韻律的世界【19】
【19】メトリカル・ライン─身分け・気分け・言分け(その1)
前回留保したこと、すなわち三つのメトリカル・ラインに紐づけた「身分け・気分け・言分け」の三つ組の概念について。
1.身分け
まず「身分け」は、市川浩提唱の概念で、『〈身〉の構造』(講談社学術文庫)において、「身によって世界が分節化されると同時に、世界によって身自身が分節化されるという両義的・共起的事態」を意味するもの(188頁)、あるいは、より簡潔に「身が世界[や他なるもの]と感応し、相互に分節化し合う関係」(186頁)と定義されています。
市川氏はさらに、「身分け」は外部知覚によるものだけでなく、「自分の感覚であると同時に世界の感覚でもある」(190頁)ような両義性をもった「身体感覚」(内部感覚)による「身分け」も考えなければならないと指摘します。むしろ、身体感覚が「自己とかかわりつつ世界とかかわる身」のあり方の基礎であり、基層の感覚なのだと。
《したがって身体感覚は、世界と身体が交叉している共通の根にかかわる根源的な感覚です。身体感覚はほとんど意識されませんが、意識される心理的なレヴェルでは“気分”がこれに近いものです。だから気分には、単に‘自分の’感覚ということはできません。なかば‘世界の’、‘世界から生起する’感覚です。身体感覚を失うことが、世界を失うことにつながるのもこのためでしょう。》(『〈身〉の構造』190-頁、‘ ’は原文傍点)
2.言分け
次に「言分け」は、丸山圭三郎によって、市川浩の「身分け」の概念の拡張とあわせて呈示された概念です。『文化のフェティシズム』から、その入り口部分の議論(71-81頁)を抽出します。
いわく、人間は「二重分節」(マルティネの用語とは関係ない)のなかに生きている。第一次分節が生み出すのは「身分け構造」である。種独自の外界のカテゴリー化・ゲシュタルト化であり、身体と心の分化以前の「身」の出現とともに外界が地と図の意味分化を呈する「環境世界」(ユクスキュル)である。
人間だけがこのような(生物学的差異のメカニズムの上に成り立つ)「本能の図式」に加えてもう一つの(非生物学的差異のメカニズムの上に成り立つ)ゲシュタルトを過剰物としてもった。これが第二次分節の結果生じる「言分け構造」である。その網の目は「シンボル化能力とその活動」という広義のコトバによるゲシュタルトにほかならない。
過去も未来も言葉の産物であり、ヒトは言葉によって「今、ここ」の制限からのがれた。ヒトという動物はポジティヴな世界をゲシュタルト化する「身分け」に加えて、ネガティヴな差異に基づく非在の世界を「言分け」る。この〈非在〉をあたかもポジティヴな実体であるように現前せしめるのは、シンボル化能力のみが有する魔術がなせる業であろう。人間の幸、不幸はすべてここに源を発している。
《…〈言分け構造〉に見出されるもの、つまりはシンボル化能力の産物であって、もともと本能の図式には書かれていなかったもの、人間だけが‘過剰’として生み出した文化の〈意味=現象〉群には、どのようなものがあるであろうか。それはまず何よりも、タブーであり、羞恥心であり、エロティシズムであり、時間・空間意識であり、死生観であり、美意識である。》(『文化のフェティシズム』81頁)
3.気分け
最後に「気分け」は、市川-丸山理論を参照しながら、私が──「身分け」と「言分け」との中間に、すなわち無意識の身体感覚が意識される分岐点(市川)、あるいは「身」(器官なき身体)が身体と心に分化する特異点(丸山)に、第三の分節のラインとして──(勝手に)導入したものです。
初出の「哥とクオリア/ペルソナと哥」第52章(Web評論誌「コーラ」掲載)から、該当個所を一部修正加工のうえ、自己引用します。
……「身分け」と「言分け」のあいだに、第三の、たとえば「気分け」(気色や気配や気分、あるいはリズムないし韻律による分節化)とでも呼べる次元を(あくまで仮説的に)導入することが有効ではないかと考えます。
すなわち、前言語的・身体的次元と言語的次元の中間にあって、この二つの次元を媒介し結合する第三の次元。(生命=身体現象でも言語現象でもない、あるいは同時に生命=身体的かつ言語的な現象であるようなものの次元。たとえば、数覚やリズム感覚をはじめとする原初的感覚、共感覚、原型的感情が分節される胎児的・幼児的な生命=身体のステージ。あるいは、声と文字の中間段階、絵文字とパラレリズムの世界。)
それは、オギュスタン・ベルクが『風土の日本』(篠田勝英訳、ちくま学芸文庫)で「通態的(trajective)」と形容した、「同時に自然的かつ人工的であり、集団的かつ個人的であり、主観的かつ客観的である」(185頁)ような次元、あるいは「時の経過とともに風土を産み出し、風土を絶えず秩序化/再秩序化するさまざまな営みの次元」(同)、そしてまた「メタファと因果関係」を結合し、「線的時間性(因果関係の連鎖)と循環的時間性(フィードバック)を非時間化(過去と現在、可能態と現実の隠喩的同化による時間の排除)に結合させる」(187頁)次元に通じていることでしょう。
私は、この第三の次元を、すなわち、同時に身体的(生命的)であり言語的であるような次元、(あるいは、音声言語と文字言語の中間段階)、そしてこの二つの界域を「通態的」に結合する「あわい」の次元を、とりあえず「リズム的・倍音的」と形容したいと思います。……
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