【聖徳太子 十七条憲法】 第四条 四曰。群卿百寮、以禮爲本。其治民之本要在乎禮。上不禮、而下非齊、下無禮、以必有罪。是以、群臣有禮、位次不亂、百姓有禮、國家自治。 礼節をわきまえて、お互いに思いやり、敬いあうことは人の基本だろうと思います。 ※読み下しと意味はコメント欄に😊
用明天皇と(蘇我稲目の孫である)穴穂部間人皇女との間に生まれたのが厩戸皇子(聖徳太子)。 この厩戸皇子と(蘇我馬子の娘である)刀自古郎女との間に生まれたのが、山背(山代)大兄王ですね。 山代国・広隆寺を創建した秦河勝は、用明・崇峻・推古の三代の天皇に仕えていますね。
推古天皇11年の11月に秦河勝は厩戸皇子から「尊佛像」(弥勒像?)を賜っていますね。 十一月己亥朔、皇太子、謂諸大夫曰「我有尊佛像、誰得是像以恭拝。」時、秦造河勝進曰、臣拝之。便受佛像、因以造蜂岡寺(『日本書紀』) これが山代国・広隆寺(蜂岡寺)の創建とされていますね。^_^