だから私は、田舎が大嫌いで大好きです。
こんにちは。りたです。
今日は見守ってくれる子たちが動画を見ている間に更新しています。(笑)
よく分からない方はこちらの記事をご覧いただけたら幸いです。
私の地元は田舎です。
いつぞやの記事では「比較的」と表現しましたが、それは身バレを恐れてのことでした。
しかし、ふと気づきました。
例え地元を言ったところで、認知度は低いため身バレの可能性は低い。
とはいえ、絶対に言わないですけど(笑)
良い表現方法だと「のどかで自然豊か」
直接的な表現方法だと「本当に何にもない」
それが田舎です。
日本各地にそんな場所は沢山存在する。
そんな田舎が私は大嫌いです。
田舎は閉塞を好みます。
馴染みの人。馴染みの店。馴染みの顔。
そこに誰かが入ることに、嫌悪感を持つ。
個人情報まで探って、勝手に審査して、気に入らなければ拒む。
なんともおかしな常識が蔓延していて、それに馴染めないのなら白い目で見られる。
それが田舎に漂う「常識」で「当然」なのです。
本当に大嫌いです。
息苦しくて、生きづらい。
そんな場所で私は生きています。
以前、記事で書いたことがありますが、私のこの活動は家族から応援されてはいません。
田舎では、外に働きに出ることが「普通の稼ぎ方」とされているからです。
だから、自宅でのこの活動は「引きこもり」にしか見えません。
小言を言われる訳ではないですが、心配という名の軌道修正をされています。
きっと、ご近所さんからも少なからずは何かを言われているのかもしれません。
田舎は揚げ足を取りたがりが多いです。
傍からみたら私は、
「いつまでも親の世話になっている○○さんのところの娘さん」
「無職で引きこもり」
「変わっている子」という印象でしょう。
これほど"美味しい餌"はないはずです。
だからこそ、見返したいのです。
こんな私でも、稼げるということ。
家族が恥ずかしい想いをしなくて済むように。
私のことを応援したいと思わせたい。
おかしな常識の中で認識されている、
「変わった子」というレッテルを剥がしてやりたい。
だから私は、noteでの収益化に成功したいと思っています。
外に出なくても、稼げる方法はあるのだと示したい。
外に出られないことに劣等感を抱きながら生きてきた私自身を、
肯定してあげたい。
その気持ちを原動力として私は活動しています。
それなのに、私は田舎が大好きです。
一歩踏み出す勇気をくれたのは、紛れもなく田舎特有の「何もない」のおかげです。
「何もない」が私に優しくしてくれました。
疾患の影響で全てが怖くてしんどくて外に出られず、まさしく「引きこもり」になっていた時があります。
なにも出来なくてしんどくて、そんな自分に嫌気がさしていました。
その時期に見た「何もない景色」は、私を許してくれているように感じました。
大きなビルなどがないので、朝日の光は真っ直ぐ部屋に入って来ました。
朝と夜すら分からなくなっていた時ですら、カーテン越しの光は強制的に
「起きる」ことを告げてきました。
気分転換に散歩に行けば、川の流れる音がずっと聞こえ続けていた。
鳥や、虫、カエルの鳴き声で天気や季節を、否が応でも教えてくれた。
コミュニケーションの練習でご近所の人と挨拶を交わせば、
手に握らせる飴や一口サイズのお饅頭。
甘すぎる味が美味しかった。
祖母の病院への送迎が出来るようになった時、私の存在を羨ましいと感じていたご近所さんが沢山居ることを知りました。
出来ないことが多いと感じていた私に、出来ることへ目を向けることを教えてくれました。
この「何もない場所」でなければ、私は立ち直れなかったかもしれません。
「何もない」があったから、私は生きててよかったと思います。
「地元が好きか」と問われると「好き」だとは言えません。
むしろ、嫌いになる要素の方が多いです。
だが、全てひっくるめて「田舎が好きか」だと、どうでしょう?
悪いところも良いところも知っても尚、私は田舎での生活が合っているのかもしれません。
嫌で仕方なく一度や二度離れたことがあっても、結局は戻ってきました。
そのことに劣等感を感じていた時もありましたが、私はそれなりに生きられている。
生きています。
だから、私は田舎が大嫌いで大好きです。
りた