momo|桃花舞台
1日(なるべく?)1エッセイ。思うこと考えることを綴っています
本とかドラマとか歌の感想など
旅芝居・大衆演劇は「人が生きること」そのもののそのことの舞台。 芝居小屋って生の場所。 どうしようもなくて。愛しくて。涙が出たり笑ったり。
素敵なウェブマガジンに寄稿させていただきました。 ALOHADESIGNさんによる『Stay Salty』vol.33の巻頭PEOPLE です。 クリックしていただくと、 トップページの次にミラーボールの写真、ココです。 寄稿エッセイのタイトル&わたしの名前が出ますので よければ「VIEW PEOPLE」のボタンをクリックして下さい。 「これまでの活動や経緯や、現在の日々に思うことなど、そしてこれからの想いを交えて、エッセイとして語っていただけたら」 「さまざまな活動を
締め切りの迫ったコラムのチェックをするために 近くのファーストフード店に駆け込んだとある街とある日のお昼すぎ。 年配の女性お二人が入ってきた。 「コーヒー。これな。コーヒー頂戴」などと ゆっくりすぎるほどのマイペースで注文をしてわいわいとお座りになる。 「これ、朝はよ起きて炊いてきたから」「いやーわるいわぁそんなよぉけもろて」 タッパーウェアに入れたおでんをお裾分けし合っている。 その後はかかりつけの病院の噂話だ。 聞こうとしてではなくとも嫌でも耳に入ってきてとほほほほ、 せ
通りすがった初老のご夫妻の会話が耳に入ってきた。 聞こうと思ってではない。 でもすぅっと入ってきたのはおつれさまの返された言葉のせいだろうか。 「それ、生まれ変わったらやるわ」 「せやから、それも生まれ変わったらやるから」 に対してふわっと笑いながら 「またそれ言う」 「生まれ変わらんでも今からやったらええねん」 別の日のこと。 自転車に乗っていた。 前から来た自転車がすごいスピードを出して近付いて来て びゃーっと接近して去っていったから動揺した。 避けられずふらっとなり
シェア本棚コーナーに参加させていただいている 本屋・出発点さんに新看板が設置されたそうです。 階段を上がった先にはたくさんの旅や出会いがあるはず📖ぜひ遊びに来て下さいね お店📚️▶️https://x.com/shuppatsuten_jp/status/1856573678844293256 私の箱🍑▶️https://note.com/momohanabutai/m/ma67658c81931
汗臭い泥臭い人間臭すぎるヒーローたちと詰めかけた大勢の観客が笑っていた。 近所じゃないけれど遠くもない寺で 時折大阪プロレスの興行が来ると知ったのは 古くから縁あるラジオ局の某番組での告知でだ。 プロレス(&演劇)ファンを公言するDJは 毎週末の関西近辺での興行を読み上げる。 メジャー団体は全国を廻っていたり どうしても関東中心になったりするから、 告知は自然とインディーの団体のものが多くなる。 聴きながら毎週「とほほ」と口に出すのはばかにしているからではない。 むしろ逆
近くのふるいボクシングジムにはずっと きったない手書きの紙が貼られたままだ。 「オヤジボクサー募集」 なかなか集まらへんのやろか。 ずっと気になっているわたしは興味があるんやろか。 オヤジじゃないとあかんのかな。 てかどんなひとが来てるんやろう。 強さってなんだろうなとはよく考える。 強さはむずかしい。 誰かを傷つけることとも裏表で紙一重。 強さに酔うみたいなことも起こりがちでもあるその意識もなしに。 強さって一言では言えないし言い切れないと思うけれど それはそこには広さ
東京新聞「あの人に迫る」(11月4日)に三沢さんの最後の対戦相手であり今月引退する齋藤彰俊のロングインタビューが載っていると知りどーしても読みたくて知人からやっともろて読んだ。 最後の対戦相手が昨夜決まったことも知る。 三沢さんが亡くなったときは知人の新聞記者から即連絡が来た。 キヨシローが亡くなったときも同じ人から即来た。 何故か思い出した。他にも色々あるが何故かキヨシロー。 胸にくるインタビューだった。 選手本人がXのポストに添えたハッシュタグも印象深いからかもしれ
ギリヤーク尼ケ崎について語りたいひと語るひとは多いだろう。 わたしも語りたい。 舞台だの芸だのにふれたり興味を持つ人のほとんどは 「観てきた」「通ってきた」と言っても過言ではないかもしれないし、 そうではない方もテレビのドキュメンタリーや新聞で知って あの強烈な芸と見た目と雰囲気を記憶されているかもしれない。 何年も前にはEテレの介護や病をあつかう番組で取り上げられていた。 通称「最後の大道芸人」だ。 初めて見たのは大須の大道町人祭だった。 演劇や旅芝居からの流れで観
あたらしい原稿を考えるときなどなどは二駅向こうのショッピングモールにあるチェーンのカフェ行くのがいつの間にか恒例行事というか担いでないけど験担ぎみたいになっている。 特に食べたくないがホットサンドを食べるのもお決まりになった。 すげー広くて隣の席との間隔があいていて、 ひとり分の吸える空気が多い気もするそこは 古い洋楽が薄くかかっていて適度にざわざわしていて混みすぎていなくていい。 ホットサンドは特に美味いわけでもないしやっぱり小麦粉は控えたいが片手で食べられるからいい。
近松のおもしろさを教えてくれたのは 上方文化評論家を名乗るけったいな紳士だった。 学生時代に出会った講師なのだが いつも口元にゆらり皮肉っぽい艶っぽい笑みを浮かべていた。 年齢も性別も超越したようなそのひとの持つ空気に 皆ちょっと引き気味というか距離をとるようにして接していた。 はっきり言って、我々にとっては、 気味がわるかったというか、得体の知れぬ空気をまとっていたのだ。 そいつが担当する上方学と題される講義はなぜか朝イチにあって 「朝からこんなに何の役にも立たない話を
腸までとどくヨーグルトと書かれたプラスチックのカップが鉢植代わりにされ土から芽が勢いよく伸びていた。 歩いていて突然目に入った全然きれいじゃなくも勢いのよいそれはなんの植物かもわからない。 へんてこな場所で芽を出す植物や野菜なんかを指してド根性なんて言うのが一時期流行ったけれどド根性ってなんか嫌やな。 誰が植えたのかは知らないでも誰がが食べた後の空カップに植えたこいつはきっと宙までとどくんじゃないかな飄々と。 * なんてことを考えたのはやっぱり昨夜観たドラマがああよかった
一汁十二菜。 十二菜?! ちいさなお皿にちょこっとずついろんな菜がきれいに乗ってる。 テレビ番組の「大人気ランチ特集」で紹介されてた。 画面に写真がうつると出演者たちが「わぁっ」と言った。 「洗い物面倒くさそう」「SNS用? 映える目的?」 やっぱりわたしは無粋で古い。 見た目も内容もお洒落なそのランチを思い出したのは、 先日観た「今大人気」な劇団のことを考えていてだ。 若者揃いの劇団である。 唯一の年配者は座長の母上のみ。 ベテランは(今は)居ない。 とはいえ皆若くも、
セルフレジに向かってシャドーボクシングしているおっさんを見かけた。 混雑した店の中の一台に冴えない風貌のおっさん、 いやニイサンは軽快なパンチを繰り出していて まわりの皆は見て見ないふり。苛々。ひそひそ。 かくいうわたしもぎょっとして二度見してしまい、ヤバいな、 あかんあかん、いや、そんなん見たり思ったりすることがそもそも失礼や。 と、思いなおし己の用を済まし立ち去ったのだが、 華麗なファイトは頭を離れなかった。 帰り道も。その後数日も。 あれは吉田戦車のしいたけやったん
ちょっと前、 近所の小学校のそばを通るとあほみたいにあかるい曲が爆音で流れてきた。 西城秀樹の『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』 「なんでやねん」 旅芝居の舞踊ショーでこれを踊る役者を観たことがある。 舞踊ショー中盤、 突然流れてきたあの華々しいイントロに思わずツッコんだ。 「なんでやねん」 しかも個人舞踊。 後から何人か出てきて群舞なのかなと思っていたら結局個人。 わりかしイケメンしかも若い彼が満面の笑顔で練り歩いてガッツポーズして煽って着流し一枚で「Y!
先日なんかなんとなくポチった手拭が届いた。 巻かれていた紙の帯の言葉を二度見三度見した。 kenema (気 ke)美しい気配 (音 ne)美しい音色 (間 ma)美しい間合い 気音間 朝からぱぁーっと晴れたと思ったらズザーッと降った。 また晴れてまたズザーッと降った。 天気雨というのともちょっとちゃうし、 「え? 常日頃の情緒?(笑)」 って誤解招きそう。また笑う。 「日本人の美意識を支える三つの要素です」 雨は夜にはすっかりやんで選挙カーらが走り回っ
凄いものが、凄い。 凄いって思えるものに出会えるそれがそのときが、ああ、幸せ。 幸せと同時に、奮い立たされ、 と、同時に同時に、ああ、己はやっぱり才能ねえなとへこみ、 でも、それが嬉しくなったりでもアホほどへこんだり、ぐらぐらとする。 そうなれるのが、その「わあああ」が、幸せ。 好きなものほど、言葉にできない。 できないじゃない、したくない、かもしれない。 でも「おまえは書き屋やろ」と、なんとか、しようともするし、している。 けれど、すればするほど、嘘くさいと自己嫌悪にも