謎の沈黙が始まった一八九四年頃から科学的言語学に絶望し、交霊術にのめりこんで、古代インドの王女とマリー・アントワネットと火星訪問者の三つの経験を同時に生きたエレーヌ・スミスなる女性の報告する〈火星語〉の分析に没頭し、自らの内部に狂気、妄想、戦慄があふれるような詩人でもあった。
◆人間は自足できない。個人は他の個人を、集団は他の集団を必要とする。右手は右肘を触ることができないが、左手にとって右肘を触ることは極めて容易だ。右と左は異なっているからである。他者とはこういうものである。非自足性から、コミュニケーション・交換・連携、摩擦・衝突・破壊が生じる。
◆「概念による計算」は成り立たない。ソシュールが見抜いたシーニュの恣意性=「言語外現実の連続体をいかに不連続化していくかというその切り取り方の恣意性」(丸山圭三郎「ソシュールの思想」322頁)から,概念を記述する言葉が,言語外現実を過不足なく切り取っている根拠がないからである。
丸山圭三郎『ソシュールを読む』(講談社学術文庫) ソシュールにとっては、言語は社会的産物であると同時に歴史的産物以外の何物でもありません。つまりは全くの人為であり、共同幻想としての恣意的価値体系なのです。――p.177
丸山圭三郎『言葉と無意識』(講談社現代新書) ソシュールのアナグラムが提起した真に現代的な問題は、まず何よりも〈語るものは誰か〉という主体への問いであり、これはまた同時に〈意味とは何か〉という存在への問いでもある。――p.130
丸山圭三郎氏による「ホモ・モルタリス」のエピローグがいい。沈黙を開くという点で。これは深層意味論を「わたし」の意識に憑依させる稀有な文章だと思う。レヴィ=ストロースによる対立関係のWebと、井筒俊彦氏による深層と表層のサイクル。その言葉が描く言葉にならない次第を丸山氏は書いている