西表島の大自然での「サバイバル的滞在」から学ぶ
原生の自然を求め旅を重ね、辿り着いたのは西表島(いりおもてじま)の奥地だった。数ヶ月のサバイバル的なキャンプ生活をした24歳だったぼくは、すっかりその魅力に取り憑かれ、その後、会計士、ベンチャー企業での技術開発などを経て、テクノロジーの哲学を探究している今でも、あらゆるぼくの探究や活動はこのジャングルでの体験を一つの原点としている。そして、滞在から17年がたち、時代は変わった。近年では、さまざまなところで循環型でコモンズ的な方向へ回帰する流れが生まれている。そんな中で、この島の暮らしの知恵から、わたしたちがつくる未来の社会のヒントをえることができるかもしれないとおもうようになり、あたらな展開をこの島に期待するようになった。
(西表島は、おおきくは東部と西部に人が住むところや文化が分かれますが、この記事は東部での滞在を前提にしています。)
西表島はほとんどが原生のジャングルのままだ。日本で原生の自然にふれることができる数少ない秘境。そして、そこにはこの秘境で脈々と受け継がれてきた暮らしの知恵が息づいている。その知恵をだいじにしながら、島人は、テクノロジーに囲まれた都市では失われたようなプリミティブな生活を送っている。狩猟採取をおこなう自給自足的な共同体的暮らしがそこにはあるのだ。コンビニはもちろんチェーン店はひとつもなく、(とくにぼくが拠点とする東部地区は)小さな売店くらいしかお店はない。自分で畑を耕し、漁、猟をやって調達し、それをシェアしたりして暮らしている。もちろん、隣の石垣島に買い出しに行ったりもしているけど、メインは島の恵み。現代的な観点から見ると、それは「原生のジャングルやサンゴ礁の海をコモンズ(私的所有を超えた共有物)とした、シェアリングエコノミーでありサーキュラーエコノミーを実践するコミュニティ」だと思う。原生の島という閉鎖空間に、戦後に移住した開拓民の子孫や近年の移住者という島人が暮らす。そういったこともあり、離島にはめずらしく外へも開かれた文化をもつ。こうしたさまざまな要素が絶妙にあわさり、島全体としていい感じのコミュニティを形成しているのだとぼくは思っている。大自然というものにだかれた理想的なコミュニティの在り方といえるかもしれない。けれども、大自然は厳しさをともなうし、その中で常にアジャイルにどうやって暮らしていったらいいのかを考え続ける必要があるし、人間味あふれる付き合い(その分ぶつかり合いもある)を前提とした協力関係が必要だ。個人主義的な都会暮らしの意識のままだったら、この原生の島で生き抜くことはできない。今年(2022年)、ひょんなことから1月から3月まで小4の息子と、この島に滞在することになり、久しぶりに長期滞在した。そして、ぼくの島への思いはますます強くなった。
ぼくがこの島の暮らしから学んだこと
最初に、ぼくがこの島の暮らしから学んだことをまとめておきたい。一つ目は、自然と人のつきあいかたの原点にふれることができたことだ。現代社会は狩猟採取的な社会へと回帰しつつあるというはなしを聴くことがある(例えばこちら)。この原生のジャングルや海の生態系を維持しながら、イノシシから魚や貝、山菜まで狩猟採集をおこなう島の暮らしには、現代社会のヒントが隠されていた。島人の暮らしにふれることで、そもそも原生の自然とはどのようなものだったのか、その原生の自然の中でその循環を意識しながらニンゲンはどう暮らすべきなのか、またそのための共同体はどうあるべきなのかについて体験的な理解ができたと思う。現代の「人新世」とよばれる人が地球環境をも変えてしまっている時代において、西表島の暮らしから、自然と人のつきあいかたの「原点」を体感的に学ぶことができたように思うのだ。じっさい、こっち(甲府)に帰ってきてから、ぼくの哲学的な探求のなかでこれまで考えてきた点と点が、急につながりだし思考が統合的になってきたこととも関係していると思っている。
次に、カオス的な現代社会をサバイブするための能力開発に役立った。誰しもこの島の暮らしを体験すれば、海山川の自然の恵みを、自分の五感をつかって探しあて、危険にさらされながら狩猟する力を身につけることや、獲物を自分の手で調理していただくことをとおし、自然と人間の本来的な関係性、自然の中で生きぬく力がだれにでもそなわっていること、そして、畏敬の念を思い出すことになるだろう。コンクリートジャングルとよばれた大都市は、今ではあらゆる種のテクノロジーに囲まれた「テクノロジーの密林」となりさらなる進化を遂げ続けている。そして現代は混迷を極めるVUCAの時代。そのカオスを自分の感覚や勘をたよりにサバイブする能力が求められている。単純に原生のジャングルとテクノロジーの密林をいっしょにはできないが、わたしは原生のジャングルにふれることで、現代社会を生き抜くヒントがえられたと思っている。実際に、いつもながら島から帰ると直感力が上がった感じがする。
サバイバル的滞在の実践
ここから、サバイバル的滞在について書いてみたい。予め断っておくが、西表島でサバイバル生活することは今は基本的にNGなので、あくまで今できるのはサバイバル「的」滞在である。
西表島の西側の奥地(南風見田(はえみだ)とよばれる場所やさらにその奥地)は、20年ほど前までは、世界中旅したような放浪者がたどりつきサバイバルライフを送る「野人の楽園」だった。17年前、ぼくがいたときも、森の中で暮らす何人かの「世捨て人」がいて魚をわけあったりとしたしくなった。しかし、こうした島人とのつながりがうすいサバイバルは持続可能ではない。人間は、コミュニティであり社会の中で生きる生き物なのだ。原生林がほとんどだと言っても、島人の(狩猟採取するなどの)生活の場でもあり気づかいも必要だ。また国有林でもあり当時からキャンプは禁止されていたし、今では林野庁の見回りもかなり厳しくなったともきく。代々この島でのサバイバル術を受け継いでいる島人からすれば、単独での島の奥地でのサバイバルはあまりに無謀であり「危険」。実際にサバイバルの途中で命を落とした人の話を何人も聞いている(例えば、当時の知り合いが後日、カヌーで流され亡くなったと聞いた)。救急隊員を島人が兼ねているこの島ではそうした事件が起きれば、島人が出動せざるをえない。ともかく、原生林に分け入ってサバイバルをするようなことは今は絶対にしてはならない。
こうした状況を憂いて、南風見田での不法なキャンパーを減らすためにある島人が20年ほど前につくってくださったのが日本最南端のキャンプ場である南風見田キャンプ場である。今だったら、ここに滞在して、島人やキャンプ場のオーナーに迷惑にならない範囲で、身に着けたサバイバル術を実践するのがよいかもしれない。
ちなみに、南風見田キャンプ場はこういう場所にある↓
右端のマークがあるところがキャンプ場で、左(西側)はずっと手つかずの森と海で、道路すらない。南風見田の浜はとても美しく広いがほとんど人はいない。
17年前のわたしは浜に自生しているハマダイコンや森のオオタニワタリを野菜に、海では貝を餌に魚を釣って食べていた(米は持参)が、やはりある程度知識がないとむつかしいだろう。また、世界遺産となったこともありそうした自生する植物をむやみにとることもやはり許されない(何かと制約は多い!)。しかし、魚なら、浜から投げていろんな魚を釣ることもできる(これはOK!)。ぼくが住んでいた頃は、近くに竿一本で大きなカワハギとかダツとかをとってるサバイバーがいて、よくおすそ分けしてもらった。わたしは、針に貝をつけて、リーフまで行って泳ぎながら捕っていたが、リーフは流される可能性がありかなり危険。潮が引けば、「イザリ」でタコや寝ている魚を捕まえることができる。しかし、こうしたサバイバルの実践はあくまで幾度も島を訪れ島人からその教えを受けてからにしてほしい。繰り返しになるが、必ずキャンプ場では、オーナーにやっていいことやってよいこと、いけないことを確認してから実践していただきたい。
さて、次にぼくらが今年の滞在中に実践していた、サバイバル術を紹介したい。ちなみに、この冬はぼくらはこの「南風見田」ではなく「古見」という集落にお世話になっていた。そこには、ぼくの17年来の友人がいて、今回も色々と知恵を学ぶことができた。紹介するサバイバル術は、といっても地元の子たちが普通にやっているレベル(小4の息子と一緒に行く前提だったので、むちゃはできなかった)。初級編といったところ。
ぼくらが滞在していたところも海が近く、木のトンネルをぬけ、海にでると、
どーんとこんな感じの景色が広がった。
この浜を歩いて5分ほどの赤い石があるスポットは良好な釣り場だった。いろいろとれる。これはぼくがチヌ(ミナミクロダイ)を釣ったときの動画。
息子(小4)でもうまくいけば、半日でこれくらいは釣れる。
こどもがいれば、こんなコメツキガニを追いかけ回してみたりも楽しいだろう。こちら、釣りの餌にもなるようだ。
ガザミも運がよければとれる。モクズガニも。しかし、小さいのは獲ってはいけない。自然の循環を意識して、大きいものだけを獲るべき。これはイノシシやエビなどもおなじ。
夜に潮が引く、冬は「イザリ」にいくことができる。イザリとは次のようなもの。
ようは、潮が引いたときに浜とリーフ(サンゴ礁のある場所)の間のイノー(礁池)で、エビや魚をとる漁法。海の幸をいただくためには潮の満ち引きを把握しておくことはとても大切。わたしも西表にいるとアプリで潮を常に確認して、漁に行くタイミングをみはからっていた。
今回の滞在中に5回ほど行ったが、2時間ほどでこれくらいはとれる。地元の人はおなじ時間でこの何倍もとる。
この道具をつかうと、息子でもエビがとれた。
海は「共有地(コモンズ)」。漁業権も設定されている。なので、大量にとれてしまう道具や危険な道具の使用は法律で禁止されているし、とってはいけない魚介類もある。西表島では関東近郊や沖縄本島のように、漁師さんや警察が見張っていて取り締まっているということはないかもしれない。しかし、だからといってやってはいけない。それは「コモンズ」だから。
つかってはいけない道具
とってはいけない魚介類
https://www.kaiho.mlit.go.jp/11kanku/03kakuka/10kotsu_taisaku/izariryougoyoujin.pdf
※ アオサやモズク、シャコガイやヒラジャー、タコなどは季節によっては潮が引いたときに簡単に取れるが、漁業権が設定されているので基本的には獲ってはいけない。エビはだいじょうぶだが、小さいものはとらないようにしたい。
慣れてくれば、舟をチャーターして自分たちでリーフ釣りや素潜りにいくのもいい。もちろんその場合も、何をやってよくてやってはいけないのか、どうやれば捕れるのかを、地元の人たちのことばに耳をかたむけ、学んでから行くことで、島の人たちが受けついできた知恵の豊かさにふれることができる。
森にはシダ植物もおおく、山菜をとることができる。ヘゴの木の芽は巨大なゼンマイだ。
「オオタニワタリ」という山菜もある。オオタニワタリとはこういう植物で、西表島ではいたるところに生えているが、ぬめりがある山菜という感じでとても美味。
ぼくは、島でとれたリュウキュウイノシシのベーコン作りを山梨にいるときからずっとやっている(ぼくは、知り合いの猟師からイノシシ肉を毎年20キロほど送ってもらっている)ので、恩返しを兼ねて、燻製器をベニヤ板を切ってつくって、滞在中隔週くらいのペースで、燻していた。
ちなみに、こちらが猟に同行した時に撮影した、捕獲の瞬間の動画。
西表島では、獲物をシェアする場面に頻繁に出くわす。ぼくらも、近所の田んぼで採れた大ウナギをいただくことができ、それを見事にさばいて甘辛煮にしてしたりした。
ぼくもなにか恩返ししたいと思い、テクノロジーについてかたるユンタク会を、友人にお願いして開催してもらったりした。島人たちの「テクノロジー観」には学ぶことが多かった。おっと、また恩返ししないと。
こうして原生の自然から頂いた、猟と猟の獲物と山菜や果物は美味しい朝晩の食事となりいただくことができる。以下、わたしが島に滞在していたときにつくった料理。(野菜はおもに売店から仕入れているもの)
イリオモテの暮らしから、自然の循環を意識しながら狩猟採取した食材を、こんなにも豊かにいただくことができるということを学ぶことができる。
以上が、西表島での「サバイバル的滞在」の紹介である。書いてみて改めて思ったが、やはり島人の暮らしや思いを理解し、イリオモテの大自然であり島人たちに「寄り添って」狩猟採取できるようになることがだいじなんだなと。決して、サバイバルは「奪う」ものではない。それでは自然も人のコミュニティも持続可能ではない。
こうして、厳しい自然と向き合いながら、その力に身を委ねつつ、人と人とのつながりをだいじにすることで命を繋ぐ感覚を学ぶことは、どんな苦境や困難の中でもしなやかに立ち直る力「レジリエンス」や、生きとし生けるものにやどる命の大切さに向き合う「コンパッション」といった、現代において重要だとされている感性をもやしなうことができるとわたしはおもっている。とうぜん、自然に対する感性は必然的にこの滞在で高まるだろう。
それにしても、ぼくは、17年前にサバイバルして以来、もうすっかり西表に魅了されてしまっている。野生の本能がざわざわする。それだけじゃなく、ここにいるとなにかとクリエイティブになるし仕事するにも最適だと思っている。だから西表との二拠点生活をいつか実現したい。島人となって、みなさんをいつか案内できたらいいなと思う。
(稚拙な文章を、最後までお読みいただき、ほんとうにありがとうございました)