それでええねん(^^)
何もかもに、疲れ果てて、全てが億劫で、自分に、何も価値は無い、廻りのみんなに迷惑をかける。
そんな思いに、囚われたことはないですか?
泣きながらパンを食べた者でなければ、人生の本当の味は、わからないかもしれない。
私たちは、とても不完全な人間なんでしょうねぇ。
不完全だから、しょっちゅう失敗する^^;
でも学ぶ(^^)
2度と、同じ間違いは、しないように決心する。
それでも、同じ間違いをすることは、すくなからずあります^^;
何故なら、馬鹿で、不完全だから^^;
そういう時には、やはり、少し自己嫌悪になってしまいます(ふぅ~)
そして、3度は、同じ間違いを犯すまいと、性懲りもなく決心する。
その繰り返しの中で、少しずつ向上する。
少しずつだけれど、それでも、向上は、向上だよね(^^)
過去に苦しめられてない、完璧な人間なんか、いないんじゃないかなぁ。
だから、エールではなく、ちょっとだけ休んでもええねん。
別に、頑張らなくっても、構わないんだって、伝えてあげたい(^^)
実際、世の中には、どんな慰めの言葉も、キレイゴトに聞こえ、時間しか、解決できないことがあります。
時間が経つのを、ジッと待つのは、長期間にわたって苦痛にさらされるわけで、とても勇気がいることです。
でもねぇ。
「待つ」という行動は、とっても大切なこと。
“待っている”のは、何もしてないわけじゃない。
“待つ”こと自体が、既に、もう立派な行動なんだよ、ね。
そう思えれば、取り返しがつかないことなんかはない。
自分だけの過去なんだから、ひとしきり休んで、力が回復したら、好きに取り戻していっていいじゃないかって思います(^^)
「神は記憶を与えて下さった。」
それは、人生の辛い冬の時期に、6月のバラを思い描けるようにするためだと、詩人ジェームズ・バリーも言っていました。
また、「心配」のし過ぎは、大変な“時間どろぼう”ですから、ご注意下さい。
どうにもならない問題を解決しようとすると、精神的に追い詰められるけど、切り口を変えて問題と向き合い、学んでいこうという姿勢なら、苦しみながらも、前進に繋がっていく。
問題を解決しようとせず、問題と向き合い、何かを学んで、生きていく生き方もあるんだと思えればいい、一つの扉が閉まったら、別の扉を探せばええねん、それだけのコッチャ(^^)
「後悔してもええねん
また始めたらええねん
失敗してもええねん
向かい合ったらええねん
前を向いたらええねん」(ええねん//ウルフルズより)
自分が不甲斐なくて、情けなくて、消えてしまいたかったこともある。
どうして死んじゃダメなの。
生きなきゃいけないの。
そう心で渦巻いていて、何も出来ない。
でも、せめて泣いて、心配かけちゃダメだって、気を張っていたこともある。
なんにも出来ずに、全てを投げて帰るような自分が、本当に情けなくて、仕方なかったこともある。
そんな時に、不運ばんざい!て、逆ギレ大王にでもなって、自分の悲劇を、喜劇、いや笑劇に変えていきたいなって、思います。
運の女神に見放され、この世の最低の境遇に落ちたなら、あと、もう残るのは希望だけ。
不安の種も何もない!って、シェイクスピアも言っていたし、ね(ニヤリ)
そうそう、5代目古今亭志ん生さんも言っていました。
「貧乏ってのはするもんじゃねえ。嗜むもんです」って。(なるほどねぇ~)
「びんぼう自慢」(ちくま文庫)古今亭志ん生(著)小島貞二(編)
嗜むとは、楽しみ、味わい、人生のこやしにすること。
芸事を習う意味の、嗜む。
お茶を少々嗜む。
何かを好んで心を寄せる意味の、嗜む。
お酒を嗜む。
気持ちを正して、謹む意味の嗜む。
身を嗜む。
例えば、それが、貧乏であっても。
逆境であっても。
嗜むように、熱心に、拘って、謹んで、暮らすことが大事なのでしょうね。
志ん生師匠のその言葉は、「人生だって何だって、嗜むようなもんだよ」とも聞こえます。
「ああ、なんて、私はついていない。」ってこと、多くありますよね^^;
でもね。
そう、嘆いても良いけど、そのまま立ち止まるのではなく、「さてさて、またまた、難しいお題ですねぇ~こりゃ、どういたしますかね?」みたいな感じで(^^)
習い事の一つのように。
大好きなことの起きた課題のように。
視点を変えてみたり、置き換えてみたりして、慎みながら、熱心に、(人生の芸事みたいなものなんだと)拘って、向き合う。
そうしているうちに、きっと人生、いいものになるんじゃないかと、教えてくれているように思います(^^)
「何も無くてもええねん
信じていればええねん
意味が無くてもええねん
何かを感じていればええねん
他に何も要らんねん
情けなくてもええねん
叫んでみればええねん
苦い涙もええねん
ぽろりこぼれてええねん
ちょっと休めばええねん」(ええねん//ウルフルズより)
こんな、いろんな”ええねん”を、優雅にたしなんでいけたら、いいなって思いませんか?(^^)
【おまけ】
古今亭志ん生「びんぼう小話」
用があって表へ出かけると、向こうから友だちが来るんで、ポンと一つ背中をたたいて、
「よう!貧乏神、どこへ行く?」
と声をかけると、
「うん、今からお前んちへ行くところだ。」
いまいましい野郎だなあ、とブツブツ言いながら用事をすませて帰りしなに、
またさっきの友だちが来たので、
今度は背中をなぜながら、
「おや、福の神、これからどちらへお出かけで?」
ときくていと、
「おぉ、いま、お前んちから出てきたところよ。」
古今亭志ん生「和歌三神」(レアな演目です)
落語「和歌三神」の舞台を歩く