ヒューマノイド∽アイドロイド∅ガール (9)
何だか、すごく気が進まなかった。スカウト部であれを見た後に、未来への希望などある筈がない。他人事ながら少し可哀そうな気がした。
この子、多分……鈴里依舞の少し前を歩いていた僕は、結局どう声をかければいいか分からないままおっさん部屋のドアをノックした。
「誰だ? 平間か?」
間髪入れずおっさんの声がした。城ケ崎さんか僕しかいないだろうに……まさか、あの顔で確認魔なのか?(ドン引き)などと思いながら、僕は自分でも情けない程腹から声を出した。
「はいっ、ただいま戻りましたぁっ!」
「遅いぞっ!」
早くも浴びせられたおっさんの罵声。僕は、身を縮ませると、慌ててIDカードを取り出した。このドアの向こうに待っている、ろくでもない結末を見届ける為に……。
「失礼します」
僕は、かなり無理をして声を出した。ドアを開けると、おっさんが自分のデスクに腰かけ窓の外を見ていた。
「おうっ」
おっさんは、不機嫌そうに僕を一瞥すると、鈴里依舞に微笑みかけた。この辺りの差別的待遇も歪みなく変わらない。
「疲れただろう?」
「大丈夫です」
「そうか? まあ、座れ」
おっさんが鈴里依舞にソファーを勧めた。当然、僕が同じ待遇を求めると、地獄が待っている。
「飲み物持ってきます。ジュースでいい?」
まず、鈴里依舞に訊ね、僕は言葉を失った。
どうお呼びすればいいのか分からない厄介な人にも、同じことを訊ねなければいけない。変な汗が止まらない。また動悸がしてきた。
そんな僕におっさんが珍しく救いの手を差し伸べてくれた。
「……俺はコーヒーだ。入れ方分かんなかったら冷蔵庫を探せ。分かった
な?」
「は、はいっ」
僕は、慌てて給湯室に向かった。ガチで急いで二人分の飲み物を用意すると、僕は慎重に歩き出した。
別に、二人の話に興味があった訳ではない。単純に急がないと怒られるからだ。僕は、会話の邪魔にならないようそっとテーブルに飲み物を置いた。
できれば、このまま帰りたかったが、僕は鈴里依舞の横で待機した。当然、立ったままで。
「平間、もういいぞ。お前も座れ」
一瞬、おっさんが何を言っているのかよくわからなかった。僕が座っていいなんて、ありえないと思った。
これは、何かの罠なのかもしれない。出来れば、立ったままでいたかったが、おっさんの指示は絶対だ。
言われた事をやらなければ〇される。頭がボーっとしたまま、何となく鈴里依舞の隣に座ろうとすると、いきなりキレられた。
「お前は、向こうだっ! 考えたら分かるだろうがっ! ったく」
僕は、壁際に置かれたパイプ椅子に座った。トレーが邪魔だった。おっさんたちが座る応接ソファまでは少し離れていたが、二人の声はよく聞こえた。
「依舞、単刀直入に聞くがいいか?」
「はい……」
「どうだ? やってみるか?」
「はい、やりますっ!」
鈴里依舞は迷いなく即答した。僕は、「えっ?」と思った。
これでは、さっきの少女達が余りにも可哀そうだと思った。
あれだけ一生懸命アピールしても、全員AIに門前払いだったのに、鈴里依舞だけは人間のおっさんにいきなり繋がって、採用前提のクソ面談だ。
これ程酷い事があるだろうか? 余りにもフェアじゃない。
少女たちの夢を散々に打ち砕く一方で、おっさんの知り合いだけは何の苦労もせず、いきなりデビューが決まってしまうなんてあっていいはずがない。
僕は、余りの事に胸糞が悪くなった。クソなのはAIだけじゃなかった。元になる人間社会が既に腐りきっていたのだ。
さっきまで特に何も思っていなかった鈴里依舞が、急に憎らしくなってきた。
この子は、僕たちと同じじゃない。特別扱いの鼻持ちならない存在だ。
機械に全てのチャンスを奪われ、クソみたいな人生を強制され続けてきた怒りや悔しさが、僕の中でどんどん広がっていく。
これ以上、こんな場所にいたら壊れてしまう。自分は、こんなことに耐えられる程強くない。
僕は、成り行き次第でキレるつもりで聞き耳を立てた。
「……分かった。俺にもデビュー云々を決める権限はない。お前も見た通り、今は人間を売り出すことをうちはやってない。アイドロイドだけだ。でも、一回だけお前をステージにあげる事は出来る。でも、たった一回だ。本当にいいのか?」
「はい、やりますっ!」
僕は、また「えっ?」と思った。
たった一回とはどういう事なんだ? ここは、おっさんの会社じゃないのか? 社長なのに、デビューを決める権限がないなんて、とんだカス野郎じゃないか!
ついさっきまで、絶対的な権力者だと思っていたおっさんが、急にちっぽけに見えた。
それと同時に、社長の知り合いというだけで極めて狭き門をスルーし、簡単に生タレになろうとしていた少女に対する負の感情が和らいでいくのが分かった。
自分でもどう処理していいのか分からない感情の浮き沈みに戸惑いながらも、僕はその場にい続けた。
逃げ出す勇気がなかったからだ(涙)。
目の前では、相変わらず僕を置き去りにしたまま話が進んでいる。
既に、僕がこれからクソ面倒な事に巻き込まれる事は確定している。たった一度のステージがいつなのか分からないが、それまでが地獄なのは間違いない。
もう帰りたい。誰かこの話をぶち壊してくれないか?
出来れば、さっきの少女たちのように、たった一回なんて冗談じゃないと鈴里依舞が怒り出してくれれば、どんなに素晴らしいだろうと思うが、きっとそうはならない。
僕の座っている位置からは鈴里依舞の表情を伺うことは出来ないが、きっとすげぇポジティブな反応してるんだろうなと思う。
それは、おっさんの顔を見れば分かる。相変わらず眉間に圧の強いシワを寄せてはいるが、どことなく喜んでいるように見える。
もう目の前が真っ暗だ。とにかく、生きてるのが辛い。こんな所にこれ以上いたら、うっかり消えたくなってしまう。
どうしてこんなことになってしまったんだ? 何にもない僕が、どうして恵まれた奴らの面倒ごとに巻き込まれなきゃいけないんだ? 本当に鬱陶しい。もう何もかもが嫌で仕方がない。
僕は、割り切れない気持ちで二人のやり取りを見守った。
「分かってると思うが、俺はクオリティの低いものを世に出すつもりはない。基準を満たすことが出来なければ、当然ステージには上げないがいいのか?」
「はいっ!」
「厳しいぞ。泣き言は許されないんだからな?」
「大丈夫です! 頑張りますっ!」
仮に、僕がおっさんの質問にこういう受け答えをしたら、とことん詰められただろう。
全てを否定され、心を抉られ、舐めたことを言ったのを心底後悔している事がおっさんに伝わるまで、許してもらえなかったに違いない。
でも、鈴里依舞は違う。明らかに何の根拠もないことを言っているのだが、本人が少しも疑っていないのが僕にすら伝わってくる。
そのポジティブパワーは、クッソ捻くれまくった極道の心にすら届いたようだ。
「そうか……分かった」
おっさんは、意外なほどあっさりと折れた。この瞬間、僕の運命は決した(絶望)。
それからは、一気に話が進んだ。おっさんは、やると決めてからは、後ろを振り向かないタイプのようだ。
この時点で、鈴里依舞のターンは終わった。次に待っていたのは、僕に対する地獄の試練だった。
「平間、今からお前が館内で依舞の付き人をしろ。とりあえず、今は依舞を城ケ崎が待ってる地下駐車場に送れ。戻ったらここの片付けと明日からの打ち合わせだ。分かったな?」
僕は、すぐに返事をしなかった。もうラストチャンスだった。今逃げなければ、僕は終わる。フィジカルとメンタルが粉々になるまで、ここでこき使われてしまう。
もう無理です。辞めさせてもらいます。
そう言うつもりで顔を上げた僕は、すぐ目の前におっさんがいる事に気付いた。
「平間ァッ! 返事は? 早くしろっ!」
「は、はいっ!」
僕の心は一瞬にして折れた。今までこんなに自分をクソだと思ったことはなかった。
さっきまで人間だった僕は、あっさり家畜に成り下がった。こんな現実、消えてなくなればいい。
僕は、既に歩き出していた鈴里依舞を必死で追い越すと、急いでドアを開けた。