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楽しむことへの罪悪感

楽しそうなことを前にすると罪悪感が湧いてくることがある。
私には楽しく生きる資格があるのだろうか。

特に世の中に貢献していない。
会社に利益をもたらしているわけではないのに給料をもらっている。
一緒にいて楽しい人間ではない。
有益な情報は持ち合わせていない。
何かに向かって努力しているわけでもない。
日頃関わっている人はもちろん、偶然すれ違った人にも迷惑をかける日々だ。

改めて文字にしてみるとひどい有様だ。
こんな人間が楽しいことを追い求めて許されるのだろうか。

では、どういう状態であれば楽しんでも良いと思えるのか。
他者に何かを提供し、それと同量の楽しみを享受することは許されるような気がする。

ところが私には人に与えられるようなものが何もない。
人を助けられるようなスキルや心の余裕はない。
良かれと思ってやったことが裏目に出がちだ。
考えがずれているのかもしれない。
私自身が困った人間なのだ。

与えたものと受け取るもののバランスが取れていないように感じるから
何かを心から楽しむということができないのかもしれない。

アンパンマンのように身を削って何かを差し出すことはできないにしても
はみだしたあんこを分け与えるくらいの余裕は欲しい。

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