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【どうする家康】満天の星の下、家康は何を思ったのか。氏真への謝罪の意味は?第12回「氏真」もっと深掘り

NHK大河ドラマ『どうする家康』(以下、『どう康』)第12回のもっと深掘り感想です。
(※本記事は一部有料です。ドラマレビュー箇所はすべて無料でご覧いただけます)
前回の感想はこちら↓

(※以下、ネタバレ注意)
(※本記事のセリフの引用箇所は一部ノベライズに準拠しており、ドラマのセリフとは異なる場合がございます)

ラスト、信玄の怒りよりも白湯の準備に真剣な家康。成長著しい姿に、むしろ感動!

前回、前々回と今川氏真サイドに重きを置いてレビューしてきましたけど。また改めて主人公・家康サイドから深掘りしていきたいと思います。

確かに第1回目のレビューでは、「今回は氏真が主役の物語だから、家康サイドで見ると攻防の進展の無さにイライラする」みたいなことを書きました。これ自体は、初回の感想として率直な表現ではあったんですけど。

しかし氏真のことを深掘りし、家康と氏真という2人の攻防というところに重きを置いてドラマを再度見返してみると、やっぱり家康サイドとしても一人の人間の成長を細やかに描いている回でしたし、改めて深掘りする必要があると思ったんですよ。

そもそもラスト、数正が「信玄が攻めてくるかもしれぬ」と言った際、左衛門尉が「私が詫びの使者に立ちまする」と進言するのを、殿は「要らん」と一蹴していました。しかも囲炉裏に燃料をくべながらですよ……信玄よりも白湯の準備が大事か。どんだけ白湯ガチ勢なんだよ!

いや、冗談みたいに書いてしまいましたが……これが第11回の信玄との会合シーンで凍り付いていたあの若者と同一人物なのかと思ったら、この遠江進軍で急に腹の座った男になったよな家康。何やら感慨深くもなってくるわけです。

遠江攻めの最中、迷い続ける家康。勇ましく言うセリフも不本意か

ただ、遠江攻めの中で段階を追って逞(たくま)しくなっていったかといえば、そうでもない。

第11回での田鶴との戦は最後まで戦う意思を見せませんでしたし、今回の序盤でも「今川氏真め、どこへ逃げおったかと思うてな。逃げ足ばかり早い奴じゃ!」と口では言いながら、心ここにあらずの様子。むしろ、どうか北条領に逃げ延びてくれと願っているようでした。

そして半蔵の手柄により、氏真が懸川城にいることがわかった後も。懸川城攻めの直前で七之助と彦右衛門が「殿、お指図を」と求めた際、傍らに置かれた金色の兜を見ながら、かつての駿府に思いを巡らせていました。

そこで彦右衛門に「思い出してくだされ。氏真が我らにした仕打ちを」と言われてようやく「氏真は…憎き仇じゃ…!」と自らを奮い立たせるように言うのですが。

その後、勇ましく家来たちに「今川氏真の首級をあげよ!」と叫んだあとは「ああ、言ってしまった……」とでも後悔するように、ただ正面の一点を真っすぐ見据えていたのでした。

『鎌倉殿』「戸板ファランクス」の進化系?銃撃戦はなぜ描かれなかったのか。

その迷いは、戦っている最中にも。4か月が経ち、なかなか決着がつかない軍事会議の最中、ちょっと気になる会話がありましたね。

家来「こちら側から、総掛かりで攻め、二之曲輪(にのくるわ)の方へ敵を押し込みまする。そこで軍勢を分け、本曲輪の方をつきまする」

家康「うむ…。では、おのおの配置につけ」

小平太「しかし、ここは、もう何度も阻まれて…」

平八郎「行くぞ」

途中で小平太が口を挟んだものの、結局作戦を変更できなかったのですが。徳川勢も作戦がうまくいっていないことは重々承知。しかし正面から戦うことしか考えられなかったんですね。

これは第5話、忍びである半蔵党をつかって上之郷城を攻めたのとも対照的な描かれ方です。あの時は鵜殿長照も「元康、卑劣なり!」なんて叫んでましたが。逆に今回の懸川城攻めは、「卑劣」と呼ばれるような作戦は取りたくなかった。

そのあとで家康が、「なぜそこまで戦う…。氏真…」とつぶやいていることからもわかるように、できれば氏真に降伏してほしかったんですよね。

ちなみに今回の合戦シーン、なぜか今までの合戦シーンでは出てきていた銃撃戦が描かれなかったことにも注目が集まっていました。

ここも「『鎌倉殿の13人』へのオマージュ」「家康が氏真を殺したくない気持ちの表れ」などのコメントも見つけましたが、そもそも史実として、懸川攻めでは鉄砲の使用もあったことを紹介しているブログもありました。

北町口は崖崩れで攻めることができなかった。徳川軍は大砲数百挺(と書いてあるけどたぶん鉄砲数十挺)を城中に乱発し、戦中からも鉄砲で反撃された。

徳川家康による今川の掛川城攻め: その2 永禄12年(1568年)1月17日、18日│遠州 河東村出身者のブログ

こちらは愛知県図書館で画像データが提供されている「大三川志」(享和元年(1801年)成立)をネタ元として採用されているそうです。

つまり、これまでもドラマの中で銃撃戦を描いており、資料にも銃撃戦の模様が記載されている。にもかかわらず銃撃戦を描かなかったとなると、「史実をゆがめて銃撃戦がなかった」ことにするには無理が出てくる。ならば単純に、「今回の映像として、あえて銃撃戦を省いた」ということかなと個人的には考えました。

これまでも銃撃シーンは多く描かれてきましたが、それは例えば第2回で裏切りの松平昌久が仕掛けてくる場面だったり、第8回で一向宗側と松平兵が撃ち合う場面だったり、第11回で田鶴が討ち死にするシーンだったりしました。やはり殺傷能力が高い武器になるので、銃が出てくると「一度にたくさんの人が殺されている」ような衝撃的な映像になりやすいと思うんですね。

今回のドラマの懸川攻めで描かれた弓や刀だって、そりゃあもちろん人が死ぬ映像が描かれはしましたが、銃激戦に比べれば映像的にも泥臭くなる。「殺し合っている」というよりも「家康と氏真の意地の張り合い」という印象がより押し出されていたような気がしました。

それに、完全武装のような木の盾がクルッとひっくり返って「アリー!」とか叫んで槍や弓が飛び出してくるのは、絵的にもインパクトがありましたね。やっぱり『鎌倉殿』第41回の「戸板ファランクス」をオマージュしていたというか、さらに進化させていたようなところもあるのではと思います。

「信玄なぞ関わりないわ!」叫ぶ家康の心情。そして忠世と七之助&彦右衛門の言い合いギャグにも込められた思い

さて、ドラマ的には信玄と密約を結ばされてしまったせいで、不本意なからもやらざるをえなくなってしまった遠江攻めですが。けれど信長との同盟もありますし、いずれは今川との決着も、着けねばならないものだったわけですよね。

だからこそ、信玄から「早く氏真の首を取れ」という催促があると、家康も「信玄なぞ関わりないわ!」と、ことさら大きく叫んでいました。今までの家康だったら、震えあがって「早うせよ!大久保忠世の兵もすぐに加われ!今は懸川攻略こそが最優先ぞ!」となっていたことでしょう。

けれど「我が手勢も懸川攻めに加わりましょう」と言う忠世の進言を断り、七之助や彦右衛門も「何も知らん奴は引っ込んどれ!」「殿と氏真の邪魔をするな!」と忠世に文句まで言う始末。「忠世殿は悪くない」なんて平八郎がフォローに入って、何やらギャグシーンのようになっていましたけどw

ここもひも解いていくと、殿にもいろいろな感情が混ざっているんですよ。「本当は氏真を殺したくない」、「けれど、三河勢からしたら憎き仇だから殺さねばならない」。そして「攻めるにしても、信玄に言われたから攻めるというのは嫌だ。あくまで自分と氏真の戦いだ」と。

今までは今川のため、三河のため、いろんな人のために不本意なこともやってきた家康くんですけど、ここはやっぱり一向一揆を経て強くなったよね。「自分のため」という気持ちが芽生えてきた。そこを七之助や彦右衛門も理解し、涙した。一方で小平太はまだキョドった感じで、傍らで、ただただ目を大きく見開くばかり。

それぞれの気持ちを汲んだのが平八郎。やっぱりこの場は任されている自分が決めるしかないと覚悟を決めたように、「氏真の弓を直前でかわしながらの槍投げ」という漫画みたいな捨て身の攻撃に出ていました。

セリフは本当に少ないなんですけど、ここでのそれぞれのキャラクターの内面まで文字に起こしたら、それこそ少女漫画のモノローグばりに長くなっちゃうと思うんですよ……。

満天の星空を見つめる家康。七之助や彦右衛門が声をかけるのをためらうほど、何を思っていたのか

そしてその夜、ひとりで満天の星空を眺めていた家康。あの映像も美しかったですけど、「ロケ地どこよ⁉」じゃなくて、おそらくあれもLEDウォールにCGを投影したものでしょう。ほら、今まで批判の的だったCG表現、今回はめちゃめちゃ良かったでしょ?少なくとも「あの星空がショボい」だなんて批判は、僕は目にしていません。

それはさておき……あの瞬間、七之助と彦右衛門は陰からこっそり覗き込んでいました。とても声がかけられる様子じゃなかったことに気づいたんだと思うんですよね。星空を見ながら、家康は何を思ったのか。

きっと平八郎から、「やつに槍をぶっさしてやったわ」みたいな手柄も聞いたあとでしょう。そこでまだ氏真が死んでないことも確認し、どこかホッとしたような気持ちも味わって、また戸惑ったと思うんです。それじゃあいけないだろう、いや、しかし自分の本心はどうなんだ?と。

そしていよいよ、長かった戦も大詰めであるという予感もあったでしょうし。最後は自ら前線へ赴き、自分の手で仕留めねばならないだろう、仕留められるのかわしに?なんて自問自答もしていたと思うんですよね。

少なくとも、ここで和睦を結ぼうなんて思いは抱いていないと思います。そんな風に悩む家康だと分かっていたら、七之助も彦右衛門もまた「和睦はなりません!氏真は我らが敵です!」と説得にかかっていたかもしれませんし。そしてここが、史実との大きな違いですよね。

4月下旬、信玄は駿府を退き、甲府に戻った。家康も掛川城を攻めあぐねており、今川氏真と和解の道を模索していた。5月上旬、氏真は城を開き、北条氏を頼ることになる。ここに、今川氏は滅亡した。

「今川家の滅亡」徳川家康は氏真をどう攻めたのか│東洋経済ONLINE

史実では、懸川城がなかなか落ちなかったことから和睦に踏み切ったと伝えられていますが、それだとドラマでは家康と氏真の戦いに決着がついたとは言えない。ここはドラマとしてこれからの物語を見せていくために、史実を曲げてでも描かなければならなかった脚色であり、フィクションとしても許容されるべきものだと感じました。

「申し訳ございませんでした!」涙ながらに謝罪する家康。今川は滅んでも、義元公の志は受けついでいく

そして終盤、氏真との一騎打ちに勝った家康でしたが、自害しようとする氏真の命を助けました。

「死んでほしくないからじゃ!今も兄と思っておるからじゃあああ!」

やはりこの物語の中での家康はそうだったんですよ。第1回、瀬名をかけて戦う場面もありましたが、それまではずっと家康(当時は次郎三郎)は氏真のことを慕っていた。

今回の回想シーンでは、新たに「私には才がないのです。若君様には何一つかないませぬ」なんて自らを卑下して言うセリフも加えられていましたね。そうやって言っていた家康が、実は物凄い才能を秘めており、瀬名をかけて戦ったときには一瞬で氏真を絞め上げていた。

義元にも「相手に対するこの上ない侮辱である。二度といたすな!」なんて叱られていましたけど。家康自身も、ずっと申し訳ない気持ちでいたと思うのです。

そして幼少期。「龍王丸」と呼ばれていたころの氏真と、「竹千代」だった時代の家康の出会いの場面も描かれました。織田家での地獄を抜けてきたあとであれば、氏真との蹴鞠シーンは、この上なく楽しい思い出だったに違いないんですよ。互いに、顔に墨で「×」を書き合うのさえ、微笑ましいシーンとなっていました。あれはやっぱダメよ……泣くよ😭

だから、そんな幼き日の裏切りもあり、義元が討たれたあとの織田への寝返りもあり。そして、亡き義元公の意にも反することをしてしまって「申し訳ございませんでした」と家康が氏真に謝るのは、本当に大事なシーンだったと思うのです。

往年の大河や、数々の伝記漫画を見てきた方には、もちろんそんなシーンありませんから、違和感が残った方もいらっしゃったようですけど。ここで一区切りをつけられるから、家康も改めて亡き義元公の願いを未来に届けることができる。

「戦乱の世は終わらせなければならぬ。今はまだ夢物語じゃが、必ず成してみせる。そなたの子らが長じる頃には太平な世でありたいものよのう」

第1回、大高城へ兵糧入れに向かう家康(当時は元康)を義元が陣中見舞いに訪れた際に口にしたセリフです。いま、それを成そうとした今川が滅ぶことになっても、その思いは家康がつなぎとめていく。そのために氏真との和解は描いていかねばならなかったのでしょう。

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