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人生が乗ったアクセサリー

西武新宿線の上井草駅から徒歩12分。

観泉寺を参詣した。

お参りをしていると、このお寺が今川家の菩提寺であることを知った。

調べてみると、今川氏真が眠っているという。

今川氏真は、桶狭間の戦いで敗れた今川義元の子である。

その後、当主となるもの8年後には今川家の滅亡を招いてしまい、戦国三大愚人の一人と何とも不名誉な称号を得ている人物である。

しかし、愚人だったかといえば、将として面についてであり、文化人と言う面からすれば優れた一面があったようである。

和歌や連歌や蹴鞠をたしなみ、多くの作を残している。

僕も仕事ができる人間ではなく、意味のありそうで、ないような文学を原作にアクセサリーを作っているわけで、愚人といえば、愚人なのかもしれない。

そうした意味で、今川氏真を愚人と言うのには、抵抗がある。

ふと、彼の和歌を感じたくなり、ググってみる。

出てきた今川氏真の代表的な歌が次のようなものである。

なかなかに 世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の咎(とが)にして
もはや世の中も他人も恨むまい。時代に合わなかったのは、自身の至らなさのためなのだから

スマホの文を読みながら、感じ入ってしまった。

織田信長に父は殺され、そして今川家を再建できず、滅亡させた今川氏真。
その後、父のカタキである信長の前で、得意の蹴鞠をやるようにと命ぜられ、披露する今川氏真。

恥をかきながらも、江戸時代まで生きながらえた人間の歌である。
不条理な世界がそこにあろうとも、すべて受け止めるような潔い歌に感じる。

言葉は面白いものである。

言葉は、コンピュータ言語のような均質なものではない。まったく同じ言葉を使ったとしても、使っている人間によって、深みや意味が変わってくる。

この人が吟じるからこそ、この歌が輝く。

無数に、あふれているアクセサリーを店頭で見るとき、まるでコンピューター言語のような均質な言葉に見えてしまう。

僕は、今川氏真の歌う言葉のようなアクセサリーを作りたい。

そんなことが、僕の夢である。

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