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私見 義信事件1

以前、〈甲斐信濃二国巫女頭領〉に触れた。
それを用いたNOVLEDAYS掲載の「光と闇の跫(あしおと)」の一文にも触れた。その登場回である主軸が、義信事件

武田太郎義信。
武田信玄嫡男。諱は将軍足利義輝の一字とされ、「准三管領」としての待遇を受けているのだが、明確な官途は不明。永禄7年7月、父への謀叛が発覚し幽閉。のち、東光寺にて自害。

ここだ。

定説を非常に重んじる武田氏研究者の間では、義信事件の背景は
同盟遵守で親今川派の武田義信と、実利主義で今川領国への侵攻に野心を燃やす武田信玄の間の政争の果て
すなわち派閥抗争が存在していた、という想定に基づく見解で一致しているようだ。まあ、辻褄が合う。

作家的にはもうひと捻りが必要だった。身延山から本来見える場所と立地にヒントがあった。
天候次第ですが、駿河湾が身延から見える。清水港と南部河内は近い。今川との関係も濃いのだ。

穴山彦八郎信嘉

この人物は義信付になり、当主・信君(のちの梅雪)の弟にあたる。
信君は信玄派、信嘉は義信派だった。そのため事件後に久遠寺塔頭へ幽閉され、のちに自害した。死人に口なし、だったかも知れない。

仮説であり、作家の寝言である。

大河ドラマの生ぬるい今川氏真を観ている視聴者にとって
「俺はこんなにも可哀想な時代の犠牲者なんだよ」
というプリンス氏真はかりそめで、実は物凄い策士で、父・義元の果たせなかった甲斐侵略をやってのける獣だとしたら。
信玄と直接対決するのではなく、妹婿を調略し義信に甲斐を奪わせてから、弱体化した甲斐を攻める策士だったとしたら。義信事件賛同者は等しく氏真にも雪崩れる存在だったとしたら、どうでしょう。
つまり、事件を知らぬは祭り上げられた「義信」だけ。
もともと武田家に派閥争いなんてなかったんだとしたら……!

くっだらねえ、作家の妄想じゃん。

まあ、そうなんだけどね。
それをベースにして筋道を作品にしていくと、案外と、そうは云えない部分もあるんだよね。とにかく今川氏真が父にも劣るという決めつけから定説にしている部分を疑ったんだよ。

つづく!