自分の魂が消えてもかまわない 「消したい」のではなく、消えてもいい 消したい経験もなく、そもそも経験を持っている幻想で都度現れている錯覚かもしれない 突然全て持って生まれて、突然全て消える、 そんな瞬きの世界に生きてる気もする 人生もある瞬間にガラッと変わる事がよくある
悩みは突き詰めると自分のことばかりになる 愛とはI(アイ=私)と考えるのは合理的だが、 愛とは相(あい)手を考えることが本質な気もする 愛とはAIである AIは常に自分の事ではなく相手を考えている I thinkの続きはwhat you thinkであるのが、 愛 think
五次元に移行した兆しとかの羅列に、 当てはまるのを探す認知バイアスで、 いちいち一喜一憂するのは無意味 気のせいレベルの主観の時点でバイアス なんとなく気分がいいバイアスに乗ることで 逆に止まってる状況がある むしろ兆しで自分を疑うのをやめるのが 自身で生み出せた「移行」であろう
(続編) 自己と他者を同一にするなんて無理 我が子より親より恋人より自分が一番かわいい こう思う人も多いだろう いや自分の命や幸福より大事なものが皆にある ペットでも物でも思い出でも概念でも何でもいい それがあなたにとっての神であり、 その神の存在があなたが愛である証であろう
風呂キャンセル界隈には驚きだ 風呂に入らないのはまだしも、それをアイドルまでが公言してしまう時代になった いずれオナラを人前で鳴り響かせ、すかしっぺなどの技術は自己を抑制することになるのか 風呂キャンは自己の解放か 娘の友達にも風呂キャンいるようで、ロックダウンが必要な臭さ拡大か
人は自分が否定される話には拒絶反応をする だから褒められ認められたりして成長する でもそんなレベルだから人生が変わらない 自分が否定されるような厳しい話を受け入れる その勇気があってこそ人生が変わる 否定され拒絶するのは、人生の変容を拒絶してる 相手でなく、自分の否定を許すだけ
自分の範囲は広い 高周波の自分(高自)が選んだ環境に生まれ、 高自が考えた通り生きている 低周波の自分(低自)が決めてない展開をして、低自が人生を乱雑に盛り上げている 低自が顕在意識だが、潜在する高自を顕在するのが、高次元の言う「意識」であろう 自分が変わるのでなく高自を顕在する
自分の気持ちを言語化すると陳腐になる時もある 自己分析は大事だが、自分を正当化し自分を偽る言語化で迷走する人は多いだろう 好きや嫌いで行動するのが良い時もある 逆に自己判断は邪心だと捨て、信頼する人が薦めるままに生きるのが良い時もある 自分はどんな人かを見極めるのが先かもしれない
双方が愛しているのに、愛し方の違いで拗れる 双方は男女だけでなく、宇宙と自己でもそう 宇宙は人に自由に生きる手段も環境も愛し与える 人は、自由が辛い、望むものを与えてと訴える だけど望まない愛され方は自由じゃないと嘆く 宇宙の望む愛され方で人が宇宙を愛するのが 利己利他同一なのか
自分の視点で自分を語るのは慰めに留まる 自分の中の高次の視点で自分という他者を語る 客観や俯瞰を超えて、主観を伴う宇宙から観る 今までと違う自分(=他者)に気づき閃きがくる 自分の視点に戻っても視界が変わるのに気づく これが自信かもしれない 自分の視点のまま外部の変化は変わらない