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夏目漱石「三四郎」本文と解説5-7 三四郎は女の耳へ口を寄せた。「どうかしましたか」 美禰子「こゝはどこでせう。私心持ちが悪くつて……」

◇本文
 漸くの事で、美禰子の傍(そば)迄来て、
「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄(てすり)に手を突いて、心持ち首を戻して、三四郎を見た。何とも云はない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧を指(さ)した男が、瓢簟を持つて、滝壺の傍(そば)に跼(かゞ)んでゐる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるか殆んど気が付かなかつた。
「どうかしましたか」と思はず云つた。美禰子はまだ何とも答へない。黒い眼を左(さ)も物憂さうに三四郎の額の上に据ゑた。其時三四郎は美禰子の二重瞼(ふたへまぶた)に不可思議なある意味を認めた。其意味のうちには、霊(れい)の疲れがある。肉の弛(ゆる)みがある。苦痛に近き訴へがある。三四郎は、美禰子の答へを予期しつゝある今の場合を忘れて、此 眸(ひとみ)と此 瞼(まぶた)の間に凡てを遺却した。すると、美禰子は云つた。
「もう出でませう」
 眸(ひとみ)と瞼(まぶた)の距離が次第に近づく様に見えた。近づくに従つて、三四郎の心には女の為(ため)に出なければ済まない気が萌(きざ)して来た。それが頂点に達した頃、女は首を投げる様に向ふをむいた。手を青竹の手欄(てすり)から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐ後から跟(つ)いて出た。
 二人が表てゞ並んだ時、美禰子は俯向(うつむ)いて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を捲(ま)いてゐる。三四郎は女の耳へ口を寄せた。
「どうかしましたか」
 女は人込みのなかを谷中の方へ歩き出した。三四郎も無論一所に歩き出した。半町ばかり来た時、女は人の中で留つた。
「此所(こゝ)は何所(どこ)でせう」
「此方(こつち)へ行くと谷中の天王寺の方へ出て仕舞ひます。帰り路とは丸で反対です」
「さう。私心持ちが悪くつて……」
 三四郎は往来の真中で扶(たす)けなき苦痛を感じた。立つて考へてゐた。
「何所(どこ)か静かな所はないでせうか」と女が聞いた。
 谷中と千駄木が谷(たに)で出逢ふと、一番低い所に小川が流れてゐる。此小川を沿ふて、町を左りへ切れるとすぐ野に出る。河(かは)は真直に北へ通つてゐる。三四郎は東京へ来てから何遍此小川の向側を歩いて、何遍 此方(こちら)側を歩いたか善く覚えてゐる。美禰子の立つてゐる所は、此小川が、丁度谷中の町を横切つて根津へ抜ける石橋の傍(そば)である。
「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いて見た。
「歩きます」
 二人はすぐ石橋を渡つて、左へ折れた。人の家の路次の様な所を十間程行き尽して、門の手前から板橋を此方側(こちらがは)へ渡り返して、しばらく河の縁(ふち)を上(のぼ)ると、もう人は通らない。広い野である。
 三四郎は此静かな秋のなかへ出たら、急にしやべり出した。
「どうです具合は。頭痛でもしますか。あんまり人が大勢ゐた所為(せゐ)でせう。あの人形を見てゐる連中のうちには随分下等なのがゐた様だから――何か失礼でもしましたか」
 女は黙つてゐる。やがて河の流れから、眼を上げて、三四郎を見た。二重瞼(ふたへまぶた)にはつきりと張りがあつた。三四郎は其眼付で半ば安心した。
「難有(ありがと)う、大分好くなりました」と云ふ。
「休みませうか」
「えゝ」
「もう少し歩けますか」
「えゝ」
「歩ければ、もう少し御歩きなさい。此所(こゝ)は汚ない。彼所(あすこ)迄行くと丁度休むに好い場所があるから」
「えゝ」

(青空文庫より)

◇解説
団子坂の菊人形見物の場面。熱心に菊の根の説明をしている宗八を後に、美禰子は群衆に押されるまま会場から外へ出ようとする。その後を追う三四郎。

「漸くの事で、美禰子の傍(そば)迄来て、「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄(てすり)に手を突いて、心持ち首を戻して、三四郎を見た。何とも云はない。」
…三四郎が美禰子に直接「里見さん」と名前で呼んだのは、この時が初めて。これまで彼女のことを「里見さん」と呼んだのは、佐々木と宗八だった。広田の引っ越しの場面では、「あなた」と呼び掛けた。また、よし子との会話中に、話題に出た美禰子を「里見さん」と呼ぶことはあった。三四郎はこれまで美禰子を、「池の女」と認識している。相手の名を呼ぶことは、その人にとって特別な意味と感情がある。
ただここは外出先で、しかも人がたくさんいる中での呼びかけなので、三四郎はこう呼ぶしかなかったともいえる。
「青竹の手欄(てすり)に手を突いて、心持ち首を戻して、三四郎を見た。何とも云はない」は、美禰子が人や様々な刺激に酔った体調不良の様子と、自分の名を呼ぶ相手を認める動作。

「手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧を指(さ)した男が、瓢簟を持つて、滝壺の傍(そば)に跼(かゞ)んでゐる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるか殆んど気が付かなかつた」。

〇「養老の滝」について
「孝子(こうし)物語-親孝行のむかし話
 むかし、この美濃(みの)の国に、貧しいけれど親をうやまい大切にしている樵(きこり)が住んでいました。毎日山に登り薪(たきぎ)を取ってそれを売り、年老いた父を養っていましたが、その日の暮らしに追われて老父の好む酒を十分に買うことができませんでした。
 ある日、いつもよりずっと山奥に登りました。谷深くの岩壁から流れ落ちる水をながめ「あぁ、あの水が酒であったらなあ」と老父の喜ぶ顔を思い浮かべたとき、苔(こけ)むした岩から滑り落ちてしまいました。しばらく気を失っていましたが、ふと気づくとどこからか酒の香りがただよってくるのです。不思議に思ってあたりを見まわすと、岩間の泉から山吹色の水が湧き出ているのです。これはどうしたことだろうとすくってなめてみると、かぐわしい酒の味がするのです。夢かと思いましたが、「有難(ありがた)や天より授かったこの酒」と腰にさげているひょうたんに汲んで帰り老父に飲ませたところ、半信半疑であった老父は一口飲んで驚き、二口飲んでは手をたたいて喜び、父と子のなごやかな笑い声が村中に広がりました。老父はこの不思議な水を飲んだので白い髪は黒くなり、顔の皺(しわ)もなくなり、すっかり若々しくなりました。」(孝子(こうし)物語-親孝行のむかし話- | 養老町 より)

「養老の滝」は古今著聞集や十訓抄にある孝行息子の物語だが、その前で美禰子が体調不良である意味や、「三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるか殆んど気が付かなかつた」意味が不明だ。家族や親という存在が、今は気付かないが、やがては彼らを悩ませるということを暗示することが予想される。ただこの物語では、そのような話にはならない。

「「どうかしましたか」と思はず云つた」
…この発話の主体は三四郎なのだが、それが省略されている。日本語で主語が省略されることは多いが、ここは一瞬話者が推定できないところが面白い。読者は、誰の言葉かに少し戸惑い、その後で三四郎だと気づく。推定は決して難しくは無いのだが、一瞬はっとする表現だ。語り手と三四郎が一体となった、読者の気持ちがつまずくような語り口になっている。
またこれは、弱っている美禰子をみて心配の余り勢い込む三四郎の様子も表している。

いつもと違う弱った美禰子の様子に、「思はず」「どうかしましたか」と語りかける三四郎だったが、「美禰子はまだ何とも答へ」ず、「黒い眼を左(さ)も物憂さうに三四郎の額の上に据ゑた」。
美禰子の「物憂さう」な「二重瞼(ふたへまぶた)」の「黒い眼」に見据えられた三四郎は、そこに「不可思議なある意味を認め」る。
・「霊(れい)の疲れ」…心の力が弱っている
・「肉の弛(ゆる)み」…体に力が入らない
・「苦痛に近き訴へ」…心と体の不調の苦しみ
このままでは美禰子は、そこに倒れてしまうだろう。

「三四郎は、美禰子の答へを予期しつゝある今の場合を忘れて、此 眸(ひとみ)と此 瞼(まぶた)の間に凡てを遺却した。すると、美禰子は云つた。
「もう出でませう」」
…「どうかしましたか」という三四郎の問いかけへの「美禰子の答へ」の予感がしたが、この時三四郎は、美禰子の「 眸(ひとみ)と此 瞼(まぶた)」によってすべての事を忘れ去る。美禰子の憂鬱そうな目に捉えられ、考える力を失う、忘我の境地。三四郎は完全に美禰子の目に飲み込まれている。

「眸(ひとみ)と瞼(まぶた)の距離が次第に近づく様に見えた。近づくに従つて、三四郎の心には女の為(ため)に出なければ済まない気が萌(きざ)して来た」
…美禰子はいまにも目を閉じ、倒れそうだ。その様子を見て、三四郎は我に返り、彼女を会場から外に出そうと思いつく。
ところで、このような状況の時には、その場に一度座らせるか、周囲の者に声をかけ体を抱えて会場の外に連れ出すかを、素早く選択し実行しなければならない。男が若い女性に触れるのは気が引けるだろうが、緊急事態であり、このような場面では許されるだろう。このままでは彼女は倒れてしまう。頭部でも打ったら大変だ。
そうして彼女は、自分のサポートを三四郎に期待している。しかしその目によって石にされた三四郎は、全く動けない。(なさけない)

「それが頂点に達した頃、女は首を投げる様に向ふをむいた。手を青竹の手欄(てすり)から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐ後から跟(つ)いて出た」
…とりあえず美禰子は倒れなくてよかった。そうして読者は三四郎に対し、「何やってんねん」と鋭く批判したくなる。「いつもと違い、こんなに弱って今にも倒れそうなのに、あなたは私を見殺しにするのね。ホント、使えない男」と判断した美禰子は、仕方なく何とか自力で「出口の方へ歩いて行く」。「三四郎はすぐ後から跟(つ)いて出た」。(そこは手を貸せよ!)
ここでも美禰子は先に行く。情けない三四郎はその後をついて行くというふたりの関係性が如実に表れている。

ところで、以前も示したが、今話の前半部も三四郎と美禰子の会話の言葉はごく簡単で少ない。
三四郎「里見さん」
美禰子、何とも云はない。
三四郎「どうかしましたか」
美禰子はまだ何とも答へない。やがて、「もう出でませう」
三四郎「どうかしましたか」
この間に挟まれる説明によって、ふたりの心情と関係性を読者は知ることができる。そこに漱石の腕の見せ所がある。

「二人が表てゞ並んだ時、美禰子は俯向(うつむ)いて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を捲(ま)いてゐる。三四郎は女の耳へ口を寄せた。
「どうかしましたか」」
…三四郎のこの動作はエロい。人込みの中とはいえ、今ならセクハラだ。この時の彼に性的な欲求が無かったと言えばうそになる。
また、いかにも体調不良の人に対し、「どうかしましたか」とはずいぶん呑気な言葉だ。「具合がわるいに決まってるじゃないか。そんなわかりきったアホなことをことさらに聞くな! どこか、静かに休める場所を探せ。至急!」と言いたい。きっと美禰子も同じように思っている。
それができないのが、この男のうぶなところだ。恋愛初心者でなくとも、一般常識としてこのような場面に対応する能力は持たなければならない。恋愛経験も、人生経験も、まだまだ不足し未熟な三四郎。

「女は人込みのなかを谷中の方へ歩き出した。三四郎も無論一所に歩き出した。半町ばかり来た時、女は人の中で留つた。
「此所(こゝ)は何所(どこ)でせう」
「此方(こつち)へ行くと谷中の天王寺の方へ出て仕舞ひます。帰り路とは丸で反対です」
「さう。私心持ちが悪くつて……」」
…手も肩も貸さない三四郎。会場の人込みから逃れるためには、仕方なく自力で歩いていくしかない。「三四郎も無論一所に歩き出した」の「無論」とあるが、「一所に歩き出」すだけでは、彼女の助けにはならない。彼は「無論」、彼女に手を貸さねばならぬ場面。だからこの語はやや偉そうに見える。三四郎は気を遣って見守っているつもりなのだろうが、文字通り美禰子の支えにはなっていない。
「一町」は約109m。
「此所(こゝ)は何所(どこ)でせう」という美禰子の言葉は、実際の場所・番地を尋ねているのではなく、自分は今どこにいて、どのような状態にあるかが分からないという茫然自失の様であることを表した言葉だ。彼女は無意識で歩き、見知らぬところにたどり着いた様子を表す。まさに、「ここはどこ? 私は誰?」という状態なのだ。だから、この問いに対する答えは、「自分がそばにいるから、気を強く持ってください。少し休めば大丈夫」という慰めの言葉をかけるべきだ。
それなのに三四郎は(バカだから)、「此方(こつち)へ行くと谷中の天王寺の方へ出て仕舞ひます。帰り路とは丸で反対です」と、地理の説明をしてしまう。美禰子はそんなことは聞いていない。「回復まで自分のそばにいるから大丈夫」という優しい言葉を待っているのだ。(ほんと、使えない男だ)
かわいそうに美禰子は、「さう。私心持ちが悪くつて……」と言わねばならなかった。そう具体的にわかりやすく言わないと理解できない男なのだ。

美禰子「私、ちょっと疲れちゃった」
三四郎「こっちに行くと谷中の天王寺で、帰り路とは真逆だよ」
美禰子「…(この男、ホントにバカだわ)…だから、具合がわるいって言ってんの……」
哀れ、美禰子。美禰子に幸あれ。

「三四郎は往来の真中で扶(たす)けなき苦痛を感じた。立つて考へてゐた」
…体調不良者の扱いになれない三四郎。適切な判断をし、行動を指示してくれる他者を求めるが、そのような人はいない。(菊人形の真っ最中)
美禰子は仕方なく、自分から、「何所(どこ)か静かな所はないでせうか」と聞く。
美禰子の立場に立つと、せっかくグループデートに出かけたのに、彼・宗八は自分の相手をしないばかりか体調不良にも全く気付かず菊の科学的な話に夢中だし、そばにいる三四郎は気が利かない使えないヤツという散々な結果になってしまった。宗八も三四郎も、彼女でなくても願い下げだろう。
ここで、「何所(どこ)か静かな所はない」かに気づき、また探すのは、三四郎の役目だ。心配りがない男。

三四郎はまだ子供なのだ。これまで自分が庇護の対象になっていたのが、現在も続いている。自分が誰かを気遣い、サポートするという考えも経験もない。だから具体的に動けない。

「谷中と千駄木が谷(たに)で出逢ふと、一番低い所に小川が流れてゐる。此小川を沿ふて、町を左りへ切れるとすぐ野に出る。河(かは)は真直に北へ通つてゐる。三四郎は東京へ来てから何遍此小川の向側を歩いて、何遍 此方(こちら)側を歩いたか善く覚えてゐる。美禰子の立つてゐる所は、此小川が、丁度谷中の町を横切つて根津へ抜ける石橋の傍(そば)である」
…体調不良の割には、美禰子はずいぶん歩いたものだ。
「小川」は三四郎の姓であり、今そこにふたりが立っているのは象徴的だ。

団子坂の菊人形見物地理(上が北)

「「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いて見た。
「歩きます」」
…繰り返しになるが、ここは、どこか近くに休む場所を探し、そこに腰を下ろさせるべきだろう。以前何度も散歩し、土地勘があることが先に述べられていたのだから。

「二人はすぐ石橋を渡つて、左へ折れた。人の家の路次の様な所を十間程行き尽して、門の手前から板橋を此方側(こちらがは)へ渡り返して、しばらく河の縁(ふち)を上(のぼ)ると、もう人は通らない。広い野である」
…「小川」に渡された橋を何度も行き来することは、先にも述べたように、象徴的な行為だ。美禰子が小川三四郎と何度も関わるさまをあらわしている。

「三四郎は此静かな秋のなかへ出たら、急にしやべり出した。
「どうです具合は。頭痛でもしますか。あんまり人が大勢ゐた所為(せゐ)でせう。あの人形を見てゐる連中のうちには随分下等なのがゐた様だから――何か失礼でもしましたか」」
…具合の悪い人には静かに対応すべきだのに、周りに人がいなくなったとたん「急にしやべり出した」三四郎。ここは何も言わず、ただ美禰子をあたたかく見守ればいい。
「女は黙つてゐる」。体調不良もあるが、美禰子は何かを考えている。

「やがて河の流れから、眼を上げて、三四郎を見た。二重瞼(ふたへまぶた)にはつきりと張りがあつた。三四郎は其眼付で半ば安心した」
…美禰子に少し意地悪な見方をする。実は彼女は仮病を使ったのだ。対して具合がわるいわけでもないのに、三四郎とふたりきりになる機会を得るために、わざと体調不良のふりをした。だから歩けるし、大して休みもしないのにすぐに回復した。すべてが演技という怖い女だ。
女性が心細そうにしていたり具合がわるい様子であったりすると、男性はとても気になるものだ。自分が何とか慰めてあげられないかと思う。つまり、美禰子の演技によって、三四郎の心はさらに強く彼女に引き付けられたことになる。美禰子は自分で「二重瞼(ふたへまぶた)にはつきりと張り」を持たせた。騙されているとも知らぬ「三四郎は其眼付で半ば安心した」。男など騙すのは簡単なことだ。

美禰子「難有(ありがと)う、大分好くなりました」…彼女はこう言うしかないだろう。
三四郎「休みませうか」
美禰子「えゝ」…どこかいい場所を早く見つけてよ。
三四郎「もう少し歩けますか」
美禰子「えゝ」…だから、もう、歩きたくないって言ってんの。タクシー呼んで!
三四郎「歩ければ、もう少し御歩きなさい。此所(こゝ)は汚ない。彼所(あすこ)迄行くと丁度休むに好い場所があるから」
美禰子「えゝ」…それでもまだ私を歩かせる気? この男、ホント気が利かないにもほどがある。
座るために下に敷くものを探すとか、休めそうな場所を無理にでも探すとか、移動するにも手を貸すとか、そういうことが全くできない男。ポイですね。

以前「三四郎」を読んだ時には、美禰子に対して、「複数の男を誘惑しておきながら、結局別の男に走る悪い女」と思ったが、今回、特に今話の場面では、これでは美禰子に罪はないと思った。一人はデート中に彼女をほったらかしであるばかりか、その体調不良にもいつの間にか姿を消したのにも全く気付かない。もう一人も、全く頼りにならない。宗八も三四郎も、美禰子でなくとも捨てられる運命にあるだろう。ふたりともまだ人間として未熟だ。だからその上に男性的な魅力が積み重なるわけはない。
これまでの研究には、このような視点がなかったのではないか。彼女の「ストレイシープ」に焦点が中てられすぎていたのではないか。美禰子の肩を持つわけではないが、こんな不甲斐ない男たちに囲まれては、人生に迷いもするだろう。こんな二人よりは多少なりともまだ見込みと頼りがいのありそうな男と一緒になっても当然だ。
私だったら、今回の菊人形見物で、ふたりとは心理的にさよならする。