もし 明日死ぬとわかっていても 愛するひとに愛され 最期を迎えられるとしたら? もし 永く生き続けても 与えられる愛に満たされることなく恐れ怯え続けるのだとしたら? もし 愛が何かを知らなくとも 住む場所にも食べ物にも着るものにも困らずただ生きられるとしたら?
「真面目だ」と言われるのだけど、人より出来なかったり、焦ってやることが好きじゃないから事前に準備しておくことが昔から身についてるから、普段通りしているだけなのだけど、人によってはそれが「真面目」に見えるのかな。不器用だからやってるだけなのに。笑
ぼんやりしているうちに過ぎていく静かな朝も、ひとつひとつが惑星みたいな出窓の植物たちも、確かにあったのだと書き留めておきたい。ごちゃごちゃした日々は、カラフルで綺麗だから。私の根っこはここかな…という気がしてきた。(今度、もう少し時間をかけて言葉にしてみようと思う。)
私にとって当たり前のことを人から「すごい!」と言われることがある。 逆に私ががんばった!と思ったことを他の人から「当たり前だ」「できて当然だ」と言われることがある。 理不尽だ、そう思うのは私が他人軸に依存した思考回路だからだろう 今世でどうにかこの歪んだ呪いを解けたら良いのだが