渋谷のレコード屋の社長の雑記

FTF株式会社代表取締役。1994年創業。国内でFace Recordsなど6店舗、NYでFace RecordsNYCを展開中。リユース経済新聞で「古物商も知らない中古レコードの世界」連載中。レコードとCDなど高価買取中です! https://ecostorecom.jp/

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マガジン

  • 渋谷の歴史 ワシントン・ハイツと音楽編

    代々木公園にかつて存在した存在したアメリカ軍の街「ワシントン・ハイツ」についての記事をまとめています。今後も追加予定です。

最近の記事

立川談志「談志の談捨離」オークションの経緯について

御縁があって立川談志師匠のご遺品を「談志の談捨離」として販売させて頂くことになりました、FTF株式会社の代表取締役武井進一と申します。 実は談志師匠のご遺品の販売は今回で4回目になります。最初に販売させて頂いたのが2017年でした。 本件の背景といたしましては、以下のような経緯がございます。 私自身、落語を20年ほど前からレコードやCDで聞くようになりました。志ん生、志ん朝と聞いていくうちに談志師匠の様々な噺やまくら噺を聞くうちに大ファンになりました。特に師匠の「鼠穴」「

    • 「談志の談捨離」遺品オークション 特別インタビュー 立川志らく

      立川志らく 落語家、映画監督(日本映画監督協会所属)、映画評論家、劇団主宰、TVコメンテーター、寅さん博士、昭和歌謡曲博士の異名も持つ。(WEBプロフィールから  立川志らく )落語立川流、ワタナベエンターテインメント(文化人部門)所属。一般社団法人落語立川流副代表。(立川志らく - Wikipedia ) 談志の「談捨離」について ーーー 2023年に談志師匠の十三回忌が行われまして、練馬のお宅に保管されていた談志師匠が執筆された書籍を「談志の談捨離」としてオークション

      • ジャズと落語: 100年に渡る長い関係。 ④

        レコードの歴史を私なりに考えてみた。今回はジャズレコードと落語について考えた。レコードは百年以上の歴史をもつ音楽メディアだが、令和になってなぜか復活し、現在、音楽文化の世界で新たに大きな役割を果たそうとしている。落語に関しても落語家が増えているという点で成長を続けているのではないだろうか。私は学者ではないし、レコードや音楽文化を専門に研究しているわけでもない。(そんなことは百も承知、二百も合点という声も聞かれるが)いうなれば、現役のレコード店経営者としての実体験や、少しばかり

        • ジャズと落語: 100年に渡る長い関係。①

          レコードの歴史を私なりに考えてみた。今回はジャズレコードと落語について考えた。レコードは百年以上の歴史をもつ音楽メディアだが、令和になってなぜか復活し、現在、音楽文化の世界で新たに大きな役割を果たそうとしている。落語に関しても落語家が増えているという点で成長を続けているのではないだろうか。私は学者ではないし、レコードや音楽文化を専門に研究しているわけでもない。(そんなことは百も承知、二百も合点という声も聞かれるが)いうなれば、現役のレコード店経営者としての実体験や、少しばかり

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        • 渋谷の歴史 ワシントン・ハイツと音楽編
          7本

        記事

          落語との出会いと立川談志(たてかわだんし)について

          あらためて落語とは・・・現在の落語は? 落語とは、日本の伝統的な話芸であり、数百年にわたる歴史を持つ。落語と講談は両方とも数百年の歴史がある日本の伝統的な話芸。落語は噺家が一人で複数のキャラクターを演じ、両方とも古典と新作(創作)がある。 笑点の大喜利が落語だと思っている方も多いかもしれないが、大喜利は寄席の出演者複数がお題に沿った芸を競い合う余興のことである。 落語には面白い噺(滑稽噺)、泣ける噺(人情噺)、怖い噺(怪談噺)があり、最後に全て「落ち」があるため、「落とし噺

          落語との出会いと立川談志(たてかわだんし)について

          渋谷(系)の歴史「HOSONO HOUSEは扶養家族住宅だった」

          *細野晴臣のHOSONO HOUSEが渋谷系の音楽かどうかは人によって捉え方が違うと思いますが、今回はHOSONO HOUSEの住居自体について書いておりますので、こんなタイトルになりました。ご了承ください。 HOSONO HOUSEは2023年で発売から50周年を迎えた。 アルバム収録曲の「恋は桃色」をアメリカの話題のサックス奏者のSam Gendelによる英詞でのカバーが発表されて話題になっている。五木田智央氏がジャケットを手掛けたカバーアルバムも2024年11月に発

          渋谷(系)の歴史「HOSONO HOUSEは扶養家族住宅だった」

          渋谷の歴史 : CISCO RECORDS/レコードショップ・シスコの歴史

          「渋谷系」サブカルチャーを支えた「レコードショップ・シスコ」の歴史 サブカルチャーにはそのシーンを支える「店での買い物」が不可欠である。「店」がなければそのカルチャー自体が成立しないと思う。 特に「渋谷系」と言われるサブカルチャーにはレコード店そのものと、その店でレコードを買う行為が非常に重要だった。そして70年代初頭から「渋谷系」のシーンを牽引した「輸入レコード店」のレコードショップ・シスコは特別な存在だった。 もう17年前・・・2007年12月10日、渋谷のシスコ坂の

          渋谷の歴史 : CISCO RECORDS/レコードショップ・シスコの歴史

          渋谷の歴史 vol.12「代々木公園は日本初の飛行場だった」

          代々木公園は飛行場だった 旧ワシントン・ハイツ、現代々木公園の場所は元々は江戸時代は大名や旗本の下屋敷が点在していた。明治維新後は版籍奉還により大名や武士の収入が激減し、彼らが江戸に所有していた土地や屋敷を手放した。それで都内の多くの場所がそうなったように、青山から渋谷、代々木公園にかけての地域も同様に、輸出用のお茶を作る茶畑や、絹糸を取るための蚕の餌となる桑畑になった。現在では想像つかないが、青山通りも明治初期頃は渋谷から赤坂辺りまで一面に茶畑、桑畑が広がっていたそうだ。

          渋谷の歴史 vol.12「代々木公園は日本初の飛行場だった」

          渋谷の歴史 vol.11「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツのクラブハウス跡地にある樹木」

          前回の記事はこちら 代々木公園内に257号室以外に何かワシントンハイツの痕跡はないかと探してみた。管理事務所の方にも聞いたがほぼ無いとのことだった。石垣などもあるがこれも後から作られたものだそうだ。 クラブハウス跡地を探してみた 1948年にワシントン・ハイツが完成。それからアメリカ兵とその家族の普通の生活が始まった。幼稚園、小学校が開校し、映画館では最新映画が上映され、カミサリーではアメリカから輸入された食品が大量に販売されていた。小さな街があった。そして当初テレビも

          渋谷の歴史 vol.11「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツのクラブハウス跡地にある樹木」

          渋谷の歴史 vol.10「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの地図を再現してみた」

          戦後の歴史はあまり公にされていない部分がある。現在の、のどやかな代々木公園に800世帯以上の米兵のためのアメリカ住宅と小さな街があったとは誰も想像できないのではないだろうか? 渋谷の歴史をいろいろな地図から調べている。そのきっかけとなったのが、性社会・文化史研究者・三橋順子先生のブログを見て住宅地図に興味を持ってからである。私が賃貸で借りている一室のビルが元々は「モダン・クラッシック」なホテルだった事がわかり衝撃を受けた。渋谷と千駄ヶ谷は♨旅館だらけだったそうだ。 仲の良い渋

          渋谷の歴史 vol.10「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの地図を再現してみた」

          【渋谷の歴史 vol.9 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの住宅と家具~憧れの家具との再会」】

          前回記事です 昔からお気に入りだった東山の「家具屋」と宮下パーク 90年代前半、目黒の蛇崩に向かう野沢通り沿いの坂の中腹に、石積みの柱が印象的なファサードの凄くかっこいい家具店があった。当時私はまだ若く、そのお店は敷居が高くて別世界に感じていたが、勇気を出して一度店内に入って一目惚れし、「将来、必ずここの家具を買おう」と思っていた。 その家具屋さんはパシフィックファニチャーサービス(以下PFS)と言い、現在は恵比寿のアメリカ橋の手前にある。それから歳を取り多少余裕ができ

          【渋谷の歴史 vol.9 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの住宅と家具~憧れの家具との再会」】

          世界で一番レコード店の多い街は渋谷ではない件:The fact that Shibuya is not the city with the most record stores in the world

          世界で一番レコード店の多い街は渋谷ではない件 「世界で一番レコード屋の多い街は渋谷」とよく言われてきた。「ギネスブックにも載った」とも言われてきた。しかし、そのギネスブックの記事をいまだに見たことがない。私の検索方法が悪いのかもしれないが、あれば見てみたいものである。 そこで実際に1991年から2023年まで「レコード+CDマップ」で国内のレコード店密集地域の店舗数で調べてみた。(1990年、2006年無し、2014年以降隔年) すると、2000年、2001年の新宿エリア(

          世界で一番レコード店の多い街は渋谷ではない件:The fact that Shibuya is not the city with the most record stores in the world

          【渋谷の歴史 vol.8 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のレコードショップ」

          戦前の音楽史やレコードに関しての書籍や資料はたくさんあるが、日本のレコード屋の歴史を研究した書籍はほとんどないと思う。特にレコード誕生から戦前の中古盤屋の歴史を調査した本は見たこと無いし、調べている研究家も聞いたことがない。たぶん需要がない。 長い間「はて、日本で一番最初の中古盤屋や輸入盤屋はどこなんだろう?」とずっと思っていた。しかしネットには情報が非常に少ないし書籍も少ない。 「自分の生業の歴史」も知らないのは悔しいので、仕方なく時間のある時に少しづつ調べている。

          【渋谷の歴史 vol.8 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のレコードショップ」

          【渋谷の歴史 vol.7 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のスーパーマーケット」】

          ワシントンハイツのカミサリーが渋谷の戦後文化の原点の一部である(と思う) 前回記事です 米軍基地内の売店:PX、BX、カミサリーとは何か?ワシントンハイツという米軍の住宅地の中にPXとカミサリーという商業施設があった。では聞き慣れない「PX」と「カミサリーって何?ということだが、米軍の基地内にはPX、BX、NEX、カミサリーと呼ばれる商業施設がある。アメリカ軍とその家族が利用できる商業施設で、PXは日本語では「酒保」と呼ばれている。 カミサリー(Commissary)

          【渋谷の歴史 vol.7 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツの中のスーパーマーケット」】

          【渋谷の歴史 vol.6 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツとデペンデントハウス(Dependents House)」① 】

          *トップはワシントンハイツの略図。左側が参宮橋駅方面、上側が原宿駅方面。 ワシントンハイツの存在を知る人も減り、返還されてからすでに60年経過し当時のことを知る方がかなり減っている。何とかこの存在を知る方の話しや資料をまとめて残したいという思いに駆られている。教科書に載ってないが非常に重要な歴史なのだ。渋谷で商いをする者として渋谷の音楽文化と歴史に非常に関係ある点と点を繋いで行きたい。 現在代々木公園がある場所にアメリカ軍専用住宅「ワシントン・ハイツ」があった。変換された

          【渋谷の歴史 vol.6 「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツとデペンデントハウス(Dependents House)」① 】

          【渋谷の歴史 vol.5「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツ」】

          渋谷の歴史 vol.5「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツ」 1964年まで渋谷には日本人が入れない「アメリカ合衆国」があった。 日本は太平洋戦争に負けた後、アメリカが現在の代々木公園(旧代々木練兵場)を占領し「ワシントンハイツ」と名付けた。占領下では接収した場所やビル、主要な通りには英語名がつけられた。例えば井の頭通りは渋谷西武から富ヶ谷辺りまでが35th Street、そこから吉祥寺まではStreet”G”と呼ばれていた。 恵比寿にはEBISU CAMPがありイ

          【渋谷の歴史 vol.5「渋谷にあったアメリカ:ワシントン・ハイツ」】