九條です。
今回の講読は少し長い(本文約5,000文字/原文と読み下しは含まず)です。すみません。^^;
いまから1430年ほど前の飛鳥時代。西暦593年のこと。推古天皇(我が国最初の男系の女性天皇)が豊浦宮にて即位されました[01]。
また、天皇の補佐役として厩戸皇子(以下慣例に従って「聖徳太子」と記します)が摂政に就任しました[02]。
それから10年後(すなわち西暦603年)に推古天皇は小墾田宮へと遷られ[03]、その翌年(604年)に聖徳太子は『十七条憲法』を発布したとされています[04]。
この『十七条憲法』はたいへん有名な文書ですが、全文をお読みになった事がある方は少ないかと思います。
『十七条憲法』は、いま私たちがイメージする「憲法」とは異なり、その内容は群臣たちの心をひとつに纏め、より良き国造りを目指すための指針だといえます。
しかし聖徳太子が群臣たちの姿勢や政治の指針として『十七条憲法』を公に示したとすれば、それは日本史上初の試みであったのかも知れません。
そしてその内容を読むと「人の心」の本質を突き、現在の私たちの日常生活にも相通じることが多く、私たちが日々の生活を省みて活かすことができるような内容でもあると思います。
原文は『日本書紀』に収録されている漢文ですが、この時代の文書としてはとても平明で分かりやすく、味わい深いものです。
ただ、この『十七条憲法』は飛鳥時代(7世紀初頭)の聖徳太子による作ではなく、少し時代が降った奈良時代頃に創作されたものではないかという説もあります(私も聖徳太子撰には疑問を抱いています)。
けれども奈良時代の創作であったとしても、それが『日本書紀』に収録されているという点から、少なくともいまから約1300年前の奈良時代以前にはほぼ確実に存在していた古代の文書だと言えます。
さて、冒頭にも記しました通り、この『十七条憲法』のボリュームは少し多いのですが、もしよろしければ、お時間がお有りの時にでも、我が国の古代国家成立期にあたる遥か1300〜1400年前の文書をぜひ味わってみてください。
今回の「読み下し」も、いつもよりかなり丁寧に「ふりがな」をつけました。^_^
では、早速…。
【註】
[01]『日本書紀』推古天皇即位前記冬十二月条(冬十二月壬申朔己卯、皇后即天皇位於豐浦宮)
[02]『日本書紀』推古天皇元年夏四月条(夏四月庚午朔己卯、立厩戸豐聰耳皇子爲皇太子。仍錄攝政、以萬機悉委焉)
[03]『日本書紀』推古天皇十一年冬十月条(冬十月己巳朔壬申、遷于小墾田宮)
[04]『日本書紀』推古天皇十二年夏四月条(夏四月丙寅朔戊辰、皇太子親肇作憲法十七條)
[05]国史大系版『日本書紀』(前編)吉川弘文館 1973年
[06]百姓(ひゃくせい)=人々
※1997年に行なった市民講座向けの講義ノートから抜粋・編集しました。
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