永禄6年(1563)7月6日は松平元康が実名を「家康」と改めたとされる日。桶狭間合戦の後に岡崎城へ帰還した元康は織田方との抗争を続けた。しかし今川からの支援がなく信長と和睦し今川方と抗争を開始。こうして今川義元からの偏諱である「元」の字を返上して名実ともに今川と絶縁を宣言した。
天正3年(1575)3月16日は今川氏真が上洛し相国寺にて父の仇・信長と会見した日。戦国大名今川氏滅亡後は北条氏と家康を頼った。信長に所望され20日には蹴鞠を披露。和歌にも通じた文化人で子孫は江戸幕府の朝廷や公家との交渉役に。自分が好きで得意なことの世界で生きればいいと思えます。
永禄12年(1569)5月17日は今川氏真と正妻早川殿が北条領へ逃れた日。家康と和睦成立により2日前に掛川城を開城した。早川殿の実家を頼りこの日に蒲原城へ。小田原に移り早川殿の兄・氏政の嫡男・国王丸(氏直)を猶子として駿河を譲ることを約束。これで実質的に戦国大名今川氏は滅亡した。