izayoi books - 物語の散歩道  すみがき たけし(隅垣 健)

すみがき たけし (隅垣 健) 京都宇治在住。物語や童画を書いています。 幼い頃に夢中で読んだ物語は魂の幹となり、大人になってもその心に響き続けます。自らの体験や地元京都の出来事などに題材を得ながら、今の子どもたちにも響く新しい物語づくりをおこなっています。

izayoi books - 物語の散歩道  すみがき たけし(隅垣 健)

すみがき たけし (隅垣 健) 京都宇治在住。物語や童画を書いています。 幼い頃に夢中で読んだ物語は魂の幹となり、大人になってもその心に響き続けます。自らの体験や地元京都の出来事などに題材を得ながら、今の子どもたちにも響く新しい物語づくりをおこなっています。

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最近の記事

思い出の本④ 星と祭(井上靖)

大切な人を失った悲しみ。 それも思いがけない形で突然訪れた別れと、その喪失感。 怒り、逆恨み、後悔、自責の念……。 自分が属する生の世界と、手の届かない死の世界の境目で苦しむ人は多い。 心の安寧をどのように得ていけばいいのか、そもそも安寧など得られるものなのか。 深く考えてゆくに従って、生と死が対極にあるのではなく、私たちの生そのものが大いなる死に内包されていることに気づいてゆくだろう。 私も四半世紀前に失った幼子の魂の行方をめぐり、心の葛藤は今も続いている。 本書の主人公

    • 庭の落ち葉

      秋が深まってくるにしたがって、悩ましくなるのが落ち葉です。 風がゴオッと一吹きすると、宇治の我が家のぐるりも落ち葉でいっぱいになってしまいます。 こまめに掃除をしないと、小庭も道もあっという間に葉っぱに埋もれてしまうし、飛び散ってご近所に迷惑をかけることもになりかねません。 せっかく集めた落ち葉、なんかに役立てることはできないものでしょうかね。 一昔前ならば焚き火をして、ついでに焼き芋なぞ楽しんだことでしょう。 燻る火をちょいちょいとつついて、ほくほくの芋をほじくり出す。

      • ロベルト・シューマン Robert Schumann

        アイドルのファンは、誰より応援している子のことを「推し」という。 流行りのアニメやマンガのおかげで、推しを使う人が増えたが、急に生まれた言葉でもない。 何を隠そう、私だって四半世紀前は、モーニング娘。の中では石川梨華が推しメンだったし、四十年前のアイドル全盛時代、そうそうたる顔ぶれがしのぎを削りあっている頃は、デビュー間もない菊池桃子を推していた。 「推し」というものは決して、決してアイドルだけが対象になるわけではない。 たとえばスポーツ選手にだって、推しは存在する。 私は

        • 朽木(くつき)のシコブチさん − 志子淵神社(滋賀県高島市朽木)

          京都と若狭の小浜の間には通称「鯖街道」という古い道がある。 若狭湾で採れた魚介類をできるだけ新鮮なまま京都へ運ぶため、丹波山地と比良山系に挟まれた南北に細長い谷を最短距離でまっすぐに貫いた道、それが鯖街道だ。 今では国道367号線が、ほぼそのルートにあたる。 その街道の中間地点にあたるのが朽木(くつき)だ。 平成の市町村合併の結果、今でこそ広大な高島市の一部分になってしまったが、それ以前は朽木村として琵琶湖沿岸の他の高島地域とは一味違う独自の山村文化と歴史を育んできた。 花

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        • 思い出の本・音楽(我が家の小さな書棚・レコード棚から)
          4本
        • うさぎの小径便り (宇治と京都のエッセイ)
          5本
        • 十六夜草子(散文)
          9本

        記事

          昭和の秋旅

          私の父方の祖父は、丹後の郷土歌人・俳人だった。 青霞(せいか)というのがその号だ。 没年は1978年(昭和53年)。日々の暮らしの中で作られた短歌や俳句には、大正~昭和当時の丹後の自然や生活習慣、農耕、また紙漉きや養蚕、機織りといった地域ならではの産業や風物の様子が、詠み込まれている。 それらについては、また別の機会に紹介したい。 祖父青霞は、旅が大好きで、暇を見つけては日本各地に出かけていたようで、旅の句歌も数多く詠まれている。 その中には、旅行に出かける前のワクワクとし

          思い出の本③ 三四郎(夏目漱石)

          夏目漱石との出会いは、おそらく多くの人と同じだろう。 中学校の教科書に載っていた「坊ちゃん」の冒頭部分を読み、続きを知りたくて文庫本を買ったのと、高校の授業で「こころ」を学び、先生の遺書に衝撃を受けたというのが始まりだったように思う。 その後、高校生から大学生の頃までに漱石の主だった作品を一通り読みあさった。 小澤征爾のエッセイ「ボクの音楽武者修行」のなかにも、フランス留学へ向かう船旅の途上で、漱石の小説を日本から取り寄せて読む場面があったので、それに影響されたのかもしれない

          秋の海 丹後宮津

          秋の海辺は表情豊かだ。 海沿いの道で車を走らせると、岬や入り江をぐるりとまわるごとに、違う顔をみせる。 同じ日でも、朝、昼、晩にまるで異なった風情を漂わせ、ハッとさせられる。 丹後の海も、多彩な顔を見せる海だ。 天橋立、伊根の舟屋、申崎や経ヶ岬の荒波、網野の海岸の夕陽など見どころは多いが、私がもっとも心和むのは、江尻の浜辺から見える景色だ。 日置へとつながる海岸線、そして対岸の黒崎に挟まれた向こう側に、遥かな水平線。そこには冠島と沓島が静かにならぶ。 吹き寄せる微風に呼

          トリエステの風

          私がプロフィールページに使っているイラストについて説明しておきたい。 この絵は、私の「京都風音ピアノ100年の物語 ~この町で生きている~」という長編物語の中で使った挿絵だ。 トリエステというアドリア海に面した港町の光景。 およそ110年前(1910年代半ば頃)を想定して描いたものだ。 この物語は、今も京都の旧明倫小学校(現在は京都芸術センター)に残されているペトロフピアノをモデルとしたお話。 オーストリア・ハンガリー帝国のボヘミア地方(今のチェコ)で作られたペトロフのピ

          京都出町 古本市と入道雲の風景

          毎年、お盆の季節になると下鴨の糺の森で、古本市が催されます。 森見登美彦さんの小説などにも登場することがあるので、京都在住者以外でもご存じの方は多いかもしれませんね。 深い糺の森を流れる楢の小川のせせらぎを聞きながら、木漏れ日のなかを古書を求めてそぞろ歩き……と聞けば、「あぁ、なんと優雅な」とため息をもらす方もいらっしゃるでしょうが、とんでもありません。 京都の夏はすさまじい暑さになりますが、とりわけ8月半ばの蒸し暑さときたら灼熱地獄と表現しても決して大げさではないでしょ

          浄土のような光景ー長浜の思い出

          暑すぎる日々が過ぎ去り、ようやく秋らしくなり始めたと思ったら、とたんに冷え込むようになった。 すると、しみじみ夏のことを懐かしく思い出すのだから、人間とは身勝手なものである。 この夏に長浜を訪れた。 義父の墓参りのためである。 以前は、せっかく長浜へやって来ても、用事が済めば急ぎ足で京都へ帰っていた。 でも、ここ数年は心に余裕ができたのか、それとも、齢とともにバタバタと駆け足で行動することが性に合わなくなってきたのか、この湖北の町をゆっくりと堪能するようになってきた。 する

          思い出の本② 『幽霊―或る幼年と青春の物語』(北 杜夫)

          北杜夫は私にとって特別な存在だ。 中学一年の夏休みに「どくとるマンボウ航海記」に出会った。 「世の中にこんなに面白い本があるのか。こんな楽しい本を書ける人がいるのか」 たちまち私は北杜夫の虜になってしまった。 その後も「どくとるマンボウ」シリーズのエッセイ作品を読みまくった。とくに「昆虫記」や「青春記」には航海記と同じぐらい引き込まれた。 しかし、エッセイ以上に私の心をとらえたのが、純文学の作品群だった。 短編集「夜と霧の隅で」や「天井裏の子供たち」、「星のない街路」、

          思い出の本② 『幽霊―或る幼年と青春の物語』(北 杜夫)

          宗谷岬に立つ

          北緯45度31分 日本最北端の地、宗谷岬。 私は2024年9月26日にこの地をひとり訪れた。 北欧やスコットランド北部あたりを思わせるような荒涼とした海岸線。 当地の冬期の厳しい自然環境を想像させるが、訪問した日は穏やかな秋の空の下。 風はやわらか、海も静か。 水平線のはるか先には樺太の島影もうっすらと見えた。 岬の背後の丘の上には、赤と白に塗り分けられた灯台が立つ。 殺風景な光景のなかでは、ひと際かわいらしく見える建物である。 同じ丘には並ぶように旧陸軍のトーチカ状の望楼が

          うさぎの小径(こみち)

          宇治は、別名莵道(菟道)とも呼ばれます。 莵道(菟道)と書いて「うじ」と読ませることもありますが、一般的な読みは「とどう」で、莵道高校や菟道小学校、菟道第二小学校など、学校の名前に今でも使われています。 古い伝承によると、応神天皇の皇子である菟道稚郎子(うぢのわきいらつこ)が、山中で迷ったときにうさぎ(兎=莵、菟)が現れて、時おり振り返りながら道案内してくれたそうで、その土地を莵道と呼ぶようになったとのこと。 宇治上神社や宇治神社の祭神は菟道稚郎子で、皇子を導いたうさぎも縁起

          中書島の炎ー三栖神社炬火祭

          宇治からほど近い京都市伏見区中書島。 京阪電車の中書島駅からほど近い三栖神社は、天武天皇を祭神とした小さな古い社で、普段は多くの参拝客で賑わう場所ではありません。 日本全国のどこの町や村にでもあるような、ごく普通の鎮守さまという風情の神社です。 しかし、年に一度だけ、この近辺に例外的に人が密集する夜があります。秋に行われる炬火祭(たいまつまつり)です。 京都の炎の祭りと言えば、清凉寺(嵯峨釈迦堂)のお松明式や、広河原の松上げ、鞍馬・由岐神社の火祭りなどが有名ですが、三栖神社

          宇治の奔流

          私が住む宇治にも、ようやく秋の気配がただよい始めました。 今年-2024年の京都は、例年にも増して暑い日が続き、摂氏30度以上の真夏日が既に100日を超えているそうです。 京都近郊の宇治でも、10月に入ってから最初の週は真夏日が続きました。 しかし、ここ数日は雨まじりでぐずついた天気のおかげもあり、秋らしい過ごしやすい日が続いています。 宇治は、京都の南方にありますが、山に近く、水量豊富な宇治川の水辺にも近いため、本来は京都市内より幾分過ごしやすい場所です。 そのため、

          案山子(かかし)

          最近、案山子をとんと見かけなくなった。 私が子供の時分-昭和40~50年代頃は、まだまだいたるところで案山子が活躍していた。 作り方も、農家の人たちの個性の見せどころで、白いてぬぐいに「へのへのもへの」の顔を描いた古典的なものから、マンガやアニメのキャラクターを模したもの、洋装店でいらなくなったマネキン人形の首を流用したものまで、いろんな案山子が鳥避けの技を競い合っていた。 個人的にはマネキン首の案山子は、鳥だけでなく私までドキリとしてのけぞってしまうので少々苦手ではあったが