福元早夫(作家)
自然と共存しながら生きていく、季節は変わりゆく、変わりゆく季節の中で自然は、様々な表情を変えていく、自然と向き合う中で通じる食と向き合うことで、人間のエネルギーに変えていく。
人間の生き方とは何か、それには正解がない。百色百通りの生き方がある。生きている間に人生に迷うことがある。人生の岐路に立つこともある。 生きることとは何か、迷った時は偉人達の言葉を参考にしながら前に進んでいきたい。
同人誌Amazon 1982年7月号(227号)より 1982年3月25日木曜日誕生 ちょうど正午ごろだった。 入院している妻の病院から電話があって、11時5分に、元気な女の赤ちゃんがお生まれになりました、と告げてきた。 私たちにとって四人目の新しい命の誕生である。 私は昨日からの、張り詰めていた精神の緊張が、心地よく和んでいく快感を味わいながら、電話の女の声に礼を言い、 面会時間の三時過ぎにそちらへ伺わせていただきます、と言って再び礼を言った。 昨日、妻は病
手のひらの歌・47 「社会生活を行っていくうえで、人間関係や世の中のできごとに関して対処する方法を、世渡りとか処世術とかいう。その道や学問的分野などを研究して、精通している人を、専門家という。懸命に世渡りせよ。だが、世渡りの専門家になるな。太陽は万物を平等に照らし、人はその恩返しに、汗と涙と血を流して生きている」 「処世術」 処世術とは、社会生活を円滑に営んでいくための、技術や知恵のことである。身近な人間関係に限らず、仕事の場面で、うまく立ち回るのに役立つコツともいえる
手のひらの歌・46 「初版と同じ版で、同一の書籍を再び出版することを、再版といい、 印刷物の中の文字や符号などの誤りを、誤植という。もし人生、に再販があるとすれば、人はどういうふうに誤植を直すだろうか。人生は起伏の激しい川の流れで、人は小舟にのって絶えず揺れ動いていく。過去のミスプリントに、手をのばす暇はない」 「出版」 出版とは、販売や頒布をする目的で、文書や図画を複製して、これを書籍や雑誌の形態で発行することで、上梓(じょうし)や、板行(はんこう)とも呼ばれる。
手のひらの歌・45 「生物において、生殖のもとになった個体と、新たに生まれた個体をまとめて、親子という。われわれの一生の前半は、親によって、後半は、子どもによって台無しにされる。親子は、生命の連続性の基礎であって、子を世に生み出すときに、うまく生存できるように万全の方策を講ずる親は、子育ての神の代理人なのである」 「親子」 親子(おやこ、しんし)は、親と子のことである。また、その関係をいう。親子という語は、父母と子の関係を意味する語であるが、生みの親と、子の血縁的な関係
手のひらの歌・44 「イヌやネコなどの愛玩動物を可愛がったり、俳優やタレントなどを追いかけまわして、喜んでいる人もいる。人生のほんとうの楽しみは、自分より劣った連中といっしょに暮らすことだという。だが、趣味や娯楽のよろこびと、社会の進歩とは別物で、人生を気晴らしや、うさ晴らしと勘違いしては、天罰がくる」 「趣味」 趣味は、以下の3つの意味を持っている。 人間が自由時間に、好んで習慣的に、繰り返しおこなう行為や事柄や、その対象のことである。 物の持つ味わいや、おも
手のひらの歌・43 「芸の才能や特技などを見せる場所を舞台といい、それらの物まね芸をおこなう人を、俳優や役者と呼んでいる。この世はすべて舞台であって、男も女もすべて役者にすぎない。男はぐだぐだと屁理屈をならべ、女は感情的な鋭い悲鳴の叫びをあげ、一世一代の熱演を繰り返す。だが、観客は一人もいない」 「舞台」 舞台とは、演劇やダンスや、伝統芸能や演芸などの、舞台芸術の表現者が、作品を演じるための、一定の空間である。 転じて、舞台芸術に属する作品のジャンルを指して、「舞台
手のひらの歌・42 「この世で、生きていくことをはじめに、その過程の時間の流れや、さまざまな経験などを、人生という。そこで人は多くを願うが、必要なものはごく僅かである。人生は短く、人間の運命には限りがある。願望や希望は、心を豊かにする栄養素で、衣食住は生活の必需品である。だが、持ちすぎると、無駄と無益と苦痛をつくる」 「人生の意義」 「文学における諸見解・ゲーテの見解」 ゲーテは『ファウスト』において、金が欲しい、地位や名誉が欲しい、異性が欲しいなどの欲望は、欲望を満た
手のひらの歌・41 「将来やこの先のことなど、人間の意志をこえて、幸福や不幸を与える力を運命といい、単に運とも、めぐりあわせともいう。生きること、それは自分の運命を、発見することである。人は歴史をつくるための、多大な資質を、先祖から与えられている。それを見つけだすまで、根気よく、自分を掘り起こさなければならない」 「資質」 「素質」や「才能」という言葉はよく使われるが、同じような意味で、「資質」という言葉もある。 「素質」とは、持って生まれた性質で、将来、あるものになるの
手のひらの歌・40 「見知らぬ場所や土地のことを異郷といい、生まれて育った土地を故郷という。人間は異郷に生まれて、生きることは、故郷を求めることである。人の一生は、精神のよりどころを求める長い旅のようなもので、海あり山あり川あり谷ありで、平坦ではないから、安らぎの場所を求めて歩き続けるしかない」 「精神」 精神は、心、意識、気構え、気力、理念、などといった意味を持つ言葉である。 日本語の「精神」は、中国語にすでにあったものを、漢語系語彙として使用してきた。 だが、
手のひらの歌・39 「目的は到達点としてめざすもので、それまでに設けた目じるしが目標である。目的をたてるのに、若い時代とか、いくつまでという条件はなく、早すぎることもなければ、遅すぎることもない。物事を決定したり、約束したりするときに、前提や制約となる事柄をつくると、不自由で自分をしばることになる」 「目的と目標の関係」 目的は「成し遂げようとすることがら」で、目標のほうは、その目的を達成するために設けた、「めあて」のことである。 たとえば、目的を「自分も他の人も、
手のひらの歌・38 「写真機や望遠鏡などで、目的とする物が鮮明に映るように、レンズの位置を定めることを照準という。だが、目的は必ずしも完遂させるためにおくのではなく、自分の進むべき道を定める照準点としてあればいい。人は生きるために、挑戦という心の弓矢を絶えず放つ。的を自分なりの大きさに絞ると、見えやすく確率が高い」 「目的」 目的とは、成し遂げようとすることがらである。また、行為の目指すところである。プラトンは、イデア論を唱えた。これは、観念や物質が、合目的的に形成され
手のひらの歌・37 「気品が高くスケールの大きいことを崇高といい、品格や品性が劣って卑しいことなどを下品という。だが、人生の目的に、崇高だとか下品だとかの位置づけはできない。自分なりに何か決めればよい。大地に多種多様な植物の根が共生しているように、人は自分のために生きることで、世のため人のための社会をつくっている」 「社会」 社会は、ある共通項によってくくられて、他から区別される人々の集まりである。また、仲間意識をもって、みずからを、他と区別する人々の集まりである。
手のひらの歌・36 「目的を達成しようとする意識や意欲をはじめに、そのための行動をしっかりと理解して自覚することを、目的意識という。もちろん人生の最高の目的は、生きることであるから、何があっても生き抜く力と、折れない心を育てないといけない。山を見よ、樹木のたくましさは、万物の生命力の祖先である」 「樹木」 木(き)とは、植物の一種を指すための用語である。樹(き)、樹木(じゅもく)とも言う。木本(もくほん、植物学用語)ともいう。用材や材木のことでもある。 「き」「木」
手のひらの歌・35 「今の環境や自分自身に不満があって、理想像があるときは、まず自分を取り巻く状況を変えていく。そこで意識しなければならないのは、行動力を発揮するということ。言葉や文章で人生の目的を表現するのではなく、川の流れが大海をめざしていくように、絶え間なく前へむかって行動することである」 「理想」 理想とは、考えられるうちで、最高の状態のことである。プラトンによる哲学思想である「イデア」を、明治時代に直訳した用語である。 また、ある条件を定義して、それにあて
手のひらの歌・34 「物事を始めるときは、集中して頑張るが、その気力を失うと、投げ出してしまうのを移り気といい、熱しやすく冷めやすいともいう。人間はすべて、善でもあり悪でもあって、極端はほとんどなく、すべて中途半端である。野菜や果物たちに学ぼう、根気を失って、枯れてはいけない。花が咲かない、果実もつくれない」 「善と悪」 倫理的な善と悪について述べると、宗教的な善と悪は、神という存在を仮定して、人が授かった“ 教え ”に従うか、反するかである。 だが、科学的には、人
手のひらの歌・33 「頭を働かせて思いをめぐらせ、あれこれ工夫することを、考えるという。人は絶えず自分に問いかけ、正しい道筋を導きだそうとするから、考えることのないときは一瞬もない。迷路が張りめぐらされた人の道は、遠くけわしく果てしないから、頼りになるのは自分しかいないからである」 「思考」 思考は、考えや思いを巡らせる行動であって、結論を導き出すなどの、何かしら一定の状態に達しようとする過程において、筋道や方法などを模索する精神の活動である。 広義には、人間が持つ