宗教や信仰についての雑記 #295
◯かたどる
先日テレビで、見事な彫刻の映像を見て、「かたどる」という言葉を思い浮かべました、
聖書によれば人間は神様をかたどって造られたものとされています。その「かたどる」とはどういうことなのでしょう。
「かたどる」とは、既存のものを模倣する行為と、新たなものを創造する行為の両方を包含するものだそうです。
既存のものを模倣することは、その存在の価値や意味を再確認し、共有する行為です。また、伝統や文化の継承にも繋がります。
一方、新たなものを創造することは、既存の枠組みを超え、新たな可能性を切り開く行為です。これは、人間の創造性の源泉であり、世界を豊かにする原動力となります。
そして、何かを「かたどる」ということは、そのものの本質を深く理解しようとする試みでもあります。本質を捉え、それを表現することで、私たちは存在の根源に迫ることができます。
ですから、上記の新たなものを創造することとは、既存のものの本質を捉えたうえで、新たな可能性を切り開き、自己を表現し、世界に存在を刻みつける行為でもあるようです。
そのことを、人間が神様にかたどられて造られたことに当てはめると、我々は宗教や信仰といったことに対して、その本質を捉えなければならないということになるでしょう。
それは、ただ単に型通りの伝統を守っていればいいということでもなければ、教義を盲目的に信じて排他的になるということでもありません。
新たな可能性を切り開くということは、常に変化し続ける状況に適切に対応することでもあります。そうすることによって人は初めて自己を表現し、自己を実現することができるのだと思います。
人間が神様にかたどられて造られたということは、そのようなことを人間が求められているということでもあるのでしょう。
宗教の名のもとに、戦争や抑圧や差別が行われているとき、我々はそのことを思い出さなければならないのだと思います。