私は自分が嫌いだ。だから嫌われる前提でコミュニケーションを取っている。だから相手の反応も自分を嫌っているものになる。 全部自分から始まっているのだ。 変わればいいのに、自責に逃げてばかりで、生きづらいままでいる。 変化するのが、生きやすくなるのが、怖い。
私にとって当たり前のことを人から「すごい!」と言われることがある。 逆に私ががんばった!と思ったことを他の人から「当たり前だ」「できて当然だ」と言われることがある。 理不尽だ、そう思うのは私が他人軸に依存した思考回路だからだろう 今世でどうにかこの歪んだ呪いを解けたら良いのだが
無駄なことが好きだ。 本屋で棚の背表紙の文字を追う時間。あんまり将来役に立たなそうな学校の授業。なんとなく食事の間だけ見る生配信のアーカイブ動画。 趣味の絵を描いている時間もそう。SNSにあげる訳でも、仕事で使うわけでもない、何も社会に影響を与えず、自己満足で終わる時間が好きだ
「仕事できるできないより最後に立ってた奴が勝者」と昼頃申し上げた上司が夜には「あと数年くらいで人生終えたい」と申し上げており、一見矛盾しているが、この人は「勝ちたい人」であって「生きたい人」ではないのかもしれないと思うなど。 そういう世界で生きてきた人なのかもしれないと。
ずっと他人軸で生きている。仕方なかった、集団に溶け込むには他人と同じ動きをするしかなかった。この広い海を自由に泳ぐ憧れよりも、ぽつんと取り残される恐怖に負けてしまった。きっとその程度なんだ、私という人間は。 いっそのこと、臆病で尊大な獣にでもなってしまえばいいのに。