食べる・歴史・志ん生
(2019年1月執筆)
単身赴任を始めてそろそろ2年、節約のためになるべく自炊を心がけているが、レパートリーはさほど増えていない。同じようなものばかりでバランスが取れていないので、お腹まわりが年相応に成長している。
成長に見合った栄養が取れる給食という仕組みってよく出来てるよな…と手に取ったのが藤原辰史『給食の歴史』(岩波新書)。
貧困児童の救済という目的で、戦前から少しずつ給食という仕組みは整えられていったが、その背景には常に戦争があった。総力戦においては、子供も重要な後方支援部隊であり、そのためには身体能力の向上は必須だったからだ。
戦後もアメリカが占領を円滑に進めるため、そしてアメリカの農産物を消費してもらうために「コメからパンへ」と促し、日本人の食生活自体が大きく変化していく。新自由主義とグローバリズムが台頭する時代では、コスト削減というお題目だけで議論が勧められ、給食という仕組みそのものが危ぶまれる事態になった。
ただし、すべてが「押しつけ」られた訳ではない。画一的な施策では都市と農村との格差は埋まらず、運用も手探りで進められた。災害時のライフラインという意義も大きい。それぞれの時代と場所で、政治家・教師・栄養士や調理員、保護者が理想の給食を考えながら議論・行動し、改善されてきた。経済・貧困・教育・行政・食料・地域…。近代国家の課題がすべて集約されている給食という仕組みは、今現在も試行錯誤が続いている。
楽しい思い出とともにある給食は、常に理想と現実の間で揺らいでいたことをはじめて理解できた。
美濃部美津子『志ん生の食卓』(新潮文庫)は、父である落語家・古今亭志ん生との食と酒にまつわる思い出をつづったエッセイ。
サラッと食べられるものを好む一方、こだわる部分は絶対に譲らない、まさに江戸っ子。最後の会話もお酒のことだったのも、うなづける。破天荒な生き方で滅多に食事をともにすることがなかったからこそ、一緒に食べたものやお店のひとつひとつに思い出がある。今なお負いされ続ける<落語の神様>の、家族にしか見せない顔がまた良い。
志ん生の「猫の皿」を聴きながら読むのも一興です。