永禄10年(1567)10月19日は武田信玄の嫡男義信が2年間の幽閉の果てに死去した日。死因は自害か病死かはっきりしない。義信は傅役の飯富昌虎らと謀反を企て事前に発覚した。信玄は信長と結び対今川の方針転換を図っていた。今川氏真の妹を妻としていた義信はこの方針に反対したとみられる。
永禄6年(1563)7月6日は松平元康が実名を「家康」と改めたとされる日。桶狭間合戦の後に岡崎城へ帰還した元康は織田方との抗争を続けた。しかし今川からの支援がなく信長と和睦し今川方と抗争を開始。こうして今川義元からの偏諱である「元」の字を返上して名実ともに今川と絶縁を宣言した。
天正3年(1575)3月16日は今川氏真が上洛し相国寺にて父の仇・信長と会見した日。戦国大名今川氏滅亡後は北条氏と家康を頼った。信長に所望され20日には蹴鞠を披露。和歌にも通じた文化人で子孫は江戸幕府の朝廷や公家との交渉役に。自分が好きで得意なことの世界で生きればいいと思えます。