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言葉にできないって、"考えてない"ってことなのか

言葉にできないなら、考えていないも同然なのかもしれない。

仕事のこと、人間関係のこと、自分の将来のこと、日々頭を悩ますそれらに対して、考えてはみるものの解決策やアイデアが思い浮かばない。

そうして、頭の中の継続案件として残り続けた案件がいくつもある。

目の前の緊急度の高い案件に対応しているうちに、それらのほとんどは頭の片隅へと追いやられていく。場合によっては、考えることさえやめてしまう。

全く考えていないわけではない。

本を買って読んでみたり、紙に書き出してみたり、誰かに話してみたりする。

しかし、解決も解消もされない。

「本当に、考えているのか?」

紙に書き出した文章も、誰かに話した言葉も、どうにも自分の本音だと思えない。

できる限り、自分の頭の中をそっくりそのまま言葉にしようと心がけているけれど、都合の良いことばかり書いてしまうし、無難なことしか話せない。

言葉にできないのだ。

分からない、自分の気持ちが、意思が。

今まで自分と向き合うことをしてこなかったから、自分自身に対して素直に向き合えないのだ。

それでも、前に進むためには考えなければならない。

言葉にすることから逃げてはいけない。

素直に向き合えないことも、自分に対しても都合よく振る舞ってしまうことも、言葉にする。

頭の中でそう思うだけでは前に進めないのだ。

言葉にできた時に初めて、それは自分の考えや思いになる。

どんな言葉でも良い。

自分の感覚や気持ちを、自分の知る範囲の言葉を使って表す。

自分の中にあるモヤモヤや葛藤に、言葉を通して名前をつけていく。

決して簡単ではないけれど、言葉にするまでが考えるということであり、向き合うということだと思う。


1000文字で書かれた文章の裏には、いつも1000文字以上の言葉がある。

言葉にできたけど人には見せられないもの、テーマとは関係のないもの、中には、まだ言葉にできていない思いもある。

自分の書く言葉の数々は、自分の中のほんの一部だ。

いつも言葉にできなかった思いの方が圧倒的に多い。

そんな言葉にできない思いを言葉にするために、こうして毎日文章を書いているんだったっけ。

書き続けた先に何があるのか、書き始めた時は分からなかった。

言葉となった思いが残り続ける。
それを“自分”と呼べる日が来る。

今はそんな気がしている。

どれだけ文章術を学んでも、人の心を動かすノウハウを手に入れたとしても、自分の“内にある思い”を育てない限り、目の前の人にも、自分にも、思いは届かない。


「考える」という言葉はしばらく使わないようにしたい。

“言葉にする”に、こだわる自分でありたいから。

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おがたのよはく
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