元国語教師が『三四郎』を読み直してみた話
「漱石は全部読んどくべきだよ」
とは誰に言われたのでしょう?
きっと高校時代の国語の先生だな。
あのイケメンの。
イケメン先生が言うことは何でも聞いてしまう高校生でした。
そういうわけで、私ははりきって全部読んだはずです。
それなのに、『こころ』以外は思い出せません。
(『こころ』は教員時代に授業をしたので覚えています👍)
前期三部作の『三四郎』『それから』『門』なんて、衝撃を受けて繰り返し読んだはずなのです。
残念ながら、「衝撃を受けた」ということしか覚えていません。
先日大学時代の仲間たちと久しぶりに集まって、私はなんとなく学生時代の自分に会いに行きたくなったのでした。
いつものように前置きが長くなりましたが、そういうわけで『三四郎』を読み直すことにしました。
あらすじ
九州の田舎から出てきた小川三四郎は東京帝国大学に入るため上京します。
三四郎は同郷で理科大学教師の野々宮 宗八を訪ね、帰りに大学構内の池のほとりで団扇を手にした若く美しい女性里見 美穪子と出会います。
また、三四郎は佐々木 与次郎と友人になり、野々宮の妹よし子とも知り合います。
あるとき、与次郎が「先生」と慕う英語教師広田 の引っ越しを手伝うことになった三四郎は、広田の新居で偶然にも美穪子と再会します。
数日後、美穪子、よし子、広田、野々宮、三四郎は菊人形見物に出かけます。一行は、雑踏で物乞いや迷子とすれ違います。
美穪子は「気分が悪い」と言いだして三四郎を連れ出し、一行から離れます。
2人がはぐれたことで宗八たちが慌てていると三四郎は心配しますが、大きな迷子だからと美穪子は取りあわず、責任を持ちたがらない人たちだからと流してしまいます。
そして三四郎に、迷子を英訳すると「stray sheep」だと教えます。
三四郎の頭から「stray sheep」が離れません。彼はどんどん美穪子に惹かれていきます。
しかし三四郎の恋は実らず、美穪子は兄の友人と結婚します。
そうそう、こんなお話しでした!
田舎から都会に出てきたうぶな青年が、新しい西洋の学問やら思想やら都会の暮らしと格闘したり、洗練された都会の女性に恋をしたり。
明治時代の若者たちの間で大流行したのでしょうね!
私は昭和の人間ですが、とても新しい感じのする美穪子にちょっと憧れたことを思い出しました。昭和からしたら明治の女性は古いはずなんだけどな~。
今はたっぷり時間があるので、『三四郎』登場人物のモデルについても調べながら読んでみました。
そうするとどんどん妄想が膨らんで、楽しくなってきました。
登場人物のモデル
野々宮宗八のモデル
理科大(現東京大学理学部)で光線の圧力の研究をしている、という設定の野々宮は、物理学者で漱石の弟子である寺田虎彦をモデルにしているといわれています。
『三四郎』の小説に出てくる野々宮の実験場面の描写が、寺田虎彦が行っていた実験場面そのものであるということがひとつの根拠です。
蛇足ですが、寺田虎彦は「X線の結晶透過」についての研究について書いた論文が日本で評価され、その分野の賞を取っているとのこと。
私の長男が今関わっている研究につながるようで、寺田虎彦にも野々宮にも急に親近感がわいてきました。
野々宮の妹「よし子」の「兄評」がおもしろい
野々宮の妹、よし子が、兄のことについて語る部分がおもしろかったので紹介します。
「理系くん」の兄を上手に表現しています。
漱石は寺田虎彦に対しても、このような見方をしていたのかもしれない、と思うと、おもしろいですね(私の妄想です)。
私の長男も日本じゅうでいちばんいい人に違いない😊
美禰子のモデル
美穪子のモデルは、これも漱石の弟子である森田草平と心中未遂をした平塚らいてうであるといわれています。
森田草平と平塚らいてうが心中未遂をしたのは1908年3月のこと。森田はその直後、漱石宅にかくまわれます。
そして、『三四郎』が朝日新聞に連載されたのは、その半年後の1908年9月から。
森田草平の著書『続夏目漱石』にこのようなエピソードがあります。
平塚らいてうといえば、「原始、女性は太陽であった」ということばではじまる『青踏』の創刊者。女性の権利拡大に尽力した活動家ですね。
らいてうは、実は美禰子のように、頭が良くて、言いたいことを言って、思わせぶりで、あまり誠実とは言えないような人物だったのかも、とか、
いや漱石は、らいてうのことを美禰子のような女だと勝手に捉えていただけなのかも、とか、
いやいや漱石にも、らいてうのような女は書くことができなかったから諦めたのかも、とか、
もしかしたら漱石は、弟子の森田草平のために、今どきどこにでもいる迷える羊(ストレイシープ)に過ぎない女として美禰子(らいてう)を描いたのかも、とか、
妄想がどこまでも広がります。
文学の研究者でもなく、国語の教師でもなくなると、実に自分勝手に小説を楽しめます。
思い出しました。私は本当は国語の教師にはなりたくなかったことを。
国語の教師になってしまったら自由に小説を楽しめなくなるから嫌だったのでした。
国語の教師の縛りはなくなりましたので、これからの読書がますます楽しみです。
次は『それから』を読み直そうと思います。