続きの2005~06年頃、新たに2つのキーワードがマンガ家生活に加わった。「グループ展」と「SNS」だ。 グループ展の方は、間接的には少し前から始まっていた。 先輩4コママンガ家の田代しんたろう先生から、「日韓ユーモア漫画家年賀状交流展」という、日本・韓国両国のマンガ家が描くイラスト年賀状の合同展示企画への参加を募るご連絡を1996年頃から頂いており、私も不定期ながら参加していたの

      • 40年目の反省リスト(21)2004年

        この記事はマンガ家生活の回顧が目的なので、ライティング仕事については基本深く触れない。2003年頃から数年間は、かなり落語脚本の執筆に力を注いでいた時期だったが、冒頭でさらっと触れるに留める。まぁ、以前も書いた通り、仕事にはならなかったわけだが。いずれ「40年目の反省リスト・ライター編」を始める機会があれば、そちらで詳細を書く。 昨年の「まんがパロ野球ニュース号外」を最後に、マンガ誌で仕事をする機会は無くなった。 1998年に「パロ野球」本誌の連載終了後、資料を使う野球蘊蓄

        • 40年目の反省リスト(20)2003年

          2003年は「奇跡」が起きた年だった。 プロ野球で阪神タイガースが1985年以来18年ぶりのセ・リーグを果たしたのだが、そっちが「奇跡」だったのではなく、この年どうしたわけか、野球4コマが一時的に大復活したのだ。 よく考えたら、芳文社の「まんがスポーツ」が創刊したのが1985年。野球4コマという尺度(とても狭い)から見れば、こちらも18年ぶりの歓喜であった。 私は前年2002年秋から、オークラ出版の野球ムック「野球批評」でイラストやら4コマやらもろもろの仕事をもらっていた。

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        【落語好きの諸般の事情】URLまとめ

        マガジン

        • ご当地4コマ『なごやか3県隊』まとめ
          25本
        • 【厳選4コマ45本】まんがじゃ道 ~持ち込み編~
          2本
          ¥200
        • 【厳選4コマ45本】まんがじゃ道 ~無常編~
          2本
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        • 4コマ『いなざわ魂』まとめ・2
          10本
        • 4コマ『いなざわ魂』まとめ
          10本
        • 4コマ『いなざわ魂』まとめ・3
          8本

        記事

          40年目の反省リスト(19)2002年

          2002年1月、自分のサイト「なかむら記念館」から落語セクションを独立させて、落語特化サイト「なかむら記念館 落語別館」をオープンした。 それまでは「4コマ漫画家のサイト」の中で遠慮しぃしぃ落語のマニアックな話をしていたけど、専門サイトを作ってからは天下御免、堂々と落語の話を好き放題にし始めた。 内容は、自作落語脚本と音源コレクションがメイン。あとは似顔絵もやりたいと思い、トップページに落語家さんの似顔絵を月イチ更新した。 基本ローテーションは「上方」→「落語芸術協会」→「

          40年目の反省リスト(19)2002年

          40年目の反省リスト(18)2001年

          この記事は1年1回計40回やるつもりで始めたけど、よく考えたら、後半の10何年かは1回分書くほど情報が無い、ってのにイマサラ気づいた。 21世紀は時々ハショる年もあると思う。あらかじめご承知置きを。 さて、2001年。生活内容は前年と変わらず、従来の仕事とネットと営業の日々である。 1999年の回で「4コマを描いてサイトにあげたのは2003年頃」と言ったが、その前に1作、4コマを公開していたのを忘れてた。「めおとMONO録」という通販好き夫婦の4ページもので、もとは持ち込み

          40年目の反省リスト(18)2001年

          40年目の反省リスト(17)2000年

          西暦2000年というと、仕事探しの営業活動とサイトの更新活動で、日々わらわら慌ただしく動いていた頃。 前年1999年から、あることを機に、某落語ファン交流サイトに出入りするようになっていた。周囲の常連には、パソコン通信時代も熟知するコンピューター第一世代なんかがごろごろいて、私はその中のネット新参者。人見知りには緊張する環境であった。この年の初旬、そのサイトの管理人さんがお手伝いをする地域落語会に足を運び始めたことで、頻繁にナマ落語通いをする生活がこのあと始まった。この生活は

          40年目の反省リスト(17)2000年

          40年目の反省リスト(16)1999年

          前年「野球4コマの看板を下ろすか?」と一瞬考えて、そこから迎えた世紀末1999年。 少しでも仕事につなげたいという思いから、7月に自身のサイト「なかむら記念館」を開設した。私の世代で1999年7月といえば、ノストラダムスの大予言で「地球が滅亡する」と噂された月である。なんでその時期だったんだろう。やけくそだったのか。 マンガ家のサイトといえば、今ならポートフォリオ(自己アピールのための作品群)をずらっと並べるのが定番だが、「なかむら記念館」は過去作品こそ掲載していたものの、

          40年目の反省リスト(16)1999年

          40年目の反省リスト(15)1998年

          1998年の秋、「まんがパロ野球ニュース」の連載が終了したのを機に、パソコンを始めた。 「パロ野球」の野球蘊蓄マンガの連載は、ネタ調べに費やす時間が月のうち2週間かかっていて、その時間がドカッと空いた。ちょうどいいタイミングだと思って、池袋のビックカメラでパソコンを購入したのだ。仕事仲間(スタジオHEGE)が運営するサイト「HEGEロイド」は前年1997年から既に開設しており、メンバーからも早くパソコンを買え買えとせっつかれていたので、ようやく面目が立った。 その当時「HEG

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          40年目の反省リスト(15)1998年

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          40年目の反省リスト(14)1997年

          マンガ誌での連載が「パロ野球ニュース」以外無くなった1997年、新規のマンガ連載が3本開始した。いずれも数回で終わることはなかったが、いずれもマンガ誌ではなかった。 ★ピポパル(学習研究社) ★B.L.T.(東京ニュース通信社) ★ぴあ中部版(ぴあ) 「ピポパル」はこの当時学研が発行していた、通信専門の小学校中学年(3・4年生)向け月刊教材誌。その中で、マンガと読者コーナーをジョイントさせたページを担当させてもらった。投稿はすべてFAXで、編集部から子供たちの一生懸命書いた

          40年目の反省リスト(14)1997年

          40年目の反省リスト(13)1996年

          1996年に入り、まだまだ不安定期が続く。 この年最大のトピックスは、まだ当時東京在住だったにもかかわらず「名古屋マンガ家」の看板を掲げる決定的出来事となった著書「完全『名古屋人』マニュアル」(KKベストセラーズ)の刊行。愛知在住者アンケートをメインにした、おもいっきり名古屋本ブームへの便乗だった。当時やたらと出回ってた「完全○○マニュアル」というタイトルの、これまた便乗。 この本の発売がゴールデンウイーク前に決まって喜んでた頃、すれ違いみたいなタイミングで、「週刊少年ジャ

          40年目の反省リスト(13)1996年

          40年目の反省リスト(12)1995年

          始めに、前回(1994年)のお詫びと訂正から。 自分のマンガ家人生の一大変動を、一つ書き忘れてた。 芳文社の「まんがスポーツ」の休刊である。 ずっと休刊が1995年8月号と勘違いしてて、実際は1年早い1994年8月号だった。どうも失礼しました(誰に謝ってるのか)。 1987年11月号、ファームの日本シリーズ「ジュニア選手権」リポートを、いきなり2色見開きで担当させてもらって以来、都合7年弱、「まんスポ」にはとてもお世話になった。一度、読者アンケートの結果を聞き、大いに驚いた

          40年目の反省リスト(12)1995年

          40年目の反省リスト(11)1994年

          担当編集者さんがほとんど入れ替わり、連載もいくつか終わり、ひそかに期待した「日刊アスカ」にはたった2週間でドロンを決められるなどあって、安定期から変動期への移行を否応なく感じさせられ始めた1994年の年明け。 この年、またまた仕事面での変動があった。 (変動その1) 1月、東京中日スポーツで6年続いた4コマ「ドラ一発!」が終了。 2月から、記事に付随したヒトコママンガを執筆することになった。 4コマは何日分か描き溜めてデスクに送ることもあったけど、記事に付くマンガとなるとそ

          40年目の反省リスト(11)1994年

          40年目の反省リスト(10)1993年

          1993年は、このパノラマイラストから始まった。 東京中日スポーツの元日の紙面に、この大きなサイズでマンガを掲載してもらうという、めでたいスタート。Jリーグ元年のこの年は、マスコミではこうした「プロ野球vsJリーグ」の図式がことあるごとにテーマになった。 前年のクリスマス頃に描き上げてトーチュウに持参し、デスクの皆さんに大層喜んでいただけて、鼻歌まじりで帰途に着いた記憶が残ってる。 前年までに「やっとかめでGО!(全2巻)」など野球4コマ単行本を計4冊刊行できたことで、い

          40年目の反省リスト(10)1993年

          40年目の反省リスト(9)1992年

          「バブル崩壊」の年、1992年である。 昨年に続いて、この年も単行本を2冊上梓した。いずれもみのり書房からで、5月に「プロ野球ギャグ200勝!!」、そして8月に小平小平(こだいらしょうへい)さんとの共著「ワリカン」。 「200勝」は、前年の「100連発」の実質的続編。とにかくパロディが徹底的にやりたくて、野球4コマ以外はパロディ書き下ろしギッシリ。トップの2色ページは野球4コマ誌の各先生方の作風パロディで、他は「100連発」に続いてスタジオHEGEのメンバーによる労作。ちな

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          40年目の反省リスト(9)1992年

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          40年目の反省リスト(8)1991年

          1991年は、初単行本を上梓することができた記念の年である。 1989年にスタジオHEGEとして「うずうず読本」というギャグネタ本を廣済堂出版から出していたが、個人名義ではこの年が初めて。しかもイッキに3冊も。 竹書房から「やっとかめでGO!!」が2巻。1巻(ヘッダー画像)が4月、2巻が12月。立て続けに2巻目が決まったのは、別に売れたわけではなく、主役キャラの星野仙一監督が年末に退任を発表したから。巻末書き下ろしで、1巻には名古屋事典、2巻には中日ドラゴンズ名選手事典が掲載

          40年目の反省リスト(8)1991年