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夏目漱石「三四郎」本文と解説1-3「例の女が入口から「ちいと流しませうか」と聞いた」
◇本文
大きな行李(こり)は新橋迄預けてあるから心配はない。三四郎は手頃なズツクの革鞄(かばん)と傘丈持つて改札場を出た。頭には高等学校の夏帽を被つてゐる。然し卒業したしるしに徽章丈はもぎ取つて仕舞つた。昼間見ると其処(そこ)丈色が新らしい。後ろから女が尾(つ)いて来る。三四郎は此帽子に対して少々極りが悪かつた。けれども尾いて来るのだから仕方がない。女の方では、此帽子を無論たゞの汚い帽子と思つて居る。
九時半に着くべき汽車が四十分程 後(おく)れたのだから、もう十時は過(まは)つてゐる。けれども暑い時分だから町はまだ宵の口の様に賑やかだ。宿屋も眼の前に二三軒ある。たゞ三四郎にはちと立派過ぎる様に思はれた。そこで電気燈の点(つ)いてゐる三階作りの前を澄して通り越して、ぶら/\ 歩行(ある)いて行つた。無論不案内の土地だから何所(どこ)へ出るか分らない。只暗い方へ行つた。女は何とも云はずに尾(つ)いて来る。すると比較的淋しい横町の角から二軒目に御宿と云ふ看板が見えた。之(これ)は三四郎にも女にも相応な汚ない看板であつた。三四郎は鳥渡(ちよつと)振り返つて、一口(ひとくち)女にどうですと相談したが、女は結構だと云ふんで、思ひ切つてずつと這入つた。上がり口で二人連れではないと断わる筈の所を、入(い)らつしやい、――どうぞ御上がり――御案内――梅の四番 抔(など)とのべつに喋舌(しやべ)られたので、已(やむ)を得ず無言の儘二人共梅の四番へ通されて仕舞つた。
下女が茶を持つてくる間二人はぼんやり向ひ合つて坐つてゐた。下女が茶を持つて来て、御風呂をと云つた時は、もう此婦人は自分の連(つ)れではないと断わる丈の勇気が出なかつた。そこで手拭をぶら下さげて、御先へと挨拶をして、風呂場へ出て行つた。風呂場は廊下の突き当りで便所の隣りにあつた。薄暗くつて、大分不潔の様である。三四郎は着物を脱いで、風呂桶の中へ飛び込んで、少し考へた。こいつは厄介だとぢやぶ/\遣(や)つてゐると、廊下に足音がする。誰か便所へ這入(はい)つた様子である。やがて出て来た。手を洗ふ。それが済んだら、ぎいと風呂場の戸を半分開けた。例の女が入口から「ちいと流しませうか」と聞いた。三四郎は大きな声で、
「いえ沢山です」と断わつた。然し女は出て行かない。却(かえ)つて這入つて来た。さうして帯を解き出した。三四郎と一所に湯を使ふ気と見える。別に恥づかしい様子も見えない。三四郎は忽(たちま)ち湯槽(ゆぶね)を飛び出した。そこそこに身体を拭いて座敷へ帰つて、坐蒲団の上に坐つて、少なからず驚ろいてゐると、下女が宿帳を持つて来た。
三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県 京都郡(みやこぐん)真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女の所へ行つて全く困つて仕舞つた。湯から出る迄待つて居れば好(よ)かつたと思つたが、仕方がない。下女がちやんと控えてゐる。已を得ず同県同郡同村同姓 花(はな)二十三年と出鱈目(でたらめ)を書いて渡した。さうして頻りに団扇(うちわ)を使つてゐた。
やがて女は帰つて来た。「どうも、失礼致しました」と云つてゐる。三四郎は「いゝや」と答へた。
三四郎は革鞄(かばん)の中から帳面を取り出して日記をつけ出した。書く事も何にもない。女がゐなければ書く事が沢山ある様に思はれた。すると女は「一寸(ちよい)と出て参ります」と云つて部屋を出て行つた。三四郎は益(ますます)日記が書けなくなつた。何所(どこ)へ行つたんだらうと考へ出した。
◇解説
この物語では、登場人物と語り手の心情が一つに重なる時があり、人物自身の心情なのか、語り手の感想なのかが曖昧だ。
「大きな行李(こり)は新橋迄預けてあるから心配はない」。
…この「心配」とは、大きな荷物を持ち運ぶ手間がないことと、それを盗まれる恐れがないということ。
この時の三四郎の荷物と言えば、「ズツクの革鞄(かばん)と傘丈」。
「ズック」…麻やもめんの糸で織った、厚地の布で、運動靴・テント・帆布などを作る。(三省堂「新明解国語辞典」)
「頭には高等学校の夏帽を被つてゐる。然し卒業したしるしに徽章丈はもぎ取つて仕舞つた。昼間見ると其処(そこ)丈色が新らしい。後ろから女が尾(つ)いて来る。三四郎は此帽子に対して少々極りが悪かつた。けれども尾いて来るのだから仕方がない。女の方では、此帽子を無論たゞの汚い帽子と思つて居る」。
…三四郎は九州の高等学校を卒業し、東京大学に入学するために、いま上京している。「夏帽」であるのは、当時の学校の年度が夏で切り替わり、秋から新年度が始まるため。当時の学制では、高校卒業は20歳くらいなのだが、このすぐ後に、「三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県 京都郡(みやこぐん)真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いた」とあり、彼は23歳であることが分かる。当時は20歳が成人で、故郷を離れ上京する三四郎は、心身ともに「大人」として新しい人生に踏み出そうという意気込みがあっただろう。だからまだ子供だった時の高校のしるしを「もぎ取つて仕舞つた」のだ。見知らぬ女との今後に淡い期待を抱きつつ宿へと向かう彼は、これまで真面目に歩んできた過去への「極り」の「悪」さを感じている。今まで経験したことのない女性との出会いに期待しつつ歩く三四郎。
「けれども尾いて来るのだから仕方がない」という表現は、言い訳がましいが自己責任回避・逃げ口上だ。語り手が三四郎の心情を代弁して言った言葉。
「徽章」を「もぎ取」るという三四郎の大人ぶった行為に対し、女はあくまで「たゞの汚い帽子と思つて居る」だけ。ふたりの心情の乖離が、語り手によって面白く解説される。語り手はここで三四郎を突き放す。
このように語り手は、三四郎と一体になる時と、彼を客観的に見る時がある。
大学進学のために東京へ向かう三四郎の心には、新しい場所で新しい人と出会う気持ちのたかぶりがある。それは当然のことだし、そのために彼は東へと向かっている。そこにまず初めに登場したのが、この謎の女だった。総じてこの物語に出てくる女たちは謎なのだが、取り分けこの女は、性的に三四郎を翻弄して立ち去る。「旅の恥は~」とか、「据え膳食わぬは~」とかの下品な慣用表現が頭に浮かぶが、これまでおそらく女性との交流がなかった三四郎が、青春時代に出会うべき人・経験だろう。問題は、この青天の霹靂ともいうべき対人関係を、彼がどのように受けとめ、どのように今後の人生に活かしていくかだろう。読者はそれを、はらはらしながら見守ることになる。
「九時半に着くべき汽車が四十分程 後(おく)れたのだから、もう十時は過(まは)つてゐる。けれども暑い時分だから町はまだ宵の口の様に賑やかだ。宿屋も眼の前に二三軒ある」。
〇当時の名古屋の様子を調べてみた。
「12 名古屋市の成立と近代産業
明治政府は、明治10年(1877)頃までに学制・徴兵制・地租改正などの新しい制度を整えた。それ以後は、近代産業の育成に力を注ぎ、官営工場の払い下げ、鉄道の整備などを行った。名古屋も維新後しばらくは、城下町以来の消費都市から抜けきれなかったが、明治22年の市政施行の前後から、繊維業などの近代工業がおこってきた。
12-1 名古屋市の成立
明治4年(1871)、廃藩置県により、名古屋県が成立した。翌年愛知県と改称し、さらに、額田県を合併し現在の県域となった。旧名古屋城下は明治11年、名古屋区に、22年には名古屋市となった。市政施行当時の人口は16万人弱、市域は13平方kmで現在の24分の1であった。その後、明治40年の熱田合併、大正10年(1921)の隣接16町村編入などにより、市域は次第に拡大していった。
12-2 近代産業のおこり
政府の殖産興業政策によって、明治20年代には紡織業を中心とする第一次産業革命が始まった。名古屋でも城下町以来の豪商によって、名古屋紡績・尾張紡績などの工場ができた。そのほか織物・陶磁器・七宝・時計・織機などの工業もおこってきた。また工場では、電力やガスを動力源として利用することによって、大量生産が可能となった。」(名古屋市の成立と近代産業|名古屋市博物館)
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「たゞ三四郎にはちと立派過ぎる様に思はれた。そこで電気燈の点(つ)いてゐる三階作りの前を澄して通り越して、ぶら/\ 歩行(ある)いて行つた。無論不案内の土地だから何所(どこ)へ出るか分らない。只暗い方へ行つた。女は何とも云はずに尾(つ)いて来る」。
〇「電気燈」について調べてみた。
「1882年…日本銀行創立。東京・銀座にアーク灯が灯され、市民が初めて電灯を見る
1885年…日本初の白熱電灯が東京銀行集会所開業式で点灯される
1886年…小学校令・中学校令の公布。初めての電気事業者として東京電灯会社(現・東京電力の前身)が開業
1887年…名古屋電灯、神戸電灯、京都電灯、大阪電灯が相次いで設立。日本初の火力発電所が誕生(出力25kW)。家庭配電(210V直流)を開始。
1892年…東京電灯が電灯1万灯祝典を挙行(開設当時の電灯数130余灯が5年あまりで1万灯を越える)
1900年…電灯照明が20万灯に
1906年…電灯照明が50万灯に
1907年…東京市の電気局が電灯・電力供給事業を開始。電力需要が激増し、電気事業者が増加(電気事業者数146カ所、火力発電7万6000kW、水力発電3万8600kW、電灯数78万2000kW)」
(明治時代(1868~1911年) - 電気の歴史(日本の電気事業と社会) | 電気事業連合会)
(ちなみに「三四郎」は、1908年(明治41)に朝日新聞に連載された)
三四郎は、「暗い方」に行けば、自分と女に適当な安い宿があると踏んだのだ。「不案内」の「暗い方」にはたいてい、良からぬものが蠢いているだろう。それなのに「何とも云はずに尾(つ)いて来る」女は、やはりただ者ではない。良からぬことを考えているかもしれない。三四郎に危機が訪れなければ良いのだが。
「すると比較的淋しい横町の角から二軒目に御宿と云ふ看板が見えた。之(これ)は三四郎にも女にも相応な汚ない看板であつた。三四郎は鳥渡(ちよつと)振り返つて、一口(ひとくち)女にどうですと相談したが、女は結構だと云ふんで、思ひ切つてずつと這入つた。上がり口で二人連れではないと断わる筈の所を、入(い)らつしやい、――どうぞ御上がり――御案内――梅の四番 抔(など)とのべつに喋舌(しやべ)られたので、已(やむ)を得ず無言の儘二人共梅の四番へ通されて仕舞つた」。
…「上がり口で二人連れではないと断わる筈の所を、入(い)らつしやい、――どうぞ御上がり――御案内――梅の四番 抔(など)とのべつに喋舌(しやべ)られたので、已(やむ)を得ず無言の儘二人共梅の四番へ通されて仕舞つた」というのは、いかにも言い訳がましい。そこは決然と断るべきところだ。三四郎は、「とのべつに喋舌(しやべ)られたので、已(やむ)を得ず」と、宿の案内のせいにしているが、実はこうなることを望み、流れに任せているだけだ。「無言」だったのは、「已(やむ)を得ず」ではない。この女との一夜に、彼は期待している。
ちなみに、「こころ」の先生は、20歳で上京し高校入学。23歳で大学に入学したので、三四郎と同い年で大学に入学したことになる。なお、この時お嬢さんは14歳くらいだった。(この人も恐ろしい女です)
「こころ」の先生も三四郎も、同じように女性に翻弄されたのだった。(男はみんなそうか)
「下女が茶を持つてくる間二人はぼんやり向ひ合つて坐つてゐた」。
…なりゆきで同室となった二人の、やや茫然自失の様子。
「下女が茶を持つて来て、御風呂をと云つた時は、もう此婦人は自分の連(つ)れではないと断わる丈の勇気が出なかつた」。
…ここでも「勇気」は不要だろう。三四郎は言葉を自分のいいように使っている。
「そこで手拭をぶら下さげて、御先へと挨拶をして、風呂場へ出て行つた」。
…普通であれば、「困りました。こんなはずではなかったのですが」ぐらい言いそうなところだ。さらには、「やはり宿の者に言って、別室にしてもらいましょう」と言うべきところ。従って、結局三四郎は、女との同室を望んでいることになる。
「三四郎は着物を脱いで、風呂桶の中へ飛び込んで、少し考へた。こいつは厄介だとぢやぶ/\遣(や)つてゐると、廊下に足音がする」。
…「厄介」であれば訂正すべき場面。だが彼はそうしない。
「誰か便所へ這入(はい)つた様子である」以降は、三四郎が女に翻弄される場面。「ぎいと風呂場の戸を半分開け」、「ちいと流しませうか」と聞く女の様子からは、彼女のこれまでの生い立ちや職業がうかがわれる。彼女は、初対面の素性も知らぬ男にこのような事をしても一向気にしない育ち方をしたか、またはそのような職業に就いていたかだろう。三四郎が「大きな声で、「いえ沢山です」と断わつ」ても「出て行かない」で「却(かえ)つて這入つて来」、「さうして帯を解き出した。三四郎と一所に湯を使ふ気と見える。別に恥づかしい様子も見えない」などは、さらに先ほどの感を強くするだろう。やはりこの女は、身を売る商売をしていたとしか考えられない。
そのようなことに未経験の「三四郎は忽(たちま)ち湯槽(ゆぶね)を飛び出した。そこそこに身体を拭いて座敷へ帰つて、坐蒲団の上に坐つて、少なからず驚ろいてゐる」といった状態だ。女の積極性に中(あ)てられた三四郎。
下女が持ってきた宿帳に、「已を得ず同県同郡同村同姓 花(はな)二十三年と出鱈目(でたらめ)を書いて渡」すという経験も初めてのことだ。彼の体のほてりは、夏の暑さと風呂に入ったためばかりではない。「さうして頻りに団扇(うちわ)を使つてゐた」。「福岡県 京都郡(みやこぐん)真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書」くところが、彼の純粋さ・うぶさを表していておかしい。やがて帰って来た女の、「どうも、失礼致しました」という言葉の落ち着き。「いゝや」と答える三四郎は、完全に彼女に圧倒されてしまった。
仕方なく、「革鞄(かばん)の中から帳面を取り出して日記をつけ出した」が、「書く事も何にもない」。「女がゐなければ書く事が沢山ある様に思はれた」。女が気になって気になって、筆が進むはずもない。
「一寸(ちよい)と出て参ります」と部屋を出て行った女。その行方と用事が気になり、「三四郎は益(ますます)日記が書けなくなつた」。
その晩のふたりがとっても気になりますね。