青江

非常勤講師で糊口をしのいでいる泡沫研究者。専門は現代文学で小説の映画化について。趣味は実益も兼ねて映画鑑賞。A~Z級、ジャンル、国籍問わず色々観てます。 執筆、講演などお仕事依頼は以下のアドレスへ。 t-turuta@auecc.aichi-edu.ac.jp

青江

非常勤講師で糊口をしのいでいる泡沫研究者。専門は現代文学で小説の映画化について。趣味は実益も兼ねて映画鑑賞。A~Z級、ジャンル、国籍問わず色々観てます。 執筆、講演などお仕事依頼は以下のアドレスへ。 t-turuta@auecc.aichi-edu.ac.jp

最近の記事

「光る君へ」第44回 「望月の歌」 果たされた約束の先にあるもの

はじめに  このよをば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば  望月の歌…藤原道長という人物を語る際に必ず引き合いに出されるこの一首は、教科書的な日本史でもお馴染み、藤原氏の摂関政治を象徴するものとされます。近年では、この和歌の「このよ」は「この夜」、つまり「今宵は良い夜だ」ぐらいの意味で詠まれたと言われますが、「望月が欠けていないように、この世は私のものである」と、道長が我が世の栄華を誇った傲慢そのものという解釈で学んだ人も多いのではないでしょうか。

    • 「光る君へ」第43回 「輝きののちに」 道長の志、その光と影

      はじめに  多くの人間が恐れていることの一つに、自分のそれまでの人生を否定されることがあるのではないでしょうか。こうした経験は、老若男女問わないかもしれませんね。例えば、若い人であれば、就職活動でそれを体験することがありそうですね。不採用通知、所謂、お祈りメールが届いたときの精神的なショックを立て直すのは、なかなか大変です。たまたま、その会社と相性が合わなかっただけかもしれないにも関わらず、自分の半生とそれによって培われた自分の全人格を否定されたような気分になるものです。

      • 「光る君へ」第42回 「川辺の誓い」 二人が生きていくための「宇治十帖」

        はじめに  人は心から老いる…という話を聞きますが、これはどういうことでしょうか。個人差はかなりあるものの、人は生き続ける限り、老いから逃れることはできません。そして老いとは、単純に言えば、出来ないことが増えていくということです。身体が効かない、集中力が続かない…などはその代表的なものだと言えるでしょう。私も前述の二つに加え、最近、とみに失われているのが記憶力です。昔はメモなどまるで取らなくても覚えていたものですが、今や話している傍から忘れます。困ったものです(苦笑)  

        • 「光る君へ」第41回 「揺らぎ」 次世代たちの蠢動

          はじめに  いつの間にか…歳を重ねるとそう思うことが増えていくように思われます。遮二無二に一生懸命やっていても、呑気に構えていても、時の流れはあっという間です。そして、ふと気づいたとき、自分の目指したものが半分も実現できていない、人生を変えるにはあまりにも多くの過去に縛られている、自分の今後がある程度見えてしまっている…そうした事実に突き当たり、愕然としてしまうことも多いのではないでしょうか。  それでも、人間は自分をやめることはできません。ですから、諦めたくない思いから、

        • 「光る君へ」第44回 「望月の歌」 果たされた約束の先にあるもの

        • 「光る君へ」第43回 「輝きののちに」 道長の志、その光と影

        • 「光る君へ」第42回 「川辺の誓い」 二人が生きていくための「宇治十帖」

        • 「光る君へ」第41回 「揺らぎ」 次世代たちの蠢動

          「光る君へ」第40回 「君を置きて」 為政者の孤独へと進む道長

          はじめに  幸か不幸か、他人の心は見えません。だからこそ、心のなかは自由でいてよいのですし、またわからないゆえに他人を気遣うのです。裏を返せば、他人の心が見えてしまう世界は、ギスギスして殺伐とした生きづらいものでしょう。  一方、「あいつのことはわかっている」「こいつとはツーカー(死語)の仲」「あいつだけは信じられる」など、殊更通じ合っているかのような言葉は、他人の心がわからない以上、おおよそ錯覚ということになります。  そうであるにもかかわらず、人は無条件に他人を信じて

          「光る君へ」第40回 「君を置きて」 為政者の孤独へと進む道長

          「光る君へ」第39回 「とだえぬ絆」 ままならぬ人生の幸せとは

          はじめに  宿世…第39回のアバンタイトルで、まひろが書きつけ呟いた一言です。この一言の後にオープニングが始まることもあり、印象深い言葉になりました。宿世とは、前世からの因縁。宿命という仏教的な観念です。宿世は、「源氏物語」にもよく出てくる文言で、「源氏物語」の文学研究、あるいは思想研究などでしばしばテーマとして取り上げられます。 現実は、予想外の連続で、ままならないことが圧倒的に多いでしょう。ですから、幸せよりも辛いことのが多いと感じている方も少なくないのではないでしょ

          「光る君へ」第39回 「とだえぬ絆」 ままならぬ人生の幸せとは

          「光る君へ」第38回 「まぶしき闇」 最早、後戻りできないまひろと道長

          はじめに  若い頃、30代とは随分、大人に思えたものですが、実際に20代から30代になってみると、三十路に突入した感慨はあるものの、そんなに年寄りになってしまった気はしないという経験はあるでしょうか。30歳は人生の転機、修正する最後の機会ではあるのですが、一方で体力はまだありますし、また経験を積み、物事がある程度見えるようになってきた頃でもあります。  ある種の自信がありますから、お肌について以外は、それほど気にならないのかもしれません。実際、性別問わず、人間が魅力的に見える

          「光る君へ」第38回 「まぶしき闇」 最早、後戻りできないまひろと道長

          「光る君へ」第37回 「波紋」 まひろの栄華とその代償の大きさ

          はじめに  現在はそうとは言い切れませんが、少なくとも一昔前のサラリーマンにとって大切なことは、出世だとされていました。特に「24時間働けますか」と今ならブラック企業全開のキャッチフレーズが栄養ドリンクに採用されていた昭和期であれば、なおさらだったでしょう。まず出世は、給料に直結します。自分の生活の豊かさの実現には不可欠です。また、やりがいのある仕事をするには、会社内で認められ、出世することが近道です。つまり、出世は、人生の成功に必要不可欠なものだったと言えます。  しかし

          「光る君へ」第37回 「波紋」 まひろの栄華とその代償の大きさ

          「光る君へ」第36回 「待ち望まれた日」 無私の道長に野心家への道が開けた日

          はじめに  好時魔多し…よいことにはとかく邪魔が入り、とんでもないことが起こるものだという慣用句です。とかく物事が上手くいっているときほど、人の心は緩みやすく、油断も多いものです。だから、気をつけなければならない。この慣用句は、戒めの言葉として使われます。  とはいえ、願いが叶っているとき、充実しているときというのは、どうしてもそのことに心が囚われる、あるいは根拠のない自信や心が大きくなることが抑えられません。自らを律し、気をつけているつもりでも、自然と浮き足立った言動をし

          「光る君へ」第36回 「待ち望まれた日」 無私の道長に野心家への道が開けた日

          「光る君へ」第35回 「中宮の涙」 過去を昇華していくこと

          はじめに  「覆水盆に返らず」…「封神演義」で知られる周の太公望の逸話が元になったこの諺は、一度起きてしまったことは二度と元には戻らないという意味で使われます。言い換えれば、過去とは動かしようのないものということです。したがって、美しい思い出であれば、人はそれに囚われ、取り返しがつかない後悔であれば、人はそのトラウマに延々と苛まれます。その過去の善し悪しにかかわらず、人の生き方は過去に縛られ、左右されてしまうものです。そのことは、歳を重ね、経験が多く、深くなればなるほど、過去

          「光る君へ」第35回 「中宮の涙」 過去を昇華していくこと

          「光る君へ」第34回 「目覚め」 人を癒す「物語」の力

          はじめに  物語の面白さとは何でしょうか。「面白さ」という言葉自体、かなり曖昧で大雑把、そして主観的なものですから、この問いの答えはかなりたくさんにはなりそうです。  ただ、大きく分けると二つの観点はありそうです。  一つは、論理性です。一貫性のない支離滅裂な作品は、たまにありますが、狙ってそうした作品でもない限り、疲れます。人は、わかりやすさをまず求めます。そして、もう一方で意外性も求めています。こうしたことを的確にバランスよく描くには、論理性が不可欠です。その論理性、

          「光る君へ」第34回 「目覚め」 人を癒す「物語」の力

          「光る君へ」第33回 「式部誕生」 その2 まひろの「物語」執筆の原動力とは

            ※ 本記事は第33回note記事「その1」と合わせてお読みいただけると、より楽しめます。 はじめに  人間誰でも、一つは長編小説を書けるのだそうです。その題材は、自分の人生です。人生は山あり、谷ありです。ですから、その人生を筋道立てて、組み立てていけば長編小説になるというのですね。勿論、それが面白くなるかどうかは、腕次第ということになるでしょう。この話は、一人一人の人生には、それだけの価値があるのだということなのですが、一方でこの話には、物語の題材は、個人の体験である

          「光る君へ」第33回 「式部誕生」 その2 まひろの「物語」執筆の原動力とは

          「光る君へ」第33回 「式部誕生」 その1 道長の考えるこの国の未来への射程とは

          はじめに  「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」ということわざは、かの夏目漱石「草枕」の冒頭の一文「山路を登りながら、こう考えた」に続く冒頭部分から来たものです。「草枕」は明治期の作品ですが、この一節に書かれた人間関係の難しさは、2020年代を生きる私たちにとっても経験済みの「あるある」ではないでしょうか。会社、学校、地域といった他人との関係は勿論のこと、家族間でも起き得るでしょう。  当然、平安期を舞台にした「光る君

          「光る君へ」第33回 「式部誕生」 その1 道長の考えるこの国の未来への射程とは

          「光る君へ」第32回 「誰がために書く」 道長にとって必要な「光」とは何か

          はじめに  意外に思われる方もいるかもしれませんが、作品とは書きあがった瞬間から作家から独立した存在になります。言い換えるならば、作品とは完成した時点で、読者や観客といった受け手に委ねられるものなのです。  なるほど、著作権的には作品は作家に帰属していますし、その作家が書かなければ作品は存在し得ません。作品にとって、作家は神のごときものと思う人もいるでしょう。その典型が、神の言葉を記した聖典と呼ばれるものでしょうね。しかし、現実には、どんな宗教でも、同じ神の言葉でありなが

          「光る君へ」第32回 「誰がために書く」 道長にとって必要な「光」とは何か

          「光る君へ」第31回 「月の下で」 すべてがまひろのもとへ…そして、「源氏物語」が始まる

          はじめに  ここまで長かった…しみじみ思う視聴者も少なくないでしょう。紫式部と言えば、「源氏物語」であり、中宮彰子付の女官という印象が一般的です。彼女が主役の大河ドラマの製作が発表されたとき、華やかでゆるふわ、乙女な貴族社会が描かれると期待、あるいは逆に不安を募らせた方々もいらっしゃったでしょう。  しかし、蓋を開けてみれば、初回から紫式部の母親が惨殺されるわ、華やかからほど遠い貧困と身分差の苦労。貧しい下級貴族の悲哀を地でいくものでした。一方の主役、道長の側は、上流貴族ゆ

          「光る君へ」第31回 「月の下で」 すべてがまひろのもとへ…そして、「源氏物語」が始まる

          閑話休題の前に2~「光る君へ」のゴールはどこになる?~

          はじめに  大河ドラマと言えば、主人公の生涯を描くという印象が強いと思われます。必然的に、最終回は、主人公の死、つまり、人生の完遂という形で締めくくるものが増えます。実際、ここ10年の大河ドラマのうち、7作が主人公の死をもって、ドラマの幕が閉じられています。この中で特に印象的な幕引きだったのは、「鎌倉殿の13人」でしょう。この作品では、最愛の姉の手で死を迎える北条義時…その彼の意識が途切れた瞬間に暗転して完結します。彼の死と同時にドラマ自体が突然、切れて終わるというラストは、

          閑話休題の前に2~「光る君へ」のゴールはどこになる?~