私はずっと探していた。パートナーでもなく、 友人でもなく、何かを。何かは自分の中にあった。すべては自分の中にあった。それを見つけた時、何もないことを知る。それでも人として生きる。私はそれを暇つぶしと呼ぶ。この暇つぶしという言葉は、そのままの意味ではないのだが。
なにもないわけはないので数文字を吐き出してみてあるはあるとす
今日はお休みだった。 長めの睡眠、食材調達、夕飯の仕度、そして今。ってくらいにシンプル。 写真は、この前行った銀座無印の展示。 小さな砂漠🏜️がそこにはあった。 何も題名がない1日も、後悔しなくていいと 思えるようになってきた。それだけで幸せ。
うりものつぶやき 買い物は子供たちは付いて来ず。 妻に聴いてみた。 「父の日のこと、何か子供たちは 言ってたかな?」 妻は答えた。 「息子はバイト、娘はテスト勉強で 忙しいんやと思うよ」 妻は子供たちから何も託されていない様子。 一体、父親ってなんだろう。 遠い空を見上げた。
休日だというのに、何もできなかった…。 とりあえずご飯は作ったから、明日から数日はどうにかなる。 ご褒美も届いたから問題なし。 けれど、やはり充実はできていない。 わたしがこころから休めて、穏やかで、充実できる日なんてこの先生きているうちに来るのだろうか? 無理なんだろうな。
事件や問題ばかりがクローズアップされがちな現在。 何もない日常の幸せを感じにくくなっているのかな。。。 昨日と同じように今日がきている幸せを感じようっと😊
何もないときはないのだけど何も感じられないときはままある
刺激がない毎日を 幸せと呼び 刺激がなきゃ 幸せを感じられない状態を 不幸と呼ぶのかもしれない
悩みというほどのことでは無いけど。 贅沢な悩みなのかな。 あの辛い生活から、やっと手に入れた平凡な生活。 平凡は悪いことは無いが、良いこともさほど無い。 この生活に慣れてしまって有り難みが薄れてしまったのかもしれない。