三四郎の武道館ライブ

2泊3日の東京旅2日目。友人宅でぼてぼて起床する。
わたしがボソッとハモネプしたいなーと呟いたら、友人が隣でチャゲアスのSAY YESをほぼワンフレーズ歌い切っていておもしろかった。ハモリ待ちだったらしい。凛とした顔で歌ってる姿がおもしろくて見入ってしまい、ハモりそびれた。
化粧やら髪やら準備して、出発。昨日から美容院へ行ったり、こちらにいる友人と会ったりしているのが東京にいるときの日常すぎて、旅行とは思えない。今日は三四郎の武道館ライブ!と度々言い聞かせないとうっかり自分でも忘れてしまいそうなぐらい。それぐらい実感がない。

家に泊めてくれた友人と別れて、別のヤバ友人宅へ。このヤバ友人は最近離婚を経験しており、わかりやすく部屋のあちこちに未練が残っていて笑う。枕元に2ショットの写真をかざるなよ。毎日写真を見てがんばろうと思ってるらしい。結局は前日別の友人宅に泊まらせてもらえたが、本当は本人不在のヤバ友人宅でひとり寝かせてもらう予定だった。未練たらたらのこの部屋でひとりで寝る可能性があったかと思うとおそろしい。そのあとも相手に離婚を切り出されたあと薔薇を108本送ったなどの激ヤバエピソードを聞きつつ、一緒に武道館へ向かう。友人は三四郎どころかお笑いにも興味がないが、ひとりで武道館ライブに参戦するわたしに連行されるかっこう。ともにグッズ販売の列に並び、武道館の看板前でキャッキャと記念写真を撮り、ロイヤルホストでランチを食べて、わたしが会場入りするのと同時に解散。変な奴といい奴は両立するんだなあ。

そもそもジャンル問わずライブ自体にあまり参加したことがなく、ペンライトの綺麗さに新鮮にうっとりしていたら三四郎が舞台にせり上がって登場した。ぬるっとトークが始まって、ゲストが出てきて、いつものノリを繰り広げて普段のラジオと変わらない。ただ場所が武道館というだけ。どこに着地するのかわからないトークをソワソワしながら見ていた。ここまで特に感動などなし。途中でシークレットゲストの大木さんが出てきて生で飛び降りろ!を聞けたのは本当にうれしかったし、ここが感動のピークだった。さらに追加できんに君が来たときには感動よりもまじで来てくれてありがとうの気持ちが盛り上がっていた。三四郎(とその仲間たち)だけじゃ心許なかった。武道館で、こんなことやってていいの…?と思っているところに登場したきんに君、本当にヒーローっぽかったな。でも、その心許ない感じが三四郎っぽくて、好きなんだけど。
最後に相田がゲラへー!と叫んでMIYAVIが流れたとき、自分はいつまで三四郎のラジオを聴き続けられるだろうかと思った。こんなにしょうもないことをたのしいと感じられる大人でいつまでいられるだろう。ラジオも続いてほしいし、自分も聴き続けてほしい。社会人になると、熱意をもって続けられることが少なくなっていくのを日々実感している。

終わって、ライブの余韻でフワフワしたままホテルへ向かう。サッと風呂に入って、早めに就寝。武道館でも全然いつもの三四郎だったなー、とか、相田いつもよりビジュいけてたなー、とか、小宮疲れてたなー、とか、きんに君のクリスマスキャロルおもろかったなー、とか、出演者の集合写真めっちゃいいじゃん、とか思ってたら寝てた。
この旅行のメインイベントが終わった。今まで結構いろんなラジオを聴いているけど、ラジオイベントに参加したのは初めて。三四郎の武道館に行きたいと思った半年前くらいの自分、チケット取った自分、ありがとう。他のラジオイベントは積極的に行ったりしないのに今回なんで行ったんだろう、と考えたけど、思い返せばわたしのラジオライフの歴史は三四郎のオールナイトニッポン0の違法アップロードからはじまった。初めて聴いたとき、この世にこんなに楽しいことがあるなんて、もっと早く教えてよ!と思ったのをすごく覚えている。それこそ、誰も知らない自分だけが知っている宝物を見つけたような気持ちだったと思う。そこから、お笑いそのものにもズブズブにハマっていった。これを書いていて思い出したが、編プロで働いていた時期にひたすら三四郎のラジオを書き起こす仕事をお手伝いしたこともあった。嬉々として休日出社して、タイピングしまくってたの懐かしいな。
とにかく、思い返せば三四郎は今の自分を形成するかなりデカい要素を担っていて、節目となる武道館は自分の節目のような気持ちになっていたのかもしれない。10周年を見届けることができてうれしいけど、15周年も20周年も見届けてたらなんかウケる。オードリーとか霜降りじゃなくて、三四郎が自分の中で特別な存在なのもウケる。たのしかった!

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