三四郎 続き 主人公や他の登場人物に感情移入するのもひとつの読み方ですが、全体を俯瞰して読むのも楽しみ方の一つ。ただ、三四郎の場合、なんでこうなるのというところが多すぎ。登場人物の生活背景まで読み込む必要があるということなんでしょう。
漱石の三四郎を読んだが、どの登場人物にも感情移入できない。読んでいて常にイライラしていた。若いころ読んだときにはさわやかな青春小説と思っていたが、そうではなかった。いったい何なのだろう。こちらが年を取ったせいか。
漱石 #2(前回の続き) 3月から初めて、いままで読んだのは、『猫』『倫敦島』『坊ちゃん』『草枕』『二百十日・野分』『虞美人草』『坑夫』『文鳥』『夢十夜』。 いまは『三四郎』を読んでいます。(続く)
三四郎の単独ライブ良すぎた…。昼公演と夜公演、両方行けて違いも楽しめた…。面白かったのはもちろんのこと、予定外の出来事への対応と、我々を安心させてくれる姿は最高だよ…。毎年単独やってくれてありがとうでしかない…!
昨日のパリ五輪柔道。初出場の三四郎選手!なんてったって名前がイイ!カッコイイ!試合後のインタビューでほんとに悔しそうで、もらい泣きしそう。銀メダルはさぞや悔しいと思いますが、素晴らしかったです。これからも活躍をお祈りしています(*^^*)
【ケチだった三四郎】 オンライン対戦も、無料であれ!
◆「…この難しい書物が、何故解らないながらも、自分の興味を惹くのだろうと思った。最後に広田先生は畢竟ハイドリオタフヒアだと思った」(夏目漱石「三四郎」十一)。惹かれるのにその理由は判然とは分からない。それが惹かれるということの定義である。心の奥深くから小さな声がしているのだ。