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【退職エントリ】自分の幸せについて本気出して考えてみた。
2022年の8月をもって、4年ほど勤めた博報堂を退職しました。
辞めた自分がいうのもなんですが、博報堂は、「ここまで?!」って思うほど福利厚生は手厚いし、恵まれた環境だと思います。
※忙しいけども
何より、広告が一番輝いていた時代のクリエイションを見て、自意識を育てた私としては、在籍できたことが率直に嬉しかったのです。
忙しくも楽しい仕事に感謝しながらも、同時に、「私って本当にこうなんだっけ
毎日が運動会!?~日々、全力少年の憂鬱
人生初の運動会。
息子にとってそれは去年だった。幼稚園の生活もようやく慣れた夏休み明け、その練習は突如始まった。運動会が何なのか分からないまま、走ったり踊ったり、楽しいけれど…暑いし、眩しいし、そして何より遊ぶ時間が足りないし、いろいろ覚えることが多くて分からない…。
こんなの嫌だ!!と言わんばかりに幼稚園に行きたくないとごねて、体調を崩したり、時に休んだりしながら、なんとか当日を迎え、ようやっと
「脳」ではなく「内臓」の声を聞く
意識を頭(脳)ではなく、お腹に置くこと。
思考に乗っ取られないよう。
普段から、自分の深いところの声を聞く習慣を持つこと。
思考のように移りゆくものではなく、
自分に深く根付いているもの。
大地のようどっしりとした揺るぎない場所。
お腹はだから体の中心にあるんだと思う。
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❤︎私という人間、何者?と思われた方はこちらを↓
❤︎インス
二つの世界 二つで一つ
心が揺り動かされ、
自分を保てなくなるくらい不安定な時は、
心の一番奥の安全な場所まで潜っていく。
たとえば、それは
大嵐で波が猛り狂い、
どんな怒涛の海面であったとしても、
深海に潜れば潜るほど、
海上の荒天とは別世界の
穏やかさが広がる空間。
外からなんの影響も受けず
静寂がただただ広がる空間。
安らかで静謐な時間がたゆたう場所。
それは、自分のコア。
そこでは、人はもちろん、
外
西表島の大自然での「サバイバル的滞在」から学ぶ
原生の自然を求め旅を重ね、辿り着いたのは西表島(いりおもてじま)の奥地だった。数ヶ月のサバイバル的なキャンプ生活をした24歳だったぼくは、すっかりその魅力に取り憑かれ、その後、会計士、ベンチャー企業での技術開発などを経て、テクノロジーの哲学を探究している今でも、あらゆるぼくの探究や活動はこのジャングルでの体験を一つの原点としている。そして、滞在から17年がたち、時代は変わった。近年では、さまざまな
もっとみる未来の自分には、少しでも良いバトンを繋いであげたい
「自分の軸がないのが悩み」
「自分を強く持つのがわからない」
そんな声をよく聞く。
わたしも含めて、
たくさんの人が悩んでいるにも関わらず、
インターネットの海では
なかなか良い答えに巡り会えない。
悩みに漬け込んで、
課金させたり、偉そうだったり、
結局モテます自慢かよと思う内容だったり、
わたしの心には響かないものばかり。
だから、
今の自分がたどり着いた
自分なりの「(暫定版)自分軸」に
24歳と365日、今思うこと
「明日誕生日じゃん、俺」
コーヒーを淹れながら、思い出したかのようにそう呟く朝が何とも日常的に感じられて、自分にとって誕生日がすっかり非日常ではなくなってしまった感じがして、少し淋しくなった。
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自分が思う以上に、1年間で何かが大きく変わることはない。自分を取り巻く環境も、そして、自分自身も。
23歳と365日目、「今までの人生は、変化に身を任せすぎた」という実感があった。
だから、2
言葉にできないって、"考えてない"ってことなのか
言葉にできないなら、考えていないも同然なのかもしれない。
仕事のこと、人間関係のこと、自分の将来のこと、日々頭を悩ますそれらに対して、考えてはみるものの解決策やアイデアが思い浮かばない。
そうして、頭の中の継続案件として残り続けた案件がいくつもある。
目の前の緊急度の高い案件に対応しているうちに、それらのほとんどは頭の片隅へと追いやられていく。場合によっては、考えることさえやめてしまう。
平日の夕方、役所のトイレで泣いてしまった
この文章は、ツムラ#OneMoreChoiceがnoteで開催する「 #我慢に代わる私の選択肢 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。
数年前にできたのであろう、白を基調とした清潔感たっぷりのトイレで、私は泣いていた。なるべく息が漏れないように、歯を食いしばり、顔を手で覆いながら涙が止むまでじっと耐える。めんどくさいヤツだと思われるだろうが、小学生の時からたまにトイレに閉
受信より発信を増やすと、周りが気にならなくなる
周りが気になるからSNSアプリを消す、というのも一定の効果はあるように思うけれど、あまり根本的な解決にはなっていないかもしれない。
周りが気になってしまう状況を取り除くことはできても、周りを気にしてしまう“自分自身”はそのままだ。
もちろん、SNSを一切シャットアウトすることで、時間とともに周りが気にならなくなるのかもしれない。
ただ、結局、手持ち無沙汰な時間があると周りが気になってしまう。