はなっちの音日記

音楽、映画好き。 音楽活動も行なってます。 他のブログで長年音楽ブログを書いていましたが、古いブログをこちらに移管。新しいブログも月1のペースで書いていきます。 既発表作は400近くあるので、気長に進めて参ります。 古いコンサートや昔のアルバム評など懐かしい話が中心になります。

はなっちの音日記

音楽、映画好き。 音楽活動も行なってます。 他のブログで長年音楽ブログを書いていましたが、古いブログをこちらに移管。新しいブログも月1のペースで書いていきます。 既発表作は400近くあるので、気長に進めて参ります。 古いコンサートや昔のアルバム評など懐かしい話が中心になります。

最近の記事

『シーズ・ザ・ボス』 ミック・ジャガー

8年前のコラム。 当時から私はジジィって言ってる。失礼な話だけど愛着を持っているのだ。でも今年もストーンズはツアーをしている。80歳を超えてもロックンロールだ。 ミックもキースもロンも死ぬまでロックンロールなんだろうね。 2024年11月  ミックを見るたびに思う。元気なジジィだな、と。 60年代のミックはまだ悪ガキの匂いをプンプンさせていた。いたずら小僧が近所の悪ガキを集めてバンドをやってるといったところか。 70年代のミックは友との別れを数度経験し、少しだけ大人に

    • 『29』 奥田民生

      奥田民生がソロデビュー30周年らしい。 「SONGS」など音楽番組にいろいろ出演しているが、本人は相変わらず肩の力が抜けた自然体だ。 気負いというものが無い。そこが彼の魅力なんだろう。 2024年11月 とにかくだらだらなのだ。このだらだらが許せない人は聴いてはいけないのだ。歌唱法から演奏からだらだらと弛緩したサウンドが耳にこびりつく。 これがネクスト・ジェネレーションのロックなのかぁ、と意気込んで聴いてみたものの、うーん・・・だらだらでしかないのだ。奥田がプロデュースした

      • SONGS & FRIENDS 小坂忠「ほうろう」

         2018年11月26日(月)21時50分。 東京国際フォーラムは満員の歓声に包まれていた。  SONGS & FRIENDS 小坂忠「ほうろう」と題されたコンサートはこのコンサートのプロデューサーである武部聡志のピアノをバックに小坂忠は最後の歌「You Are So Beautiful.」を歌いあげた。 優しく伸びるヴォーカルと一緒にピアノの音が漆黒の闇に溶けていき、それが無音になったと同時に会場からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。 それは、まさにミラクルの瞬間だった。

        • 母と音楽

          母が先月亡くなった。 やりたいことをやりきった85年間の人生だったと思う。 歯に衣着せぬ物言いに驚かされることも多々あり、自由奔放な母は、子供の私から見ても恰好が良かった。 外務省勤務で霞が関の街を闊歩していたし、幼い私を連れて美容院は広尾、飲みに行くには麻布など非常にこだわりの強い人だった。  父は川崎市の中学校の教員。後に高校の校長にまでなるのだが、きっと母に尻を叩かれていたのだと思う。しかし、あのジャジャ馬を操れるのは父しかいないと思う。父は穏やかな人である。  母

          『HORO』 小坂忠

           歌がうまいと称される人。それは声量なのか音程の良さなのか、果ては聴きやすさなのか。 説得力があるという表現を使う人もいる。しかし、勘違いしている人が殆どで、ゴスペルを歌い出したら黒人のブレスを物真似するように歌ったり、妙な抑揚を付けて見たり・・・テクニックに走るのも良いが、もう少し押さえて歌ってほしいね。“私は上手いです、声出ます”みたいに歌われると聴いてて疲れるんだよね。余裕をもって歌ってほしいわ。やたらと母音を強調してワーワー叫んでいるシンガーをソウルシンガーと称して、

          『HORO』 小坂忠

          『黄昏のレンガ路』 エルトン・ジョン

           今回のブログは、ルッキズムやLTGBQなどという言葉が無い時代の偏見に満ちたものだが、本能的な嗜好は世の中の流れで簡単に変わるものではない。ただそれを声を上げて言うことを控えるかどうかという事。  今の時代に合わないことはわかっているが、エルトンが発表した音楽は素晴らしいものだし、特にこのアルバムはヘビロテする。 2024/11  僕にはアーティストに対し、ものすごい偏見がある。フロントラインに立つ人は、格好良い人でなければどんなに歌が上手でもNGなのだ。当り前のよ

          『黄昏のレンガ路』 エルトン・ジョン

          『VIVA MARIYA!!』 竹内まりや

           竹内まりやは慶応大学で杉真理らとアマチュアバンドを組んでいた。杉のプロデビューに伴い、コーラス等で参加し、その縁でRCAと契約した。おりしもニューミュージック全盛時で、ニューミュージック界のアイドルとなった。しかし、いくらアイドルといっても“ニューミュージック界の”という言葉が頭に付く。つまりキャンパスギャルが歌を歌っているという印象が強く、本当のアイドルにしては歳がいっているし、アーティストと呼ぶにはまだまだだし、どこにも属さない存在だったのだ。ルックスは、実にアメリカナ

          『VIVA MARIYA!!』 竹内まりや

          『まぼろしの世界(12inch+LIVE)』 エコー&ザ・バニーメン

           北朝鮮は日本だけに留まらず、中国や韓国にも緊張感を与えている。ロシアへの派兵も加わり、ウクライナとの戦争が助長される危機感が高まる。 戦争の緊張感が2017年にも感じた7年前のブログから世の中は全然変わっていないのだ。 2024年10月  アメリカと北朝鮮の代表2人が核ミサイルのボタンに指を乗せていた頃、お花見で盛り上がる日本では、一部のマスコミだけに緊張が走ったが、概ねどのテレビ局も普段どおりのバラエティ番組の中で荒唐無稽な笑いを提供していた。  そんな2017年4月1

          『まぼろしの世界(12inch+LIVE)』 エコー&ザ・バニーメン

          『君のために作った歌』 松山千春

          古いレコードの整理をしていると、自分の音楽史を振り返ることができる。特に中学時代や高校時代は“なけなし”の小遣いを工面しながらレコードを購入していたから、真剣に聴いた。今のダウンロードやスポティファイのような配信サービスで慣れてしまっている若者は、多分じっくりとステレオの前で音楽に没頭するなんてことはできないだろう。 レコードジャケットや歌詞カード、ライナーノーツなどの限られた情報の中で音楽を聴き、歌の世界観だけにとどまらず、作り手の気持ちにまで想いを巡らせ、無限の妄想を膨ら

          『君のために作った歌』 松山千春

          ブルースにみる音楽の変遷

           日本人に理解しづらい洋楽にブルースというジャンルがある。昭和の人はブルースというと淡谷のり子の「別れのブルース」とか内山田洋とクールファイブの「中の島ブルース」を思い出す人が多い。洋楽としてのブルースを知らない日本人は、「ブルース」は哀しく憂う歌というニュアンスで理解したのだと思う。  例えば、淡谷のり子の「別れのブルース」は戦前に服部良一が作った。服部は西洋音楽のブルースはもちろん知っていて、黒人の労働歌であるブルースがジャズの基礎となったという認識もあったという。但し、

          ブルースにみる音楽の変遷

          献杯 ルパン三世

           先日大山のぶ代が亡くなった。我々世代なら誰もが知っている初代ドラえもんの声。ドラえもんの声を2代目に引き継いでからは、表舞台に出なくなった。 こういう長寿番組は、「サザエさん」にしても後継者がいるかどうか、ハマるかハマらないかでその後の人気に大いに影響されていく。 ルパン三世もその一つ。ちょっと前のコラム。 2024/10/18  ルパン三世の生みの親であるモンキー・パンチが亡くなった。  ルパンの声優だった山田康雄が亡くなった時もルパンはこれからどうなるのか、なんて話が

          献杯 ルパン三世

          『フルハウス』 ウェス・モンゴメリ

           何もいきなりマイルスから聴いたわけじゃない。ビル・エバンスは死ぬ直前までピアノと歌っていた。ガレスビーは狂気だ。セロニアス・モンクは静寂の嵐を表現する。チャーリー・パーカーの流れるような旋律やソニー・ロリンズの轟くようなメロディーは人間の生き様だ。チャーリー・クリスチャンやケニー・バレルまで突き詰めるとギターの可能性が見えてくる・・・。グズグズと酒を飲みながらジャズの話を始めると、最後に決まって思うことがある。何故ジャズを聴き始めたのか。  中学3年の夏休み、友達と吉祥

          『フルハウス』 ウェス・モンゴメリ

          スプリングスティーンのレコード

           中学、高校時代はとにかくレコードを買うためにいかに金を工面するかということに心血を注いだ。  部活や委員会の仕事もあったので、バイトなんて出来ない。かといって小遣いだけではLPレコードを1枚購入するのがやっとである。当然、昼飯を削って金を作ってもタカが知れているし、毎日昼飯を抜くのも辛いものがある。 そんな時に手っ取り早く金を手に入れる方法として考えたことは、自分の持っている不要なものを友達に売るということだった。自分の家にある本や漫画、Tシャツやらトレーディングカード類な

          スプリングスティーンのレコード

          映画「OUR SONG and all of you(ライブ・アット・武道館)」 原田真二

           1977年秋、原田真二はフォーライフレコードからデビューした。クシャクシャのカーリーヘアにマッチしたベビーフェイスは、歌を聞くまではそれまでのアイドルと何一つ変わらぬ出で立ちであったが、彼がピアノの前でひとたび歌い出せば、今までに聴いたことの無いポップス感覚に富んだシンガーであることは誰の目にも明らかに映った。そして、それは3ヶ月連続シングル発表という奇想天外なデビュー方法も手伝い一大センセーショナルを生んだ(後述するキャロルは7ヶ月連続シングル発表という例がある)。  原

          映画「OUR SONG and all of you(ライブ・アット・武道館)」 原田真二

          ディランとの出会い・・・

           親戚の家で初めて触れた“よしだたくろう”と“井上陽水”と“かぐや姫”。ちょうど歌謡曲にも飽き始めた私が小学生の高学年の頃のこと。 そういえば、その従姉妹からはビートルズの『ホワイトアルバム』(1968)も教えてもらった。面食いのちえちゃんは、4人のポートレートを見ながら「やっぱりジョージが一番ハンサム!」なんて言っていたっけ。  さて、そんなフォークの洗礼を受けた私は、従姉妹の家から沢山のレコードや音楽雑誌を借り、せっせと自宅で聴く毎日。ちょうどその頃の私は、エレクトーン

          ディランとの出会い・・・

          『かぐや姫LIVE』 かぐや姫

          『かぐや姫LIVE』(1974)というアルバムがある。『かぐや姫さあど』(1972)、『三階建ての詩』(1973)を発表し、「神田川」の大ヒットでフォークブームの真ん中に立っていた時のライヴツアーを収録した作品だ。3人の甘いコーラスやこうせつの楽しいMCもしっかり収録されている。  僕の高校の文化祭での出来事。このアルバムを完コピしている先輩達のパフォーマンスには笑った。高校の文化祭ライヴでは、大抵オフコース、アリス、長淵剛などのフォーク系コピーバンドが名を連ねる。にきび面

          『かぐや姫LIVE』 かぐや姫